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唐物語
第22話 楚の荘王と申す人群臣を集めて・・・
校訂本文
昔、楚の荘王と申す人、群臣を集めて、夜もすがら遊び給ひけり。その御かたはらに、あさからず思ひ聞こえさせ給ひつる后さぶらひ給ふを、人知れず、「いかでか」と思ひ奉れる臣下ありけり。
灯火の風に消えたりけるひまに、后の御袖を取りて引きたりけるを、限りなく憤り深くや思しけん、御手をさしやりて、この男の冠(かうぶり)の纓(えい)を取りて、「かかる事なん侍り。早く火を灯して、纓無からん人をそれと知らせ給へ」と申し給ふを、主(あるじ)もとより人を憐れみ情け深くおはしければ、灯火消えたるほどに、「これに侍る人々、おのおの纓を取りて奉るべし。その後(のち)火は灯すべし」と宣はするに、この男、涙もこぼれて嬉しく思えけり。かくて、灯火あきらかなれど、誰も皆纓無かりければ、その人と見えざりけり。
かかれども、この人、「いかにしてか、主の情けを報ひ奉らん」と、心のうちに思へりけるに、主、敵(かたき)の国に攻められて、危うきほどにおはしけるを、この人一人、身を捨てて戦ひければ、主勝たせ給ひにけり。このことを思はずにあやしく思して、そのゆゑを尋ね問はせ給ふに、この人申していはく、「昔、后に纓を取られ奉りて、思ひやるかたなく思しし時、誰となくまぎらはし給ひしこと、我、今に忘れ侍らず」と泣く泣く申しけり。
情けなき言の葉ならば今日までも露の命のかからましやは
主、これを聞かせ給ふにも、「なほ、人として情けあるべきことにこそ」と思しけり。
翻刻
昔楚荘王(ソノアウワウ)と申人群臣をあつめてよもす からあそひたまひけりその御かたはらにあさか らすおもひきこえさせ給つる后候給を人し れすいかてかと思たてまつれる臣下あり けりともし火の風にきえたりけるひま に后の御袖をとりてひきたりけるをか/m415
きりなくいきとをりふかくやおほしけん御て をさしやりてこのおとこのかうふりのえいをと りてかかる事なん侍へりはやく火をともし てえいなからん人をそれとしらせ給へと申給 をあるしもとより人をあはれみなさけ ふかくおはしけれはともし火きえたる程に これに侍人々をのをのえいをとりてたてまつ るへし其後火はともすへしとのたまは するにこのおとこ涙もこほれてうれしく おほえけりかくてともし火あきらかなれ/m416
とたれもみなえいなかりけれはその人とみえ さりけりかかれともこの人いかにしてかあるし のなさけをむくひたてまつらんと心のうち におもへりけるにあるしかたきのくににせめ られてあやうきほとにおはしけるをこの人 ひとり身をすててたたかひけれはあるし かたせ給にけりこの事をおもはすにあや しくおほしてそのゆへをたつねとはせ給に この人申ていはくむかし后に纓をとられた てまつりておもひやるかたなくおほしし/m417
時たれとなくまきらはし給し事我いまに わすれ侍らすとなくなく申けり なさけなきことの葉ならはけふまても 露のいのちのかからましやは あるしこれをきかせ給にもなを人としてなさ けあるへき事にこそとおほしけり/418
text/kara/m_kara022.txt · 最終更新: 2014/12/03 11:05 by Satoshi Nakagawa