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text:hosshinju:h_hosshinju7-12

発心集

第七第12話(87) 心戒上人、跡を留めざる事

校訂本文

近く、心戒坊1)とて、居所も定めず、雲風に跡をまかせたる聖あり。俗姓は花園殿2)の御末とかや。八島の大臣(おとど)3)の子にして、宗親とて、阿波守になされたりし人なるべし。

そのかみは、いかなる心かありけん、平家亡びて、世の中目前に跡形なく、あだなりしに、心を発(おこ)して、もとより世をそむける仏性坊といふ聖にあひ伴ひて、高野に籠り居て、年久しく行なはれけり。

その後、大仏の聖4)、唐(もろこし)へ渡りけるを、たよりに付きて渡る。かの国に年ごろありて、行ひけるありさまも世の常のことにあらず。ひとへに身命を惜しまず、ある時は、樹下座禅とて、同行三人具して、深山(しんざん)に入りて、草引き結ぶほとの用意だになくて、ひとへに雨露に身をまかせつつ、四・五十日と行ひければ、今二人はえ堪へずして、捨てて出でにけりとぞ。

その後、この国へ還りて、「都辺(みやこへん)はことにふれて住みにくし」とて、常にはゑひすか・あくろ5)・津軽・壺碑(つぼのいしぶみ)なんどいふ方にのみ住まれけるとかや。

妹あまたおはしけるに、天王寺6)に理円坊とて住み給ふは、昔、建礼門院7)に八条殿と聞こえし人なるべし。かの聖のありさま、山林にまどひ来て、跡を求めず。さとばかり、ほのぼの聞こゆれど、近ごろは対面などせらるる便りもなければ、いかでかおはすらん。知らず。

ひたすら昔語りに過ぎ給ひけるに、この二三年が先に、思ひよらぬほどに、世にゆゆしげなる人の入り来るあり。童部(わらんべ)あまた後(しり)に立てて、「物狂ひ」と笑ひののしる。

その様を見れば、人にもあらず、痩せ黒みたる法師、紙衣(かみぎぬ)の、汚なげにはらはらと破れたる上に、麻の衣の、ここかしこ結ひ集めたるを、わづかに肩にかけつつ、片かた破れ失せたる檜笠(ひのきがさ)を着たり。「あないみじ。こは何者の様ぞ」と思ふほどに、年ごろおぼつかなく心にかかる心戒坊なりけり。

これを見るに、目も暗れて、あはれに悲しきこと限りなし。まづ、さてまぢかく見んこともかはゆき様なれば、古き物ども脱ぎ捨てなんどして後なむ、閑かに年ごろのいぶせさも語られける。「今は年もたかくなり給ひたり。行ふべきほどは勤めて過ぎ給ひぬ。いづこにもしづまりて、念仏など申されよ」と、ねんごろにいさめて、山崎に庵一つ結びて、小法師一人付けて、その用意など、かの妹(いもと)の沙汰し送られければ、主従ながら月日を過ごしけるほどに、ある時、河内の弘川(ひろかは)に住む聖とかや、尋ねて来けり。

これも対面(たいめん)して、夜もすがら物語せられけるを、この小法師、物を隔てて聞けば、「かくてもなほ、後世は必ず修すべしとも思えず。ことにふれて障りあり。ただ、もとありしやうに、いづくともなくまどひ歩(あり)き、いささかも心を汚さじと思ふ」など語りければ、「あやし」と思ひけれど、たちまちにあるべきこととも思はで過ぐるほどに、その後、四・五日ありて、いづくともなく失せにけり。

この小法師、心ある者にて、いと悲しく思えて、泣く泣く尋ね行きけれど、いづくをはかりともなし。「ありし夜の物語の中に、丹波の方へとやらん、声先(こはさき)ばかり、わづかに聞きしものを」と思ひ出でて、志のあまり尋ね行きけるほどに、穴太(あなう)といふ所にて尋ね合ひにけり。

聖、思えず、あきれたる気色にて、「いかにして来たるぞ」と言ひければ、「日ごろもさるべきにてこそつかうまつりつらめ。いかなる御ありさまにても、御伴申し候はん」なむど、志深く聞こゆ。「志はいといとありがたく、あはれなり」。しかあれど、いかにもかなふまじき由、もて離れて、まさしく違ひぬべきやうなりければ、力なくて帰りける。後、さらにその行末も知らずなむ侍りし。

