今物語
第19話 後白河院の御時日吉社に御幸ありて一夜御泊りありて・・・
校訂本文
後白河院の御時、日吉社に御幸ありて、一夜御泊りありて、次の日、御下向ありけるに、雨の降りければ、御車近うつかまつりける上達部の中に、
昨日(きのふ)日よしと思ひしものを
といふ連哥の出で来たりけるを、大方(おほかた)付くる人なくて、ほど経(へ)ければ、左馬権頭なりける人の、遥かに先なりけるを召し返して、「これ付けよ」と仰せ事ありければ、ほどなく、
今日はみな雨ふるさとへ帰るかな
と付けたりければ、「やすかりけることを、口惜しくも思ひよらざりける」と、人々言ひ合へりける。1)
この左馬権頭、賀茂の臨時祭の舞人なりけるに、暁、使ひなりける人をうち具して、還立(かへりだち)に参りけるに、雪いたう降りて、袖に溜りたりけるを見て、
青摺(あをずり)の竹にも雪は積りけり
と言ひたりけるに、使ひなりける人は付けざりければ、秦兼任、人長にてうち具してけるが、馬をうち寄せうち寄せ気色ばみければ、「兼任が付けたると思ゆ思ゆるぞ」と言はれて、「下臈はいかでか」とはばしく言ひけるを、なほ責め問はれて、
色はかざしの花にまがひて
と付けたりける。まことに兼久・兼方などが子孫と思えて、いとやさしかりける。
翻刻
後白河院の御時日吉社に御幸ありて一夜御とまり
ありて次の日御下向有けるに雨のふりけれは御車
ちかうつかまつりけるかんたちめのなかに
昨日々よしとおもひしものを
といふ連哥の出来たりけるをおほかたつくる人なくて
ほとへけれは左馬権頭なりける人のはるかにさきなり
けるをめしかへしてこれつけよとおほせことありけれは
ほとなく
けふはみな雨ふるさとへかへるかな
とつけたりけれはやすかりけることを口をしくもおもひ
よらさりけると人々いひあへりける
この左馬権頭賀茂の臨時祭の舞人なりけるに/s14r
あかつきつかひなりける人をうち具してかへりたちに
まいりけるに雪いとうふりて袖にたまりたりけるをみて
あをすりの竹にも雪はつもりけり
といひたりけるにつかひなりける人はつけさりけれは
秦兼任人長にてうち具してけるかむまをうちよせうちよせ
けしきはみけれは兼任かつけたるとおぼゆるそと
いはれて下臈はいかてかとははしくいひけるを猶せめ
とはれて
色はかさしの花にまかひて
とつけたりけるまことにかねひさかねかたなとか子孫と
おほえていとやさしかりける/s14l