せんじもん
いくつかの種類があるが、一般的に千字文というと、遼の武帝が、周興嗣 宇宙洪荒」から「謂語助者 焉哉乎也」までの四言二百五十句の1000字からなり、文字の重複はない。
漢字の習得のために作られ、古くから書道の手本としてもよく用いられた。敦煌出土文書にも千字文の手本や習字した断片があり、遅くとも7世紀には普及していた。
習字の手本として用いられたため、多くの書家によって書かれた。
王羲之七世の孫という、隋の僧、智永によるもの。「真草」とは楷書と草書の意味で、一行ごとに楷書と草書で交互に書かれている。
智永は千字文八百本を書いて、江東の諸寺に施入したという。しかし、ほとんどが散逸し、わが国に伝わる谷氏本(小川本)のみが真蹟かとされる。