いと尊く、今の世にもかかるためしも侍れば、これを聞きて、わが心のおろかなることをも励まし、及びがたくとも、乞ひ願ふべきなり。

ここに、ある人のいはく、「かくのごとくの行、われらが分にあらず。一には身弱くして、病おこりぬべし。一には、衣食ともしからば、なかなか心乱れてむ。身を全くし、心を静めめて、のどかに念仏せんにはしかじ」と言ふ。

これ、ひとへに志浅く、道心少なきゆゑなり。実心(じつしん)おこらずは、仏法かなひがた し。露命は消えやすし。一念にて他事を思ふべからす。片時(へんし)なりとも恐れたらんこと、毒蛇のごとくに捨て、この身をば水の源と厭ふべし。かかれば、わざもこの身を仏道のために投げて、不退の身を得んとこそ思えけれ。

病おこりて、死なんに至りては、思ひあるべき身かは。悪業の依身(えしん)なり。不浄の庫蔵(こざう)なり。つひに道の辺(ほとり)の土となるべし。しばしいたはりて、何かせん。いかにも衣食は生得(しやうとく)の報なり。天運にまかせてもあり。

病はまた習(しふ)にしたがふ。いたはるとても必ずしも去らず。富める人の衰へたる様を見るに、豊かなる時、衣を厚く着て、薬を服して、壁代(かべしろ)を引き、さまざま身をいたはるには、常に風熱きほひ発(おこ)りて、神心やすきことなし。この人、貧しくなりて、飢寒身を悩まし、服薬心にかなはず、もろもろの悪事、折につけつつみな身を犯す。

昔のごとくならば、たちまちに病おこりて死ぬべけれども、かやうに身を捨つる後は、病もしたがひて去りぬ。これすなはち、身は習はしのものなる上に、運命限りあるゆゑなるべし。いはんや、仏力むなしからずは、何の病か競はん。職感8)ならば、身も強きことを得てん。

すべて厭へど、死す。惜しめども、たもたれざるはこの身なり。たまたま仏法にあひ奉り、決定往生すべき道を聞きながら、仮の身をいたはり、五欲につながれて、一期を暮らす。はかなきことにはあらずや。

かの阿弥陀如来の悲願は、われらが往生の業、勧門につきてうち聞くこそ、やすき様なれど、よく思へば、無始よりこのかた、輪廻生死の地をあらためて、大乗善根の境、快楽不退の国に生れんことは、心を発(おこ)して励まずは、さすがに遂げがたくこそ侍らめ。しかるを、今の世の習ひ、わづかに散心念仏ばかりを行として、知りがたき臨終正念を期し、かたへの往生人の宿善・内徳を知らず、たやすくわが分に思へり。これはいと愚かなることにこそ。

うち思ふには、五逆の罪人、一念の称名なほ引摂(いんぜふ)にあづかる。などか、望みをかけざらんこととこそは思ゆれ。されど、かの極悪を作るは、即心(そくしん)の猛きより起ることなれば、思ひかへす時もまた、強盛(がうじやう)なるべし。一念に証を得ることは、また命終に臨んで、それ、強くおこるがゆゑなり。

われらが類(たぐ)ひは、もとより心弱くつたなくして、きらきらしき罪をもえ作らず。げにげにしく懺悔を修するにあらざれば、熾盛の心もなし。愚痴闇鈍にして、泥を切るがごときなるなり。

もし、心を深く発(おこ)して、「このたび決定往生を遂げん」と思ふ人は、早く名利を厭ひ、身命を捨てて、ねんごろに勤め、常に願ふべし。水を渡る者、手を休めつれば、溺れて死す。火を切る者、力を入ざれば、得ることなし。往生極楽も、またかくのごとし。一心に励み勤めて、ゆめゆめおこたることなかれ。

もし、世執なほ尽きずは、静かにこの身のありさまを思ひ解くべし9)。大方、この身は、有にもあらず、また、久しく留むべきものにもあらず。すずろに化生するものにもあらず。ただ、流来生死の夢の内、因縁おのづから和合して、仮に業報の形の顕はれたるばかりなり。いはば、旅人の一夜の宿を借るがごとし。これに何の会着かあるべき。かかれば、「形は常の主なし。魂は常の家なし」と言へるなり。

