text:ise:sag_ise043
第43段 昔高陽の親王と申す親王おはしましけり・・・
校訂本文
昔、高陽(かや)の親王(みこ)1)と申す親王おはしましけり。その御子、女を思し召して、いとかしこく恵みつかう給ひけるを、人なまめきてありけるを、「われのみ」と思ひけるを、また人、聞きつけて文(ふみ)やる。郭公(ほととぎす)の形(かた)を描きて、
郭公汝(な)が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから
と言へり。この女、気色をとりて、
名のみ立つしでの田長(たをさ)はけさぞ鳴く庵(いほり)あまたとうとまれぬれば
時は五月(さつき)になむありける。男、返し、
庵多きしでの田長は名を頼むわが住む里に声し絶えずは
翻刻
むかしかやのみこと申すみこおはし ましけりそのみこ女をおほしめして いとかしこくめくみつかう給ひける を人なまめきてありけるをわれのみと おもひけるを又ひとききつけてふみやる ほとときすのかたをかきて 郭公なかなくさとのあまたあれは なをうとまれぬおもふものから/s52r
といへりこの女けしきをとりて 名のみたつしてのたおさはけさそなく いほりあまたとうとまれぬれは 時はさ月になむありけるおとこ返し いほりおほきしてのたおさはなをたのむ わかすむさとにこゑしたえすは/s52l
1)
桓武天皇第七皇子
text/ise/sag_ise043.txt · 最終更新: 2024/01/04 21:11 by Satoshi Nakagawa