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古本説話集
第26話 長能、道済の事
長能道済事
長能、道済の事
校訂本文
今は昔、長能(ながたう)1)、道済(みちなり)2)といふ歌詠みども、いみじう挑み交はして詠みけり。長能は蜻蛉の日記したる人の兄人(せうと)、伝はりたる歌詠み、道済、信明(さねあきら)3)といひし歌詠みの孫にて、いみじく挑み交はしたるに、鷹狩の歌を二人詠みけるに、長能、
霰降る交野(かたの)のみののかり衣濡れぬ宿貸す人しなければ
道済
濡れ濡れもなを狩り行かむはしたかの上毛の雪をうち払ひつつ
と詠みて、おのおの「われが勝りたり」と論じつつ、四条大納言4)のもとへ、二人参りて判ぜさせ奉るに、大納言のたまふ、「ともによきにとりて、あられは、宿借るばかりは、いかで濡れむぞ。ここもとぞ劣りたる。歌柄はよし。道済がは、さ言はれたり。末の世にも集などにも入りなむ」と、ありければ、道済、舞ひ奏でて出でぬ。長能、物思ひ姿にて、出でにけり。さきざき、何事も長能は上手(うはて)を打ちけるに、この度は本意(ほい)なかりけりとぞ。
春を惜しみて、三月小ありけるに、長能、
心憂き年にもあるかな二十日あまり九日(ここぬか)といふに春の暮れぬる
と詠み上げけるを、例の大納言、「春は二十九日のみあるか」とのたまひけるを聞きて、「ゆゆしき誤ち」と思ひて、物も申さず、音もせで出でにけり。
さて、そのころより、例ならで重きよし聞き給ひて、大納言とぶらひにつかはしたりける返り事に、「『春は二十九日あるか』と候ひしを、『あさましきひ僻事(ひがごと)をもして候けるかな』と、心憂く嘆かしく候ひしより、かかる病になりて候ふなり」と申して、ほどなく失せにけり。
「さばかり心に入りたりしことを、よしなく言ひて」と、後まで大納言はいみじく嘆き給ひけり。
あはれに、すきずきしかりける事どもかな。
翻刻
いまはむかしなかたうみちなりといふ 歌よみともいみしういとみかはしてよみけり/b73 e37
なかたうはかけろうの日記したるひとの せうとつたはりたる哥よみみちなりさね あきらといひし哥よみのまこにていみし くいとみかはしたるにたかかりの哥をふた りよみけるになかたう あられふるかたののみののかりころも ぬれぬやとかす人しなけれは みちなり ぬれぬれもなをかりゆかむはしたかの うはけのゆきをうちはらひつつ/b74 e38
とよみてをのをの我がまさりたりとろむし つつ四条大納言のもとへふたりまいりてはむせ させたてまつるに大納言のたまうともによき にとりてあられはやとかるはかりはいかてぬれむそ ここもとそおとりたる哥からはよしみちなり かはさいはれたりすゑのよにも集なとにもいり なむとありけれはみちなりまひかなてていて ぬなかたう物思ひすかたにていてにけりさきさき なに事もなかたふはうはてをうちけるに このたひはほいなかりけりとそはるををし/b75 e38
みて三月小ありけるになかたふ こころうきとしにもあるかなはつかあまり ここぬかといふにはるのくれぬる とよみあけけるをれいの大納言はるは廿九日の みあるかとのたまひけるをききてゆゆしき あやまちと思ひて物も申さすをともせて いてにけりさてそのころよりれいなら ておもきよし聞給て大納言とふらひに つかはしたりけるかへり事に春は廿九日 あるかと候しをあさましきひか事/b76 e39
をもして候けるかなと心うくなけかしく候 しよりかかるやまひになりて候也と申て ほとなくうせにけりさはかりこころにいりた りしことをよしなくいひてとのちまて 大納言はいみしくなけきたまひけりあは れにすきすきしかりける事ともかな/b77 e39