この身は、かくあだなるものなれど、しかも、わが心、賢く愚かにしたがひて、仇敵(あたかたき)ともなり、また善知識ともなるべし。

ある経にいはく、「人一日を経るに、八億四千の思ひあり。一々の思ひ、罪業にあらずといふことなし」と言へり。一年二年にもあらず、もしは一生にも限らず。無始よりこのかた、積るらんほど、限りもなし。この罪、影のごとく身にそひて、たとひ非想非々想の頂(いただき)に生まるといふとも、なほ離れずして、その報(むくひ)尽きぬる時、三途の旧里は具して行くなり。

この罪の深しといふ、何ぞ。みな、わが身を思ひしゆゑなり。この身、罪の根元として、心のためには、仇敵(あたかたき)なれども、しばしも生けるほどは、ねんごろにあひ思へり。命尽きて後、すなはち身をば山に捨つるに、むなしく鳥獣の食となり、また、心独り冥途におもむく時、「何しに、もてはてざりける身を思ふ」とて、「もろもろの罪を作りて、かくからき目を見るらん」と、恨めしく悔しけれども、すべてて、何のかひかはある。

雑阿含10)の中に、譬へを取りていはく、「人のもとに一人の奴(やつこ)あり。万(よろづ)のわざ心にかなひて、一つも欠くことなし。主(あるじ)、ひとへにこれをあひ頼みて、朝夕あはれみはごくむ。彼が好み願ふこと、着る物・食ひ物より始めて、はかなき遊び・戯れに至るまで、みなかなへり。「乏(とも)しきことあらせじ」と心を尽し、いとなむよりほかのことぞなき。しかるを、この奴、年ごろ敵の謀(たばか)りて付けたりける使なれば、主の志を思ひ知らんや。隙をはからひつつ、たちまちに主を殺して去りぬ」。

奴といふはわが身なり。主といふは心なり。心のおろかなるゆゑに、仇敵(あたかたき)なる身を知らずして、宿善の命を失なひ、悪趣に堕することを言へり。

昔、目連尊者、広野を過ぎ給ひけるに、恐しげなる鬼、槌(つち)を持ちて、白き骸(かばね)を打つあり。あやしく思して問ひ給ふに、答へていはく、「これは、おのれが前(さき)の生の身なり。われが世に侍りし時、この骸を得しゆゑに、物に貪(とん)じ、物を惜しみて、多くの罪を造りて、今、餓鬼の身を受けたり。苦を受くるたびに、この骸の妬う恨めしければ、常に来て打つなり」と言ふ。

これを聞き終りて、なほ過ぎ給ふほどに、ある所に、えもいはぬ天人来て、骸の上に花を散らす。またこれを問ふに、天人、答へていはく、「これは、すなはちわが前の身なり。この身に功徳を造りしによりて、今、天上に生まれて、もろもろの楽を受くれば、その報ひせむがために来て、供養するなり」とぞ答へ侍る。

かかれば、ひたすら身の恨めしかるべきにもあらず。善悪にもしたがひて、大きなる知識となるべきなり。かの兜率の覚超僧都は、月輪観を修して、証を得たる人なり。その観文の奥には、「たとひ紫金の妙体を得たりとも、かえつて黄壌の旧骨を拝せん」とぞ、書かれて侍りけり。

まことに道心あらん人のためには、この身ばかり尊く、うれしかるべきものなし。これら理を思ひ解きて、身命を仏道のために惜しまずは、ことさらに、自理・懺悔を修せずとも、六度の難行を経尽さずといふとも、波羅蜜の功徳もおのづから備はりぬべし。

