古今著聞集 宿執第二十三
500 前中納言定嗣卿和漢の才先祖にも恥ぢざりければ・・・
校訂本文
前中納言定嗣卿1)、和漢の才、先祖にも恥ぢざりければ、寛元四年の脱屣(だつし)のはじめより、仙洞の執権を承りて、ことに清廉の聞こえありけるほどに、菩提の道、心の底にやもよほしけむ、建長元年のころ、葉室大納言2)の昔の栖(すみか)のほとりに山荘を構へられけり。
二年八月十三日に、ことにひきつくろひて、院3)・摂政殿4)・前摂政殿5)などへ参られたりけるに、上皇、御推(すい)やありけむ、女房してとどめ仰せられければ、一切にその儀なきよしを申して、同じき十四日の暁詣での体にて、夜(よ)に入りて頭おろしけるに、宿執にもよほされて詩歌を作りける。
建長第二年、余齢四十三。仲秋八月三五前夜、出俗塵入仏道。感懐内催、独吟外形而已。(建長第二年、余齢四十三。仲秋八月三五の前夜、俗塵を出でて仏道に入る。感懐内に催し、独吟外に形(あら)はるるのみ。)
新発意定然
遥尋祖跡思依然 遥かに祖跡を尋ね思ひ依然たり
葉室草庵雲殿前 葉室の草庵雲殿の前
願以勤王多日志 願はくは勤王多日の志を以て
転為見仏一乗縁 転た見仏一乗の縁と為さん
暁辞東洛紅塵暗6) 暁に東洛を辞して紅塵暗く
秋過西山白月円 秋西山を過ぎて白月円(まど)かなり
発露涙零除鬢艾 発露の涙零れて鬢艾を除く
開花勢盛観心蓮 開花勢ひ盛んにして心蓮を観る
長寛亜相遁名夜 長寛の亜相名を遁れし夜
請節先生7)掛官年 請節先生掛官の年
陶令亮8)之帰休、春秋四十三。曾祖令遁俗、八月十四日。景気逢境、自然銘肝。昨仕朝端、何所恥。(陶令亮の帰休するは、春秋四十三。曾祖の俗を遁れしむるは、八月十四日。景気は境に逢ひ、自然に肝に銘ず。昨朝端に仕へたる、何の恥づる所ぞ。)
葉室山あとは昔におよばねど入りぬる道は月ぞ変はらぬ
極楽の道の直路(ただち)を踏みそめて都の西は心こそすめ
やがて世に聞こえて、この道をたしなむ人々感じあはれみけり。長寛の月日をたがへず、陶令9)が齢を思はれたりければ、かねてより思ひ定められにけるにこそ。世の人惜しむことかぎりなし。三品経範卿10)、詩を和したりける、いと興あることなり。
翻刻
前中納言定嗣卿和漢の才先祖にもはちさり けれは寛元四年の脱屣のはしめより仙洞の執権 を承てことに清廉のきこえありける程に菩提の みち心の底にやもよをしけむ建長元年の比葉 室大納言のむかしの栖のほとりに山庄を構られ/s401r
けり二年八月十三日にことにひきつくろひて院 摂政殿前摂政殿なとへまいられたりけるに上皇 御すいやありけむ女房してととめ仰られけれは 一切にその儀なきよしを申て同十四日のあか月まう てのていにてよに入てかしらおろしけるに宿執 にもよをされて詩哥をつくりける 建長第二年余齢四十三仲秋八月三五前夜 出俗塵入仏道感懐内催独吟外形而已 新発意定然 遥尋祖跡思依然 葉室草庵雲殿前 願以勤王多日志 転為見仏一乗縁/s401l
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暁辞東洛紅塵腤 秋過西山白月円 発露涙零除鬢艾 開花勢盛観心蓮 長寛亜相遁名夜 請節先生掛官年 陶令亮之帰休春秋四十三曾祖令遁 昨仕朝端何所恥 俗八月十四日景気逢境自然銘肝 葉室山あとは昔にをよはねと入ぬる道は月そかはらぬ 極楽の道のたたちをふみそめて都のにしは心こそすめ やかて世にきこえて此道をたしなむ人々感しあはれ みけり長寛の月日をたかへす陶令か齢をおもはれ たりけれはかねてよりおもひさためられにけるに こそ世の人おしむこと限なし三品経範卿詩を和/s402r
したりけるいと興ある事也/s402l