rhizome:清少納言
清少納言
せいしょうなごん(964ごろ〜1027年ごろ)
概説
中古三十六歌仙の一人で、小倉百人一首にも選ばれているが、和歌は50余首しか残されていない。
生没年未詳だが、康保(964)ごろ生まれ、万寿(1024〜1027)ごろ没したと考えられている。
天元四年(981)ごろに、橘則光と結婚し則長を生む。その後、結婚生活に失敗、正暦年間に一条天皇中宮定子のもとに出仕した。
長保二年(1000)12月、中宮定子死去。そのとき宮仕えも辞したとみられる。
紫式部による評価(『紫式部日記』)
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。
rhizome/清少納言.txt · 最終更新: 2014/05/03 18:56 by Satoshi Nakagawa