text:ichigonhodan:ndl_ichigon104
一言芳談抄 巻之下
104 同上人最後の所労の時云はく僧都御房の仏助け給へと思ふほかは・・・
校訂本文
同上人1)、最後の所労(しよらう)の時云はく(死期三日已前2))、「僧都御房(そうづごばう)3)の、『仏助け給へと思ふほかは、要(えう)にあらず』と仰せられし、『こともや』と思ひしが、今こそ思ひ知らるれ4)。不浄観(ふじやうくわん)も平生(へいぜい)の時のことなり。東城寺の阿耨房(あのくばう)が、『式の法文を習はば、猿楽をするにてこそあれ』と言ひけるも、今は思ひ知らるる」云々。
翻刻
同上人(とうしやうにん)最後(さいご)の所労(しよらう)の時(とき)云(死期(しご)三日/已前(いぜん))僧都御房(そうづごばう)の仏(ほとけ) 助(たすけ)給へと。思他(おもふほか)は要(よう)にあらすと。被仰(おほせられ)し事もやと。思ひ しが。今(いま)こそおもひしらざれ。不浄観(ふじやうくはん)も。平生(へいぜい)の時(とき)の こと也。東城寺(とうじやうじ)の阿耨房(あのくはう)か。式(しき)の法文(ほうもん)を習(ならは)ば猿楽(さるがく)を するにてこそあれと云けるも。今(いま)は思知(しら)るる云々/ndl2-14l
text/ichigonhodan/ndl_ichigon104.txt · 最終更新: 2023/10/28 11:05 by Satoshi Nakagawa