翻刻

  心戒上人不留跡事
近ク心戒坊トテ居所モサダメズ。雲風ニ跡ヲマカセ
タル聖アリ。俗姓ハ花園殿ノ御末トカヤ。八嶋ノオ/n22r
トトノ子ニシテ宗親トテ阿波守ニナサレタリシ人
ナルベシ。昔年ハイカナル心カアリケン。平家ホロビテ世
ノ中目前ニ跡カタナク。アダナリシニ心ヲ発シテ。モト
ヨリ世ヲソムケル仏性坊ト云聖ニ逢トモナヒテ高野
ニ籠居テ年久オコナハレケリ。其後大仏ノ聖唐ヘ
渡ケルヲ。タヨリニツキテ。ワタル。彼国ニ年比アリテ
行ヒケル有様モ世ノ常ノ事ニアラス。偏ニ身命
ヲ惜ス。或時ハ樹下坐禅トテ同行三人具シテ深
山ニ入テ草引ムスブホトノ用意ダニナクテ。偏ニ雨
露ニ身ヲマカセツツ。四五十日ト行ヒケレバ。今二人/n22l
ハエ堪ズシテ捨テ出ニケリトソ。其後此国ヘ還テ都
辺ハ事ニフレテ住ニクシトテ。常ニハヱヒスカ。アクロ。
津軽。壺碑ナンド云方ニノミ住レケルトカヤ。妹アマ
タオハシケルニ。天王寺ニ理円坊トテ住給ハ。昔建
礼門院ニ八条殿ト聞ヘシ人ナルベシ。彼聖ノアリサマ
山林ニマドヒ来テ跡ヲモトメズ。サト計ホノホノ聞ユレ
ド近比ハ対面ナドセラルル便モナケレバ。イカデカ
オハスラン知ス。ヒタスラ昔語ニ過給ケルニ。此二三年
ガ先ニ思ヨラヌ程ニ世ニユユシケナル人ノ入来アリ。
童部アマタ後ニタテテ物クルイト笑ノノシル其様ヲ/n23r
見レバ。人ニモアラズ痩クロミタル法師紙キヌノキタ
ナゲニハラハラト破タル上ニ麻ノ衣ノ爰カシコ結ヒ
集メタルヲ僅ニ肩ニカケツツ片カタ破レウセタル檜
笠ヲキタリ。アナイミジ。コハ何者ノ様ソト思フ程
ニ年来覚束ナク心ニカカル心戒坊ナリケリ。是ヲ
見ニ目モクレテ哀ニカナシキ事限ナシ。先サテマ
ヂカク見ン事モカハユキ様ナレバ。古キ物ドモヌキ
捨ナンドシテ後ナム閑ニ年比ノイブセサモ語レケ
ル。今ハ年モタカク成給タリ。行フベキ程ハツトメテ
過給ヌ。イヅコニモシヅマリテ念仏ナド申サレヨト/n23l
念比ニイサメテ山崎ニ菴一結ヒテ小法師一人ツケテ
其用意ナド彼イモトノ沙汰シ。ヲクラレケレバ主従
ナガラ月日ヲ過シケル程ニ。或時河内ノヒロカワニ
住聖トカヤ尋テ来ケリ。是モ対面シテ終夜物
語セラレケルヲ。此小法師物ヲヘダテテ聞バ。カクテモ
猶後世ハ必ス修スベシトモ覚ヘズ。事ニフレテ障ア
リ。只モト在シヤウニ。イヅクトモナクマドヒアリキ。聊
モ心ヲケガサジト思ナドカタリケレバ。アヤシト思
ケレド忽ニアルベキ事トモ思ハテ過ル程ニ。其後
四五日アリテイヅクトモナク失ニケリ。此小法師/n24r
心アル者ニテ。イト悲ク覚テ泣々尋行ケレドイツ
クヲハカリトモナシ。アリシ夜ノ物語ノ中ニ丹波ノ方
ヘトヤラン。コハサキ計ワヅカニ聞シ物ヲト思出テ志ノ
アマリ尋行ケル程ニ。穴ウト云所ニテ尋合ニケリ。聖
オホヘズアキレタル気色ニテ。イカニシテ来ゾト云ケ
レバ日来モサルベキニテコソ仕マツリツラメ。イカナル
御有様ニテモ御伴申候ハンナムド志深クキコユ。
志ハイトイト難有哀レナリ。シカアレド。イカニモ叶フ
マジキ由モテハナレテ正ク違ヌベキ様ナリケレバ
力無テカヘリケル。後更ニ其行末モシラズナム侍/n24l
