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唐物語
第25話 漢の元帝と申す御門おはしましけり・・・(王昭君)
校訂本文
昔、漢の元帝と申す御門おはしましけり。三千人の女御・后の中に王昭君と聞こゆる人なん、華やかなることは誰にも優れ給へりけるを、「この人、御門に間近かくむつれつかうまつらば、我らさだめて物の数ならじ」と、あまたの御心にいやましく思しけり。
この時に夷(えびす)の王なりけるもの参りて申さく、「三千人までさぶらひあひ給へる女御・后、いづれにても一人給はらん」と申すに、上、みづから御覧じ尽さんことも煩ひありければ、その形を絵に描きて見給ふに、人の教へにやありけん、この王昭君の形をなん、みにくき様(さま)になむ写したりければ、夷の王給ひて、喜びひらけつつ、我が国へ具して帰るに、故郷(ふるさと)を恋ふる涙は道の露にも勝り、慣れし人々に立ち別れぬる歎きは繁き深山(みやま)の行末遥かなり。
かかるままに、ただ音(ね)をのみ泣けども、何のかひかはあるべき。
憂き世ぞとかつは知る知るはかなくも鏡の影を頼みけるかな
あはれを知らず、情け深からぬ武士(もののふ)なれども、らうたき姿にめでて、かしづきうやまふこと、その国のいとなみにも過ぎたり。かかれども、ふりにし京(みやこ)を立ち別れにしより、今に至るまで、愁への涙、乾く間もなし。
この人は、鏡の影の曇りなきをのみ頼みて、人の心の濁れるを知らず。
翻刻
むかし漢の元帝と申御門おはしましけり三千 人の女御きさきのなかに王昭君ときこゆる ひとなんはなやかなる事はたれにもすく れ給へりけるをこの人御門にまちかくむつれ つかうまつらは我らさためて物のかすならしと あまたの御こころにいやましくおほしけり この時にえひすの王なりけるものまいり て申さく三千人まてさふらひあひたまへる/m428
女御きさきいつれにてもひとりたまはらん と申にうへみつから御覧しつくさん事も わつらひありけれはそのかたちをゑにかきて 見給に人のをしへにやありけんこの王昭君の かたちをなん見にくきさまになむう つしたりけれはえひすの王給てよろこひひ らけつつ我くにへくしてかへるにふるさとを こふる涙はみちの露にもまさりなれし 人々にたちわかれぬるなけきはしけきみ山 の行すゑはるかなりかかるままにたたねをの/m429
みなけともなにのかひかはあるへき うき世そとかつはしるしるはかなくも かかみのかけをたのみけるかな あはれをしらすなさけふかからぬ物のふなれ ともらうたきすかたにめててかしつきうやま ふ事その国のいとなみにもすきたりかかれ ともふりにしみやこをたちわかれにしより いまにいたるまてうれへの涙かはくまもなし この人はかかみのかけのくもりなきをのみた のみてひとのこころのにこれるをしらす/m430
text/kara/m_kara025.txt · 最終更新: 2014/12/04 15:18 by Satoshi Nakagawa