十訓抄 第四 人の上を誡むべき事
4の8 九条殿右大将にておはしけるころ、讃岐三位の聟にとり奉りて・・・
校訂本文
九条殿1)、右大将にておはしけるころ、讃岐三位2)の聟にとり奉りて、あつかひ聞えけるに、つねに和歌の沙汰ありけり。清輔朝臣3)参りて、物語のついでに、「一日、顕昭法師、語り侍りしは、土佐大将4)、流され給ひける日、陪従惟成、送りに参りたりけるに、蒼海波といふ秘曲を教へ給ふとて、
教へをくことを形見に忍ばなん身は青海の波に流れん
と詠まして侍りける。管絃のみならず、和歌に優にこそ侍りぬれ」と言ひ出だされたりけるに、ある人、「『さうがいは5)』といふものこそ聞き及び侍らね。いづれの文字ぞ」と問はれけるを、「あをうみの波と書きたり」と答ふ。「さては、青海波のことにこそあんなれ」とて、どよみ笑ふ。清輔朝臣の云く、「青海波知らぬ人やは有るべき。あらぬ曲なり」と言へども、人、さらに用ひず。
その後、主の三位しも、「さる曲もあらん。その道の人に尋ねらるべし」とて、大将殿の琵琶の師にて、なにがしとかや申しけるに、このことを問はる。かれ、はばかりて、しばしためらひけるを、ありのままに言はるべきよし、しきりにすすめられければ、とばかりして、「絶えたるものにて候へば、無きがごとくに候ふ」と聞こえける。「さては6)、あるるにこそ」。「あれは、昔は候ひけり。掻手・片垂・水羽瓶・蒼海波、これら、みな秘曲なりけれど、絶えたれば、大将も琴柱(ことぢ)の立てやうなどを教へ給ひけると承り侍るなり」と聞こゆ。
ある人、「まことにも、手は候ふか」と問はれければ、「みな候ふなり。琵琶にならひて候ひけれど、今は絶えて侍るなり」と聞こゆ。力なくて笑ひやみにけり。かの人々、悔しく恥かしくこそ思えけめ。
後に、かの琵琶の師、二条院に参り会ひたりけるに、「蒼海波の論の時、御恩蒙(かうぶ)りて候ひしこそ、忘れがたく侍れ」とて、清輔言はれける。
この曲は、琴に易水曲といふものの声を、箏にうつしたるなり。盤渉調の音なり。
翻刻
九条殿右大将ニテオハシケル頃、讃岐三位ノ聟ニトリ 奉リテ、アツカヒ聞エケルニ、常ニ和哥ノ沙汰有ケリ、清/k158
輔朝臣参テ物語ノ次ニ、一日顕昭法師語侍シハ、土佐大 将流サレ給ケル日、陪従惟成送リニ参タリケルニ、蒼海 波ト云秘曲ヲ教給トテ、 ヲシヘヲクコトヲ形見ニ忍ハナン、身ハアヲ海ノナミニナカレン トヨマシテ侍ケル、管絃ノミナラス、和哥ニ優ニコソ侍ヌ レト云出サレタリケルニ、或人蒼海波ト云物コソ聞及 侍ラネ、何ノ文字ソト問レケルヲ、アヲウミノ波ト書タ リト答フ、サテハ青海波ノ事ニコソアンナレトテトヨ ミ咲フ、清輔朝臣ノ云ク、青海波知ヌ人ヤハ有ヘキ、アラヌ 曲也トイヘトモ、人更用ヒス、其ノ後主ノ三位シモ、サル曲モ/k159
有ラン其道ノ人ニ尋ラルヘシトテ、大将殿ノ比巴ノ師ニ テ、ナニカシトカヤ申ケルニ、此事ヲトハル、カレ憚テ暫タ メラヒケルヲ、有ノママニイハルヘキ由頻ニススメラレケレハ、ト ハカリシテ絶タル物ニテ候ヘハ、無カ如ニ候ト聞エケル、 サテ□有ニコソアレハ昔ハ候ケリ、掻手片垂水羽瓶蒼 海波、是等皆秘曲ナリケレト、絶タレハ大将モコトチノ タテヤウナトヲ教給ケルト承侍也ト聞ユ、或人マコ トニモテハ候カト問レケレハ、皆候ナリ、比巴ニナラヒテ 候ケレト、今ハ絶テ侍也ト聞ユ、力ナクテ咲止ニケリ、 彼人々悔クハツカシクコソ覚エケメ、後ニ彼比巴ノ師/k160
二条院ニ参アヒタリケルニ、蒼海波ノ論ノ時御恩カウ フリテ候シコソ、忘カタク侍トテ、清輔云レケル、此曲ハ 琴ニ易水曲ト云物ノ声ヲ、箏ニウツシタル也盤 渉調ノ音也、/k161