古今著聞集 孝行恩愛第十
313 武則公助といふ随身父子ありけり・・・
校訂本文
武則1)・公助2)(法興院殿3)随身御鷹飼)といふ随身父子ありけり。「右近馬場の賭弓(のりゆみ)、悪(わろ)くつかうまつりたり」とて、子公助を晴(はれ)なかにて打ちけるを、逃げのくこともなくて打たれければ、見る人、「いかで逃げずして、かくは打たるるぞ」と言ひければ、「もし逃げ侍りなば、衰老の父、追はんとせんほどに、倒(たふ)れなどし侍らば、きはめて不便(ふびん)なりぬべければ、かくのごとく、心の行くほど打たるるなり」と申しければ、世の人、「いみしき孝なり」と言ひて、世のおぼえこれよりぞ出で来にける。聖徳太子、用明天皇の御杖の下にしたがはせ給ひけるを、思ひ入れたりけるとや。
孔子の弟子曽参といひけるは、父の怒りて打ちけるに、逃げずして打たれけるをば、孔子聞き給ひて、「もし、打ちも殺されなば、父の悪名を立てんこと、ゆゆしき不孝なり」といましめ給ひける。これもことわりなり。親の気色によるべきにや。
およそ父母につかうまつるべき道、くはしく『孝経』に見えたり。二十二章の終りの段を、「喪親章」と名付けて、喪礼の儀式まで記せり。これらも見るべし。聖教には、「孝養父母、奉仕師長」をもて往生のもととせり。
身体髪膚を父母にうけたり。生の始めなれば、恩徳の最高なる、父母に過ぐべからず。およそ人は、上には忠貞のまことを尽くし、下には憐愍の思ひを深くし、父母・親類には孝行の心を宗(むね)とし、友に争はず、人を軽(かろ)しめずして、仁義礼智信の五常を乱らざるを徳とすべし。
また夫婦の仲をば、忠臣の道に喩へたり。女はよく夫に志をいたすへきなり。さればかしこき女は、たがへにそなへる日、つつしみしたがふのみにあらず、亡きあとまでも、一人貞女峡の月をながめ、長く燕子楼の中にとぢこもるたぐひ、あまた聞こゆ。また、この世一つならず、同じ道にともなふためし多かり。くはしく記すに及ばず。
翻刻
武則公助(法興院殿随身御鷹飼)といふ随身父子ありけり右近馬場の賭弓/s215l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/215
わろくつかうまつりたりとて子公助を晴なかにて打けるを にけのく事もなくてうたれけれはみる人いかて逃すして かくはうたるるそといひけれは若逃侍なは衰老の父をはん とせんほとにたふれなとし侍らはきはめて不便なりぬへ けれはかくのことく心の行程うたるる也と申けれは世の 人いみしき孝なりといひて世のおほえこれよりそ出きにける 聖徳太子用明天皇の御杖の下にしたかはせ給けるを おもひいれたりけるとや孔子の弟子曽参といひけるは父の いかりて打けるに逃すしてうたれけるをは孔子きき給てもし うちもころされなは父の悪名をたてん事ゆゆしき不孝 なりといましめ給けるこれもことはり也おやの気色による/s216r
へきにや凡父母につかうまつるへき道委しく孝経に 見えたり二十二章のをはりの段を喪親章となつけ て喪礼の儀式まてしるせりこれらも見るへし聖教には 孝養父母奉仕師長をもて往生のもととせり身体髪 膚を父母にうけたり生の始なれは恩徳の最高なる父 母にすくへからす凡人は上には忠貞のまことをつくし下には 憐愍の思を深くし父母親類には孝行の心をむねと し友にあらそはす人をかろしめすして仁義礼智信の五常 をみたらさるを徳とすへし又夫婦の中をは忠臣のみちにた とへたり女はよく夫に志をいたすへき也されはかしこき女は たかへにそなへる日つつしみしたかふのみにあらすなき跡/s216l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/216
まてもひとり貞女峡の月をなかめなかく鷰子楼の中 にとちこもるたくひあまたきこゆ又此世一ならすおな し道にともなふためしおほかり委しるすに及はす/s217r