唐鏡 第六 魏蜀呉より余晋恭帝にいたる
10 西晋 孝恵帝（2 八王の乱・崩御）
校訂本文
太安元年1)夏四月に、彗星昼見ゆ。
太安二年二月、梁州の刺史羅尚、李特を斬りて首を京師に懸く。
秋九月、河間王顒(ぎよう)2)、軍(いくさ)を京へ入れて、清明・開陽の両門を焼く。死者万に及べり。
永安元年、成都王穎(えい)3)、皇太弟となる。七月に右衛将軍陳眕(ちんしん)、百寮を召して殿に入れ、兵を勤して、成都王4)を討せんとはかる。
帝5)、北征して安陽に至り給ふ。この時、衆十余万ばかりなり。成都王、その将石超をして防戦しむるに、六軍破りて、帝の御頬に矢当たり、六璽も失せぬ。
帝、敵(かたき)の超が軍に捕られ給ふ。御膳参るにも及ばず、あやうかりければ、石超、水を求めて勧め申し、また秋の桃を献(たてまつ)る。
成都王、軍官を率ゐて、道左に迎謁(げいえつ)し奉る。行幸の儀にて、鄴(げふ)といふ所へ迎へ給ふ。かかるほどに、安北将軍王浚6)、成都王を責むるに、大いに破りぬれば、成都王、帝と一つ車にて、洛陽へ逃れ給ふ。
にはかのことなれば、御服など召すにも及ばず、上下あはて迷ひて、とりあへず侍中黄門の袋の中に、わづかに私銭を三千持ちたりけるにて、飯を買ひて宮人に奉る。また一升余りの飯から、蒜(ひる)などを求め出だして、帝に奉れば、聞こし召してぞ、黄門の布々、被(ふすま)を取りて献(たてまつ)りける。また老父の干し鳥といふ物を奉りけるをも聞こし召して、御心地ちと直り給ひて、先帝の陵など拝み奉らんとし給ふに、御履(くつ)も失せたれば、けしかる者の履を召して降り給ふに、御涙、袖も絞るばかりなり。左右にさぶらう者ども、哭き悲まぬはなし。
河間王顒7)、三千騎の兵をして帝を迎へ奉りて、長安に行き給ふに、道のほどかき暮し、雪降りて、寒気はなはだしくして、馬より落ち給ひぬ。御足をぞ痛ませ給ふ。とかくして覇上に至り給ひぬれば、征西府とてあやしげなる屋をぞ、宮としてすゑ奉りける。これより成都王をば弟へ還し遣はして、豫章王8)ぞ皇太弟には立ち給ひける。
永興三年五月に、日の光、四つに散じて赤きこと血の色のごとし。この時、東海王越9)、その将祁弘(きこう)をして、帝を洛陽に帰し奉るに、牛車に乗せ奉りける。宿々行宮(あんぐう)には草を籍(しや)とし給ひて、わづかに供奉の公卿も徒走(かちはし)の体なり。
索餅(さくべい)といふ物の中に、毒を入れて奉るを聞こし召して、やがて崩じ給ひぬ。御年四十八、在位十七年なり。
翻刻
大安元年夏四月ニ彗星昼見 大安二年二月梁 州ノ刺史羅尚李特ヲキリテ首ヲ京師ニカク秋九月河間王 顒(クヰヨウ)軍ヲ京ヘイレテ清明開陽ノ両門ヲヤク死者万ニヲヨヘリ永安 元年成都王穎皇太弟トナル七月ニ右衛将軍陳眕(チンシン)百 寮ヲ召テ殿ニイレ兵ヲ勤シテ成都王ヲ討セントハカル帝北征シテ安陽ニ至 給フ此時衆十餘万許也成都王其将石超ヲシテ防戦シムルニ 六軍破テ帝ノ御頬ニ矢アタリ六璽モウセヌ帝カタキノ超カ軍ニトラ レ玉フ御膳マイルニモ不及アヤウカリケレハ石超水ヲ求テ勧申シ又 秋ノ桃ヲ献ル成都王軍官ヲ率テ道左ニ迎謁シ奉ル行幸ノ儀ニテ鄴ト云／s162l・m287
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/162?ln=ja
所ヘ迎給カカルホトニ安北将軍王後成都王ヲ責ルニ大ニ破ヌレハ 成都王帝ト一ツ車ニテ洛陽ヘ逃給フ俄ノ事ナレハ御服ナトメスニモヲヨ ハス上下アハテ迷ヒテ不取敢侍中黄門ノ袋ノ中ニ僅ニ私銭ヲ三 千モチタリケルニテ飯ヲ買テ宮人ニ奉ル又一升餘ノ飯カラ蒜ナト ヲ求イタシテ帝ニ奉レハキコシメシテソ黄門ノ布々被(フスマ)ヲ取テ献ケル又老 父ノホシ鳥ト云物ヲ奉ケルヲモキコシ食テ御心地チトナヲリ給テ 先帝ノ陵ナト拝ミ奉ントシ玉フニ御履モウセタレハケシカル者ノ履ヲ 召テヲリ玉フニ御涙袖モシホル計也左右ニサフラウ者共無 不哭悲河間顒三千騎ノ兵ヲシテ帝ヲ迎奉テ長安ニ行玉フニ 道ノホトカキクラシ雪降テ寒気甚クシテ馬ヨリオチ給ヌ御足／s163r・m288
ヲソイタマセ給トカクシテ覇上ニイタリ給ヌレハ征西府トテアヤシケ ナル屋ヲソ宮トシテスエ奉リケル是ヨリ成都王ヲハ弟ヘ還遣シテ豫章王ソ皇太 弟ニハ立給ケル永興三年五月ニ日ノ光四ニ散シテ赤コト如血ノ色ノ 此ノ時東海王越其将祁弘ヲシテ帝ヲ洛陽ニカヘシ奉ルニ牛車ニノセ 奉リケル宿々行宮ニハ草ヲ籍トシ玉テ僅ニ供奉ノ公卿モカチハ シノ体也索餅ト云物ノ中ニ毒ヲ入テ奉ルヲキコシメシテヤカテ崩シ給ヌ 御年四十八在位十七年也／s163l・m289