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text:chomonju:s_chomonju366

古今著聞集 馬芸第十四

366 建仁三年十二月二十日北野宮寺に御幸ありて競馬十番ありけるに・・・

校訂本文

建仁三年十二月二十日、北野宮寺1)に御幸2)ありて、競馬(くらべうま)十番ありけるに、五番目に、左、院の右の番長(ばんぢやう)秦久清、右に大将(花山院右府入道忠経公3))下毛野敦文、番(つが)はせられにけり。

久清は上手なり。敦文は不堪(ふかん)の者なりければ、久清、合手(あひて)をきらひて辞し申しけれども、かなはさりければ、心地悪(あ)しく覚えながら、番ふべきになりたりけるに、さても、「なかなか不堪の仁に負けなば、なほ本意なかるべし」と思ひけり。

かくて久清、北野の宿所にて出で立つほどに、僧一人来たりて、「申すべきことあり」と言ひけれども、競馬の乗尻(のりじり)は、その日はことに物忌をして、法師などには会はぬことにて、下人どもも聞き入れざりけり。この僧、あながちに言ひければ、久清に告げてけり。久清、「やうこそあるらめ」と思ひて、出で会ひて尋ねければ、僧が言ふやう、「過ぎぬる夜の夢に、この馬場にて、賀茂4)の神人とおぼしくて、馬場末に横ざまに縄を引きて、勝負の鉾(ほこ)などをさばくりつるを、夢の心地に怪しみ尋ぬれば、『院の右の先生(せんじやう)の勝負の料(れう)なり』と言ふと思ひて覚めぬ。賀茂大明神の御はからひにて勝たせ給ふべし」と告げければ、久清、幼くより賀茂につかうまつる者なれば、嬉しく頼もしく覚えて、「勝ちて後、悦びは申すべし」と言ひて返してけり。

その期になりて、久清・敦文うち番ひて、敦文前に立ちたりけるが、少ししどけなく見えけるを、久清、敵(かたき)をあなづりて、遠(とほ)ながら追ひてけり。敦文が馬、よく出で合ひて、はやく勝ちにけるほどに、鞭(むち)さして、勝負の鉾5)のもとにて安堵して見返りたりけるに、久清、追ひ着きて、敦文が首上(くびかみ)に手をかけたりければ、敦文落ちて、久清勝ちにけり。

勝ちながら、あまりに不思議にて、久清、丈尺にて打ちて見ければ、鉾6)例よりも一丈あまり遠く立ちたりけり。かの僧が夢も思ひ合はせられて、大明神の御はからひ、かたじけなく覚えけり。例の寸法にて立ちたらましかば、はやく負けなまし。不思議なりけることなり。この僧には、悦びいたりけるとかや。

「敦文ほどの不堪の者に、これほどの勝負しいだしたり」とて、勝ちながら御気色悪しかりけるとなん。まして負なましかば、さだめてよかるまじきに、神明の御はからひ、かたじけなかりけり。

この久清、たびたび競馬つかうまつりけれども、一度も負けざりけり。数少なく乗りて負けぬ者は多かれども、かかるためしはいまだ聞かざることなり。

翻刻

建仁三年十二月廿日北野宮寺に御幸ありて競
馬十番ありけるに五番めに左院の右番長秦久/s266l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/266

清右に大将(花山院右府入道/忠経公)下毛野敦文つかはせられにけり
久清は上手也敦文は不堪の者なりけれは久清合手
をきらひて辞し申けれともかなはさりけれは心
地あしく覚なから番へきになりたりけるにさても
中々不堪の仁に負なは猶本意なかるへしとおもひ
けりかくて久清北野の宿所にて出立ほとに僧
一人来りて申へき事ありといひけれとも競馬
の乗尻はその日はことに物忌をして法師なとには
あはぬ事にて下人とももきき入さりけり此僧あな
かちにいひけれは久清に告てけり久清様こそあ
るらめと思て出あひて尋けれは僧かいふやう過/s267r
ぬる夜の夢にこの馬場にて賀茂の神人とおほ
しくて馬場末によこさまに縄を引て勝負の鉾
なとをさはくりつるを夢の心地にあやしみ尋ぬ
れは院の右の先生の勝負のれうなりといふと思
てさめぬ賀茂大明神の御斗にてかたせ給へし
と告けれは久清おさなくより賀茂につかうまつ
る物なれはうれしくたのもしくおほえて勝て後
悦は申すへしといひて返してけりその期に成
て久清敦文打つかひて敦文前にたちたり
けるかすこししとけなく見えけるを久清かたきを
あなつりて遠なから追てけり敦文か馬よく出/s267l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/267

あひてはやく勝にけるほとに鞭さして勝負の杵
のもとにて安堵して見かへりたりけるに久清追着て
敦文かくひかみに手をかけたりけれは敦文落て久清
勝にけり勝なからあまりに不思議にて久清丈尺に
て打て見けれは杵例よりも一丈あまり遠くたち
たりけり彼僧か夢もおもひあはせられて大明神
の御斗かたしけなくおほえけり例の寸法にて立たら
ましかははやく負なまし不思議なりける事也此僧
には悦いたりけるとかや敦文ほとの不堪の物に
これほとの勝負しいたしたりとて勝なから御気色
あしかりけるとなんまして負なましかは定てよかる/s268r
ましきに神明の御はからひかたしけなかりけり此
久清たひたひ競馬つかうまつりけれとも一度もま
けさりけり数すくなく乗てまけぬ物はおほ
かれともかかるためしはいまたきかさる事也/s268l

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/268

1)
北野天満宮の神宮寺
2)
後鳥羽上皇の御幸
3)
藤原忠経
4)
賀茂神社
5) , 6)
「鉾」は底本「杵」。文脈により訂正。
text/chomonju/s_chomonju366.txt · 最終更新: 2020/05/06 15:25 by Satoshi Nakagawa