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第48話(巻3・第16話)雀、報恩の事

雀報恩事

雀、報恩の事

今はむかし、春つかた、日うららかなりけるに六十斗の女のありけるが、虫うちとりてゐたりけりるに、庭に雀のし[しニミセケチアルカ?]ありきけるを、童部、石をとりて打たれば、あたりて腰をうちおられけり。

羽をふためかしてまどふほどに、からすのかけりありきければ、「あな心う。からすとりてん」とて、此女、いそぎとりて、いきしかけなどして物くはす。小桶に入て、よるはおさむ。明ればこめくはせ、銅、薬にこそげてくはせなどすれば、子ども、孫など「あはれ、女なとじ[女刀自ノコト]は、老て雀かはるる」とて、にくみわらふ。かくて、月比よくつくろへば、やうやうおどりありく。

すずめのこころにも、かくやしなひいけたるを、「いみじくうれしうれし」と思けり。あからさまに、物へいくとても、人に「此すずめみよ。物くいはせよ」など、いひ置ければ、子まごなど、「あはれなむでう、雀かはるる」とて、にくみわらへども「さはれ、いとおしければ」とて、飼ほどに、飛ほどに成にけり。「今はよも烏にとられじ」とて、外にいでて、手にすへて「飛やする。みん」とて、ささげたれば、ふらふらととびていぬ。

女「おほくの月比日比、くるればおさめ、明れば物くはせならひて「あはれや、飛ていぬるよ。また来やするとみん」など、つれづれに思ていひければ、人にわらはれけり。

さて、廿ばかりになりて、此女のゐたる方に、すずめのいたくなく声しければ、「すずめこそ、いたく鳴くなれ。ありし雀のくるにやあらん」と、おもひて、いでてみれば、此雀也。「あはれにわすれず来たるこそ、あはれなれ」と、いふほどに、女の顔を打みて、口より露斗の物をおとしをくやうにして、飛びていぬ。女「なににかあらむ、雀のおとしていぬる物は」とて、よりて見れば、ひさごのたねをただ一、おとしてをきたり。「もてきたる様こそあらめ」とて、とりてもちたり。「あないみじ。雀の物えて、宝にし給」とて、子どもわらへば、「さはれ、植て見ん」とて、うへたれば、秋になるままに、いみじくおほくおいひろごりて、なべての杓にもにず、大におほくなりたり。

女、悦けうじて、里隣の人々もくはせ、とれにもとれにもつきもせず、おほかり。わらひし子孫も、これをあけくれ食てあり。一里くばりなどして、はてには、まことにすぐれて大なる七八は「ひき[きニミセケチさニナオス]ごにせん」思て、内につりるけてをきたり。

さて月比へて、「今はよく成ぬらん」とて、みれば、よくなりにけり。とりおろしてこそ[こそニミセケチ口ニナオス]あけんとするに、すこしをもし。あやしけれども、きりあけてみれば、物ひとはた入たり。「なににかあるらん」とて、うつしてみれば、白米の入たる也。「思がけずあさまし」と、おもひて、大なる物にみなうつしたるに、おなじやうに入てあれば、「ただごとにはあらざりけり。雀のしたるにこそ」と、あさましく、うれしければ、物に入てかくしをきて、のこりの杓どもをみれば、おなじやうに入てあり。これをうつしうつしつかへば、せんかたなく多かり。さて、まことにたのしき人にぞなりにける。隣里の人も、見あさみ、いみじき事にうらやみけり。

此隣にありける女の子どものいふやう「おなじ事なれど、人はかくこそあれ、はかばかしき事もえしいで給はぬ」など、いはれて、隣の女、此女なのもとにきたりて「さてもさても、こはいかなりし事ぞ。『雀の』などはほのきけど、よくはえしらねば、もとありけんままにの給へ」と、いへば「ひさごのたねを一おとしたりし、植たりしよりある事也」とて、こまかにもいはぬを「猶、ありのままに、こまかにのたまへ」と、せつにとへば「心せばく、かくすべき事かは」と、思て「かうかうこしおれたる雀のありしを、飼生たりしを『うれし』と思けるにや、杓の種を一もちて来りしを、うへたれば、かくなりたる也」と、いへば「そのたね、ただ一たべ」と、いへば「それに入たる米などはまいらせん。種はあるべきことにもあらず。さらに、えなんちらすまじ」とて、とらせねば、「我もいかで腰おれたらん雀見付てかはん」と、おもひて、目をたててみれど、こし折たる雀更にみえず。

