世継物語
第51話 小松の御門御甥清和天皇の御子位につかせ給はて小松の宮とて、・・・
校訂本文
今は昔、小松の御門御甥(おひ)、清和天皇の御子、位につかせ給はて、小松の宮とて、まことに久しく、人参るよもなくて過ぎさせ給ふ。才(さえ)もおはしまし、御心もち、かしこくおはしませどもかひもなし。御子三人おはしまける。
つれづれのままに、あらまし事には、「位につきたらば、我等、いかが思ふべき。所望ども有りなん」と仰せられければ、太郎の宮、「さる事候はば、第弐になりて、やがて西の国を十給はらん」と申し給ふ。二郎は「東国、十五給はらむ」と申し給ひける。たよりなく侘しきに、心きえして申し給ふ。亭子(ていじ)の院、三郎にして、「我は位につかせ給はば、春宮に立ちて、御継ぎをこそはし候はめ」と申し給へば、「よく申し給ふ」と思しめしける。されど、ただ人にて王侍従(わうじじう)と申したるぞかし。
さるほどに、陽成院、位につかせ給ひて、物に狂はせ給ふやうにて、希有不思議のまつりごとをせさせ給へば、すべきかたなくて、関白殿を始めて、「世はうせなん」と歎き合ひ給へど、かなはず。生きたる物どもをとり集めて、蛇(くちなは)に蛙をいくらともなく飲ませ、猫に鼠を捕らせ、犬、猿などを戦はしつつ殺させ給ふだにあるに、はては人を木に上せさせ給ひて、うち殺させ給ひつつ、いくらともなく人死ぬるに、関白にて、昭宣公嘆きて「今はずちなし。位をおろし参らせん」と思して、さりぬべき宮たち、また、近き御門の御族(ぞう)の源氏になり給へるなどを見歩き給ふに、宮達は心得て「よく見えん」とつくろひ、きらめきあひ給へり。
つきづきしく、いみじきを、「これも悪し、これもよくも見えず」と思して、小松の宮へ参上1)のよし申させ給へば、「さ聞かせ給ひぬ」とて、しばしありて入れ奉りて、とみに出でさせ給はず。「けだかく物かし給ふ」と思すほどにぞ出で給へる。古めき神さびて、御直衣も着給はず、したり顔なるさまにて、「何事に立ち寄らせ給ひたるぞ」とて、物のたまひたるさまもよくおはします。「位につかせ給ひたらんに、かしこくおはしましなん」と見奉り給ひて、「かうかう」と申し給へば、「いつばかり」と問はせ給へば「ほど経ば悪しく候ひぬべければ、明後日、日も良く候ふ。其日。」とて、まかで給ひぬ。
さて、内に参り給へれば、木に人を上せてうち殺したるを、興じて人々笑ふ。我も笑ひ入りておはします。いとあさまし。大臣(おとど)、申し給ふ。「つれづれに候へば、競馬(くらべむま)乗せんとし候ふに、行幸して御覧ずべきよし」申し給ふに、いみじう喜ばせ給ひて、「いつばかり」と仰せらるれば、「明後日」と申し給へば、喜びて「いつしか」と待たせ給ふ。
その日になりぬれば、上達部・殿上人、せうぜう参りて、良き人々をばえりとどめて、年老ひ、末あるまじき人々つかうまつりて、陽成院といふ所に、御輿寄せて下し奉りつ。さて、後にぞ、「物狂はしく、人をさへ殺させ給ひて、世の失せ候ひぬべければ、下し参らせつるぞ」と申しかけけるを、聞かせ給ひてぞ、「悲しき事かな」とて、をうをうとおめかせ給ひたりける。
さて、やがて昭宣公を始め奉りて、百官引つれて、御輿具して、小松の宮へ参らせ給ひぬる。めでたくいみじ。御輿寄せたるに、「行幸にはこれには乗らぬ物を。今、一にこそ乗れ」と仰せられければ、下りさせ給ひぬるを、乗せ奉りて候へば、「この御輿を持ちて参りて候ふ」と申させ給へば、さきかせ給ひてぞ奉りける。さ仰せられけるを、上の聞かせ給ひて、「年ごろ侘しくならひたる心に、所狭くや人の思はん」とあやうく思して、「何の輿なりとも、ただ乗らせ給へかし」とぞ、馳せつきて申し給ひけり。
さて、位につかせ給ひて、宮たちの申し給ふままに、西国・東国奉らせ給へば、「悪く申してけり」と思して、いとも賜はり給はざりけり。宇多の院、位につかせ給て、今日までその御堂におはします。
