text:chomonju:s_chomonju497
古今著聞集 宿執第二十三
497 法深房生年二十の年より熊野へ詣でてわが道もし父の芸に及ばずは・・・
校訂本文
法深房1)、生年二十の年より熊野へ詣でて、「わが道もし父2)の芸に及ばずは、すみやかに命を召すべし」とこそ申されけれ。祈請のむね、神慮にかなひて、道の棟梁たり。
口ぎたなくて言ふべからず、嫡女(孝孫3))、七歳の年、あまりに不用(ふよう)にて走り遊びけるを、「こらさむ」とて、所持の小琵琶を取り隠して、「はやく不用を道に立てて、琵琶などをば心になかけそ」とて、しばし取り隠したりけるを、幼き心にあさましく歎きて、乳母(うば)にともすれは憂へ怠状(たいじやう)しけれども、なほ許さず。
かかるほどに、母、賀茂へ詣でけるに、この少人を具したりけり。下向の後、「さても賀茂にては何事を申しつる」と問はれて、「『ただ琵琶をよく弾かせさせ給へ』とこそ申しつれ」とぞ答へける。この言葉をあはれみて、勘当許して、小琵琶返し与へたりければ、悦びて、これより心に入れて道をたしなみ、功を入れたること第一なりとぞ。
重代の人は、あはれに不思議なることなり。七歳の心に道の執心あはれなることなり。
翻刻
法深房生年廿のとしより熊野へまうてて我道若 父の藝にをよはすはすみやかに命をめすへし とこそ申されけれ祈請のむね神慮にかなひて 道の棟梁たり口きたなくていふへからす嫡女(孝孫) 七歳のとしあまりにふようにてはしりあそひける をこらさむとて所持の小琵琶をとりかくしてはや くふようを道にたてて琵琶なとをは心になかけ そとてしはしとりかくしたりけるをおさなき心に/s398l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/398
あさましくなけきてうはにともすれはうれへたいし やうしけれとも猶ゆるさすかかる程に母賀茂へま うてけるに此少人をくしたりけり下向の後さても 賀茂にては何事を申つると問れてたた琵琶を よくひかせさせ給へとこそ申つれとそこたへける この詞をあはれみてかむたうゆるして小琵琶かへ しあたへたりけれは悦てこれより心に入て道をたし なみ功をいれたる事第一なりとそ重代の人は 哀にふしきなる事也七歳の心に道の執心哀なる事也/s399r
text/chomonju/s_chomonju497.txt · 最終更新: 2020/09/08 11:11 by Satoshi Nakagawa