シ。イト尊ク今ノ世ニモカカルタメシモ侍レハ是ヲ聞
テ我心ノヲロカナル事ヲモ励シ。及ガタクトモコヒネガ
フベキナリ。爰ニ或人云如此ノ行我等カ分ニアラス。一
ニハ身ヨハクシテ病オコリヌベシ。一ニハ衣食トモシカ
ラバ中々心ミダレテム。身ヲ全クシ心ヲシヅメテノ
ドカニ念仏センニハシカジト云。是ヒトヘニ志アサク。
道心スクナキ故ナリ。実心オコラズハ仏法合ガタ
シ。露命ハキヘヤスシ一念ニテ他事ヲ思フベカラス。
片時ナリトモ恐タラン事毒蛇ノ如ニ捨。此身ヲハ
水ノミナモトトイトフベシ。カカレハ態モ此身ヲ仏道/n25r
ノ為ニナゲテ不退ノ身ヲ得ントコソ覚ヘケレ。病オコ
リテ死ンニ至テハ。思アルベキ身カハ。悪業ノ依身ナリ。
不浄ノ庫蔵ナリ終ニ道ノ辺ノ土トナルベシ。シバシイ
タハリテ何カセン。イカニモ衣食ハ生得ノ報ナリ。天運
ニマカセテモアリ。病ハ又習ニシタガフ。イタハルトテモ必
スシモ去ズ。冨人ノオトロヘタル様ヲ見ルニ。ユタカナル
トキ衣ヲ厚キテ薬ヲ服シテカベシロヲヒキ。様々身
ヲイタハルニハ。常ニ風熱キヲヒ発リテ神心ヤスキ事
ナシ。此人マヅシクナリテ飢寒身ヲナヤマシ服薬心
ニカナハズ諸ノ悪事オリニツケツツ皆身ヲオカス。/n25l
昔ノ如クナラバ忽ニ病起リテ死ヌベケレドモ。カ様ニ身
ヲ捨ル後ハ病モシタカヒテサリヌ。是則身ハナラハシノ
物ナルウヘニ運命カギリアル故ナルベシ。況ヤ仏力ム
ナシカラズハ何ノ病カ競ハン。職感ナラハ身モツヨキ
事ヲ得テン。スベテイトヘド死ス惜トモタモタレザルハ
此身ナリ。タマタマ仏法ニアヒ奉リ決定往生スベキ
道ヲ聞ナガラ仮ノ身ヲイタハリ。五欲ニツナガレテ
一期ヲクラス。ハカナキ事ニハアラズヤ。彼阿弥陀如
来ノ悲願ハ我等カ往生ノ業勧門ニツキテ打聞
コソ。ヤスキ様ナレド能思ハ無始ヨリ以来輪廻生/n26r
死ノ地ヲアラタメテ大乗善根ノ境快楽不退ノ国ニ
生レン事ハ心ヲ発シテ励ズハ。サスガニ遂ガタクコソ
侍ラメ。シカルヲ今ノ世ノ習ヒ。ワヅカニ散心念仏ハ
カリヲ行トシテ難知臨終正念ヲ期シ。カタヘノ往
生人ノ宿善内徳ヲシラズ。輙ク我分ニ思ヘリ。是ハイ
ト愚ナル事ニコソ。打思ニハ五逆ノ罪人一念ノ称名
ナヲ引摂ニ預ル。ナドカ望ヲカケザラン事トコソハ
オホユレ。サレド彼極悪ヲツクルハ即心ノタケキヨリ
起ル事ナレバ思カヘス時モ又強盛ナルベシ。一念ニ証
ヲ得ル事ハ又命終ニ臨デソレ強クオコルカ故ナリ。/n26l
我等カ類ハ元来心ヨハクツタナクシテ。キラキラシキ罪
ヲモ。エ作ラス。ケニケニシク懺悔ヲ修ニアラザレバ。熾
盛ノ心モナシ。愚痴闇鈍ニシテ。泥ヲキルガコトキナル
也。若心ヲ深ク発シテ此度決定往生ヲ遂ント思フ
人ハ早ク名利ヲイトヒ身命ヲ捨テ念比ニツトメ。
常ニ願フベシ。水ヲ渡モノ手ヲヤスメツレバ溺テ死ス。火
ヲ切モノ力ヲ入ザレハ得事ナシ。往生極楽モ又如此
一心ニハゲミ勤テユメユメオコタル事ナカレ。若世執猶
ツキズハ静ニ此身ノアリサマヲ思クトクヘシ。大方此
身ハ有ニモ非ス。又久ク可留物ニモ非ス。スズロニ化生/n27r
スル物ニモ非ス。只流来生死ノ夢内因縁自ラ和合
シテ仮ニ業報ノ形ノ顕タル計ナリ。云バ旅人ノ一
