古今著聞集 好色第十一
323 紫金台寺の御室に千手といふ御寵童ありけり・・・
校訂本文
紫金台寺1)の御室2)に、千手といふ御寵童ありけり。見目(みめ)よく心ざま優(いう)なりけり。笛を吹き今様など歌ひければ、御いとほしみはなはだしかりけるほどに、また三河といふ童、初参(うひざん)したりけり。箏弾き歌詠み侍りけり。これもまた寵ありて、千手がきら3)少し劣りければ、面目なしとや思ひけん、退出して久しく参らざりけり。
ある日、酒宴のことありて、さまざまの御遊びありけるに、御弟子の守覚法親王4)などもその座におはしましけり。「千手は、など候はぬやらん。召して笛吹かせ、今様など歌はせ候はばや」と申させ給ひければ、すなはち御使をつかはして召されたるに、「このほど所労(しよらう)のこと候ふ」とて参らざりけり。御使、再三に及びければ、さのみは子細申しがたくて参りにけり。顕紋紗(けんもさ)の両面の水干に、袖にむばらこきに雀のゐたるをぞ縫ひたりける。紫の裾濃(すそご)の袴(はかま)を着たり。ことに鮮かにさうぞき5)たれども、ものを思はれたる気色あらはにて、しめりかへりてぞ見えける。
御室の御前に、御盃おさへられたる折にてありければ、人々、千手に今様を勧めければ、
過去無数の諸仏にも 捨てられたるをはいかがせん
現在十方の浄土にも 往生すべき心なし
たとひ罪業重くとも 引摂(いんぜふ)し給へ弥陀仏
とぞ歌ひける。諸仏に捨てらるる所をば、少しかすかなるやうにぞ言ひける。思ひ余れる心の色あらはれて、あはれなりければ、聞く人、みな涙を流しけり。
興宴の座もことさめて、しめりかへりければ、御室は耐へかねさせ給ひて、千手を抱(いだ)かせ給ひて、御寝所に入御ありけり。満座、いみじがり、ののしりけるほどに、その夜も明けぬ。
御室、御寝所を御覧じければ、紅の薄様の重なりたるを引き破(や)りて、歌を書きて、御枕屏風に押し付けたりける、
尋ぬべき君ならませばつけてまし入りぬる山の名をばそれとも
あやしくて、よくよく御覧らんじければ、三河が手なりけり。
今様にめでさせ給ひて、また古きに移る御心の花を見て、かく詠み侍りけるにこそ。さて、御尋ねありければ、行く方を知らずなりにけり。高野にのぼりて法師になりにけるとかや聞こえけり。
翻刻
紫金堂寺御室に千手といふ御寵童ありけりみめ よく心さまゆふなりけり笛をふき今様なとうたひけ れは御いとをしみ甚しかりけるほとに又参川といふ 童初参したりけり箏ひき哥よみ侍りけりこれも 又寵ありて千手かきえすこしおとりけれは面目なし/s223r
とや思けん退出して久しくまいらさりけり或日酒宴 の事ありてさまさまの御あそひありけるに御弟子の 守覚法親王なともその座におはしましけり千手は なと候はぬやらんめして笛ふかせ今様なとうたはせ候はは やと申させ給けれは則御使をつかはしてめされたるに この程所労の事候とてまいらさりけり御使再三に 及けれはさのみは子細申かたくてまいりにけりけんも さの両面の水干に袖にむはらこきに雀のゐたる をそ縫たりける紫のすそ濃の袴をきたりことに あさやかにさそかきたれとも物を思はれたるけしきあらは にてしめりかへりてそみえける御室の御前に御さかつき/s223l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/223
をさへられたるおりにてありけれは人々千手に今様を すすめけれは 過去無数の諸仏にもすてられたるをはいかかせん 現在十方の浄土にも往生すへき心なしたとひ 罪業をもくとも引摂し給へ弥陀仏 とそうたひける諸仏に捨らるる所をはすこしかすか なるやうにそいひける思あまれる心の色あらはれ てあはれなりけれはきく人みな涙をなかしけり興宴 の座も事さめてしめりかへりけれは御室はたへかね させ給て千手をいたかせ給て御寝所に入御ありけり 満座いみしかりののしりけるほとに其夜もあけぬ/s224r
御室御寝所を御覧しけれは紅の薄様のかさなり たるをひきやりて哥をかきて御枕屏風にをし つけたりける 尋ぬへき君ならませはつけてまし入ぬる山の名をはそれとも あやしくてよくよく御らんしけれは参川か手なりけり 今様にめてさせ給て又ふるきにうつる御心の花をみて かくよみ侍けるにこそさて御たつねありけれは行かたを しらす成にけり高野にのほりて法師に成にけると かやきこえけり/s224l