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text:hosshinju:h_hosshinju1-07

発心集

第一第7話(7) 小田原教壊上人、水瓶を打ち破る事 付、陽範阿闍梨、梅の木を切る事

校訂本文

小田原といふ寺に、教壊聖人1)といふ人ありけり。後には高野に住みけるが、新しき水瓶2)の、やうなども思ふやうなるをまうけて、ことに執し思ひけるを、縁にうち捨てて、奥の院へ参りにけり。

かしこにて、念誦なんどして、一心に信仰しける時、この水瓶を思出して、「あだに並べたりつるものを。人や取らむ」と不審(ふしん)にて、心、一向にもあらざりければ、よしなく思えて、返るや遅きと、雨垂りの石畳の上に並べて、打ち砕き捨ててけり。((底本、「私云水瓶は金瓶といへり」と割注あり。)

また、横川に、尊勝の阿闍梨陽範といひける人、めでたき紅梅を植ゑて、またなきものにして、花盛りにはひとへにこれを興じつつ、みづから人の折るをも、ことに惜しみ、さいなみけるほどに、いかが思ひけん、弟子なんどもほかへ行きて、人も無かりけるひまに、心もなき小法師の独り有けるを呼びて、「斧(よき)やある。持て来よ」と言ひて、この梅の木を、土ぎはより切つて、上に砂(いさご)うち散らして、跡形なくて居たり。

弟子、帰りて、驚き怪しみて、故(ゆゑ)を問ひければ、ただ、「よしなければ」とぞ答へける。

これらは、みな、執をとどめることを恐れけるなり。教壊も、陽範も、ともに往生を遂げたる人なるべし。まことに、仮の家にふけりて、長き闇に迷ふこと、誰かは、「愚かなり」と思はざるべき。

しかれども、世々生々(せぜしやうじやう)に、煩悩のつぶね・やつことなりける習ひの悲しさは知ながら、我も人も、え思ひ捨てぬなるべし。

翻刻

  小田原教壊上人打破水瓶事(付陽範阿闍梨切梅木事)
小田原ト云寺ニ教壊聖人ト云人アリケリ。後ニハ高
野ニスミケルカ新シキ水瓶ノ様ナトモ思様ナルヲ儲テ
殊ニ執シ思ケルヲ。縁ニ打捨テ奥ノ院ヘ参ニケリ。
彼ニテ念誦ナンドシテ一心ニ信仰シケル時此水
瓶ヲ思出シテアダニ並タリツル物ヲ人ヤ取ラムト
不審ニテ心一向ニモ非ザリケレバ。由ナク覚テ返/n19r
ルヤヲソキトアマタリノ石タタミノ上ニ並テ打クタキ捨
テケリ。(私云水瓶ハ金瓶トイヘリ)又横川ニ尊勝ノ阿闍梨陽範ト
云ケル人。目出タキ紅梅ヲ植テ又無物ニシテ。華ザ
カリニハ偏ニ此ヲケウジツツ自ラ人ノヲルヲモコトニ惜
ミサイナミケル程ニ。イカカ思ケン第子ナンドモ外ヘ行テ
人モ無リケルヒマニ心モナキ小法師ノ独リ有ケルヲ
ヨヒテ。ヨキヤ有ルモテコヨト云テ此梅ノ木ヲ土キハ
ヨリ切テ。上ニ砂打散シテ跡形ナクテ居タリ。第子
帰テ驚キ怪ミテ故ヲ問ケレバ。唯由シ無レバトゾ
答ケル。此等ハ皆執ヲトトメル事ヲ恐ケル也。教/n19l
壊モ陽範モ倶ニ往生ヲ遂タル人ナルベシ。実ニ仮ノ
家ニフケリテ長キ闇ニ迷事。誰カハ愚ナリト思ハサ
ルベキ。然レドモ世々生々ニ煩悩ノツブネヤツコトナリ
ケル習ノ悲シサハ知ナガラ。我モ人モヱ思ヒ捨テヌ
ナルベシ/n20r
1)
教懐が正しい
2)
底本の読み仮名に「すいびん」
text/hosshinju/h_hosshinju1-07.txt · 最終更新: 2017/04/02 19:04 by Satoshi Nakagawa