夜ノ宿ヲカルカ如シ。是ニ何ノ会著カアルベキ。カカレ
バ形ハ常ノ主ナシ魂ハ常ノ家ナシト云ルナリ。此
身ハカクアダナル物ナレド。而我心カシコク愚ニシタ
カヒテ。アタカタキトモナリ。又善知識トモ成ヘシ。
或経ニ云人一日ヲ経ニ八億四千ノ思アリ。一々ノ思
罪業ニ非ト云事ナシト云リ。一年二年ニモ非ズ若
ハ一生ニモ不限。無始ヨリ以来ツモルラン程カキリモ
ナシ。此罪如影身ニソヒテ。タトヒ非想非々想ノ頂/n27l
ニ生ト云トモ猶離レズシテ其報ツキヌル時。三途ノ
旧里ハ具シテ行ナリ。此罪ノ深ト云。何ソ皆我身ヲ
思シ故ナリ。此身罪ノ根元トシテ心ノ為ニハ。アタ敵
ナレトモ。シバシモイケル程ハ懇ニ相思ヘリ。命ツキテ
後則身ヲバ山ニ捨ルニ。ムナシク鳥獣ノ食トナリ。又
心独冥途ニ趣ク時何シニ。モテハテザリケル身ヲ思
トテ。諸ノ罪ヲ作リテ。カクカラキ目ヲ見ラント。ウ
ラメシク悔シケレトモ。惣テ何ノ甲斐カハアル。雑阿含
ノ中ニ譬ヲ取テ云。人ノモトニ独ノ奴アリ。万ノワザ
心ニ叶ヒテ一モカク事ナシ。主偏ニ是ヲ相タノミテ/n28r
朝夕哀ミハゴクム。カレカ好ミネガフ事キル物クヰ物
ヨリ始テ。ハカ無キ遊ビ戯ニ至マテ皆カナヘリ。トモシ
キ事アラセジト心ヲツクシイトナムヨリ外ノ事ゾ
ナキ。シカルヲ此奴年来敵ノタバカリテツケタリ
ケル使ナレバ。主ノ志ヲ思シランヤ。隙ヲ。ハカラヒツツ
忽ニ主ヲ殺テ去ヌ。奴ト云ハ我身ナリ。主ト云ハ
心ナリ。心ノヲロカナル故ニ。アタカタキナル身ヲシラ
ズシテ宿善ノ命ヲウシナヒ悪趣ニ堕スル事ヲ
イヘリ。昔目連尊者広野ヲ過給ケルニ。ヲソロシゲ
ナル鬼ツチヲ持テ白キ骸ヲ打アリ。アヤシクオボシ/n28l
テ問給ニ。答テ云此ハヲノレカ前ノ生ノ身ナリ。我カ
世ニ侍シ時。此カバネヲ得シ故ニ物ニ貪ジ物ヲ惜
テ多ノ罪ヲ造テ今餓鬼ノ身ヲ受タリ。苦ヲウ
クル度ニ此カバネノ妬ウラメシケレバ。常ニ来テ打ナ
リト云。是ヲ聞。ヲハリテ猶過給程ニ或所ニエモイ
ハヌ天人来テ骸ノ上ニ花ヲチラス。又是ヲ問ニ天
人答テ云。是ハ即我前ノ身ナリ。此身ニ功徳ヲ造
シニヨリテ今天上ニ生テ諸ノ楽ヲウクレバ。其報セ
ムカ為ニ来テ供養スルナリトゾ答侍ル。カカレバヒ
タスラ身ノウラメシカルベキニモアラズ。善悪ニモ/n29r
シタガヒテ大ナル知識トナルベキナリ。彼都率ノ覚
超僧都ハ月輪観ヲ修シテ証ヲ得タル人ナリ。其観
文ノ奥ニハ縦紫金ノ妙体ヲ得タリトモ返テ黄壌ノ
旧骨ヲ拝セントゾ。カカレテ侍ケリ。実ニ道心アラン人
ノ為ニハ。此身バカリ尊クウレシカルベキ物ナシ。是等
理ヲ思ヒ解テ。身命ヲ仏道ノ為ニヲシマスハ。コトサ
ラニ自理懺悔ヲ修セズトモ。六度ノ難行ヲ経ツ/n29l
1)
平宗親の法名
2)
源有仁
3)
平宗盛
4)
俊乗坊重源
5)
「ゑひすか・あくろ」不明。底本「所ノ名」と傍書あり
6)
四天王寺
7)
平徳子
8)
熾盛の誤りか。
9)
「思ひ解くべし」は底本「思クトクヘシ」。諸本により訂正。
10)
雑阿含経
text/hosshinju/h_hosshinju7-12.txt · 最終更新: 2017/08/03 10:13 by Satoshi Nakagawa