母上は后にならせ給ひても、御丁の廻りを、日に一度「物買はん」とみそかに言ひて廻り歩か給ひけると申し伝へたり。誠にや。
それは小松の宮より、市に出でて物を売り、買はせ給ひて、「かくせねば心地のむつかしき」とてしつれば、心地の良くならせ給ひけると申し伝へたり。
翻刻
今は昔小松の御門御おひ清和天皇のみこ位につ かせ給はて小松の宮とて誠に久しく人まいるよもな くてすきさせ給さえもおはしまし御心もちかしこく おはしませともかひもなし御子三人おはしまけるつ れつれのままにあらまし事には位につきたらは 我等いかか思ふへき所望とも有なんと仰せられけ れは太郎の宮さる事さふらはは第貳に成てやかて にしの国を十給はらんと申給二郎は東国十五給ら むと申給けるたよりなく侘しきに心きえして申給 ていしの院三郎にして我は位につかせ給はは春宮/29オ
にたちて御つきをこそはしさふらはめと申給へは よく申給ふと思召けるされとたた人にてわうししう と申たるそかし去程に陽成院位につかせ給ひて物に くるはせ給やうにてけうふしきのまつり事をせ させ給へはすへきかたなくて関白殿を初て世はうせ なんと歎きあひ給へとかなはすいきたる物ともをとり あつめてくちなはに蛙をいくらともなくのませ猫に 鼠をとらせ犬猿なとをたたかはしつつころさせ給た にあるにはては人を木にのほせさせ給てうちこ ろさせ給つついくらともなく人しぬるに関白にて昭/29ウ
宣公なけきていまはすちなし位をおろし参らせん とおほしてさりぬへき宮たち又ちかき御門の御そう の源氏に成給へるなとをみありき給に宮達は心え てよく見えんとつくろひきらめきあひ給へりつき つき敷いみしきをこれもわろし是もよくもみえ すとおほして小松の宮へ参上(てう本ニ)のよし申させ給へは さきかせ給ぬとてしはしありていれ奉りてとみに 出させ給はすけたかく物かし給ふとおほす程にそい て給へるふるめき神さひて御なをしもき給はすし たりかほなるさまにて何事にたちよらせ給ひたる/30オ
そとて物の給ひたるさまもよくおはします位につか せ給たらんにかしこくおはしましなんと見奉り給てかう かうと申給へはいつはかりと問せ給へは程へはあしく さふらひぬへけれはあさて日もよく侍ふ其日とてまか て給ひぬさてうちにまいり給へれは木に人をのほ せてうちころしたるをけうして人々笑われもわらひ 入ておはしますいとあさましおとと申給つれつれに 侍らへはくらへむまのせんとし侍ふに行かうして御 覧すへきよし申し給にいみしうよろこはせ給てい つはかりと仰らるれはあさてと申給へはよろこひ/30ウ
ていつしかとまたせ給ふ其日に成ぬれはかんたちめ殿 上人せうせうまいりてよき人々をはえりととめて年 老すゑあるましき人々つかうまつりて陽成院といふ 所に御輿よせておろし奉りつさて後にそ物くるはし く人をさへころさせ給て世のうせ侍ひぬへけれはおろ しまいらせつるそと申かけけるを聞せ給てそかなし き事かなとてをうをうとおめかせ給ひたりけるさて やかて昭宣公をはしめ奉りて百官引つれて御輿 くして小松の宮へまいらせ給ぬるめてたくいみし御輿 よせたるに行幸には是にはのらぬ物を今一にこその/31オ
れと仰られけれはおりさせ給ぬるをのせ奉りてさふらへ は此御輿をもてまいりて侍ふと申させ給へはさきかせ 給ひてそ奉りけるさ仰られけるをうへのきかせ給 て年比わひしくならひたる心に所せくや人の思はん とあやうくおほしてなにの輿成ともたたのらせ給 へかしとそはせつきて申給けりさて位につかせ給て 宮たちの申給ままに西国東国奉らせ給へはわろく 申てけりとおほしていとも給はり給はさりけり うたの院位につかせ給てけふまてその御たうに おはします母上はきさきにならせ給ても御丁の/31ウ
めくりを日に一とものかはんとみそかにいひてめくり ありかせ給ひけると申伝たり誠にやそれは小松の宮 よりいちに出て物をうりかはせ給てかくせねは心ち のむつかしきとてしつれは心ちのよくならせ給ひけ ると申伝へたり/32オ