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text:karakagami:m_karakagami5-10

唐鏡 第五 後漢光武より献帝にいたる

10 後漢 孝和帝

校訂本文

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第四の主をば孝和帝(カウクワテイ)1)と申しき。諱(いみな)は肇。粛宗第四の御子なり。御母は梁貴人と申ししを、竇皇后、妬み給ふあまり譛(しん)せられて、憂へにたへず失せ給ひしが、竇后養ひ奉りて御子とし給ひき。

御年十歳にて位に即き給ふ。太后、抱(いだ)き奉りて、朝に臨んで政(まつりごと)をし給ふ。

永元三年正月に、帝、元服(ぐわんぷく)し給ふ。

六年七月、京師(けいし)おほきに日照りせしかば、帝、洛陽に行幸して、囚徒(しうと)をしるして免さるるに、いまだ宮へ帰り給はざるに、雨降(くだ)りき。

十六年二月の詔書に、しきりに雨降(くだ)りて、稼(か)を損ずることはなはだし。このゆゑ酒を沾(う)ることを禁ぜらる。かやうの世間の損亡(そんばう)には、酒をばまづとどめらるべきなり。

元興元年冬十二月、帝、崩じ給ひぬ。御年二十七歳、在位十七年なり。

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翻刻

第四主をは孝和帝と申き諱は肇粛宗(シクソウ)第四
の御子也御母は梁貴人(リヤウキシン)と申ししを竇皇后(トウクワウコウ)ねた
み給ふあまり譛(シン)せられて憂(ウレヘ)にたえすうせ給しか
竇后やしなひたてまつりて御子とし給ひき御年
十歳にて位に即給太后いたきたてまつりて朝に
臨(ノゾン)て政をしたまふ
永元三年正月にみかと元服(クワンフク)したまふ
六年七月京師(ケイシ)おほきにひてりせしかはみかと洛陽に
行幸して囚徒(シウト)をしるしてゆるさるるにいまた宮へ
かへり給はさるに雨くたりき/s138r・m246
十六年二月の詔書にしきりにあめくたりて稼(カ)を
損することはなはたしこのゆへ酒を沾(ウル)ことを禁せら
るかやうの世間の損亡(ソンバウ)には酒をはまつととめらる
へきなり
元興元年冬十二月帝崩給ぬ御年二十七歳在位十
七年なり/s138l・m247

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/138?ln=ja

1)
和帝・劉肇
text/karakagami/m_karakagami5-10.txt · 最終更新: 2023/04/05 13:00 by Satoshi Nakagawa