古本説話集
第6話 帥宮、和泉式部に通ひ給ふ事
帥宮通和泉式部給事
帥宮、和泉式部に通ひ給ふ事
校訂本文
今は昔、和泉式部がもとに、帥宮(そちのみや)1)通はせ給ひけるころ、久しく音せさせ給はざりけるに、その宮に候ふ童(わらは)の来たりけるに、御文もなし。帰り参るに、
待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ今日の夕暮れ
持て参りて、参らせたりければ、「まことに久しくなりにけり」と心苦しくて、やがておはしましけり。
女も月をながめて、端にゐたりけり。前栽の露きらきらと置きたるに、「人は草葉の露なれや」と、のたまはするさま、優にめでたし。御扇に御文を入れて、「御使の取らで参りにければ」とて、給はす。扇を指し出だして取りつ。「今宵は帰りなん。明日物忌みといふなりつれば、なからむもあやしかるべければ」とのたまはすれば、
心みに雨も降らなん宿過ぎて空行く月の影や止まると
聞こえたれば、「吾が恋や」とて、しばし上りて細やかに語らひおきて、出でさせ給ふとて、
あぢきなく雲居の月にさそはれて影こそ出づれ心やは行く
有つる御文を見れば
我ゆゑに月を眺むと告げつればまことかと見に出でて来にけり
「何事につけても、をかしうおはしますに、あはあはしき物に思はれ参らせたる、心憂く思ゆ」と日記に書きたり。
始めつ方は、かやうに心ざしもなき様に見えたれど、後には上を去りたてまつらせ給ひて、ひたぶるにこの式部を妻(め)にせさせ給ひたりと見えたり。
保昌2)に具して、丹後へ下りたるに、「明日狩りせむ」とて、者ども集ひたる夜さり、鹿のいたく鳴きたれば、「いで、あはれや。明日死なむずれば、いたく鳴くにこそ」と、心憂がりければ、「さおぼさば、狩とどめむ。よからむ歌を詠み給へ」と言はれて
ことはりやいかでか鹿の鳴かざらん今宵ばかりの命と思へば
さて、その日の狩りはとどめてけり。
保昌に忘られて侍りけるころ、貴船に参りて御手洗(みたらし)河に蛍の飛びけるを見て
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る
奥山にたぎりて落つる滝つ瀬に玉散るばかり物な思ひそ
この歌、貴船の明神の御返しなり。男声にて耳に聞こえけるとかや。
翻刻
いまはむかし和泉式部かもとに帥宮かよは せ給けるころひさしくをとせさせ給はさりける にその宮にさふらふわらはのきたりけるに 御文もなしかへりまいるに/b37 e18
またましもかはかりこそはあらましか 思ひもかけぬ今日の夕くれ もてまいりてまいらせたりけれはまことにひさ しく成にけりと心くるしくてやかておはしまし けり女も月をなかめてはしにゐたりけ り前栽のつゆきらきらとをきたるに人はくさ葉 の露なれやとのたまはするさまいふにめてたし 御扇に御文をいれて御使のとらてまいりに けれはとてたまはすあふきをさしいたしてとり つこよひはかへりなんあすものいみといふなり/b38 e19
つれはなからむもあやしかるへけれはとのたま はすれは 心みにあめもふらなんやとすきて そら行月のかけやとまると きこえたれはあかこひやとてしはしのほりて こまやかにかたらひをきていてさせ給とて あちきなく雲ゐの月にさそはれて かけこそいつれ心やは行 有つる御のをみれは われゆえに月をなかむとつけつれは/b39 e19
まことかとみにいててきにけり なに事につけてもをかしうおはしますに あはあはしき物におもはれまいらせたるこころうく おほゆと日記にかきたりはしめつ方はかやうに 心さしもなき様にみえたれとのちにはうへを さりたてまつらせ給てひたふるにこの式部 をめにせさせ給たりとみえたりやすまさに くして丹後へくたりたるにあすかりせむとて ものともつとひたる夜さりしかのいたくなき たれはいてあはれやあすしなむすれはいたくな/b40 e20
くにこそと心うかりけれはさおほさはかりととめむよ からむうたをよみ給へといはれて ことはりやいかてかしかのなかさらん こよひはかりのいのちとおもへは さてそのひのかりはととめてけりやすまさに わすられて侍けるころきふねにまいりてみたら し河にほたるのとひけるをみて ものおもへはさはのほたるもわか身より あくかれいつるたまかとそみる おくやまにたきりておつるたきつせに/b41 e20
たまちるはかりものなおもひそ この哥きふねの明神の御返し也おとこ こゑにてみみにきこえけるとかや/b42 e21