つとめてごとにうかがひみれば、せどのかたに米のちりたるを食とて、雀のおどりありくを、石をとりて「もしや」とて、うてば、あまたの中に度々うてば、をのづからうちあてられて、えとばぬあり。悦て、よりて腰よくうち折て後に取て、物くはせ、薬くはせなどして置たり。

「一が述[徳カ(新大系)]をだにこそみれ。ましてあまたならば、いかにたのしからん。あの隣の女にはまさりて子どもにほめられん」と思て、此内に、米まきてうかがひゐたれば、雀どもあつまりて、食にきたれば、又うちうちしければ、三打折ぬ。「いまはかばかりにてありなん」と、思て、腰折たる雀三斗、桶に取入て、銅こそげてくはせなどして、月比ふるほどに、みなよく成にたれば、悦て、とに取出たれば、ふらふらと飛て、みないぬ。「いみじきわざしつ」と、おもふ。雀は腰うちおられて、かく月比こめをきたるを、「よにねたし」と、おもひけり。

さて十日斗ありて、此雀どもきたれば、悦てまつ。「口に物やくはへたる」と、みるに、ひさごのたねを一づつ、みなをとしていぬ。「さればよ」と、うれしくて、とりて三ところにいそぎ植てけり。れいよりもするすると生たちて、いみじく大になりたり。これは、いとおほくもならず。七八ぞなりたる。女、えみまげてみて、子どもにいふやう「『はかばかしき事しいでず』と、いひしかど、我はこの隣の女にはまさりなん」と、いへば「げに、さもあらなん」と、おもひたり。

「これはかずのすくなければ、米おほくとらん」とて、ひとにもくはせず、我もくはず。子どもがいふやう「隣の女なは、里どなりの人にもくはせ、我もくひなどこそせしか。これはまして三が種なり。我も人にもくはせよ[よニミセケチらニナオス]るべきなり」と、いへば「さも」と、思て「ちかき隣の人にもくはせ、我も子どもにも、もろともにくはせん」とて、おほらかににてくふに、にがき事、物にもにず。きわだなどのやうにて、心ちまどふ。くひとくひたる人々も、子どもも我も、物をつきてまどふ程に、隣の人どもも、みな心ちをそんじて、きあつまりて「こはいかなる物をくはせつるぞ。あなおそろし。露斗、けぶんの口によりたるものも、ものをつきまどひあひて、しぬべくこそあれ」と、腹だちて「いひせためん」と、おもひてきたれば、ぬしの女をはじめて、子どももみな物おぼえずつきちらしてふせりあひたり。いふかひなくて、とも帰ぬ。

二三日もすぎぬれば、たれたれも心ちなをりにたり。女おもふやう「みな米にならんとしける物を、いそぎてくひたれば、かくあやしかりけるなめり」と、思て、のこりをば、みなつりつけてをきたり。さて月比へて、「今はよく成りぬらん」とて、うつしいれんれうの桶どもぐして、へやに入。うれしければ、はもなき口して、みみのもとまでひとりえみして、桶をよせてうつしければ、あぶ・はち・むかで・とかげ・くちなはなどいでて、目はなどもいはず、ひと身にとりつきてさせども、女、いたさもおぼえず、ただ「こめのこぼれかかるぞ」と、思て「しばしまち給へ、雀よ。すこしづつとらん。すこしづつとらん」と、いふ。七八のひさごよりそこらの毒虫ども出て、子どもをもさしくひ、女をばさしころしてけり。

雀の腰をうちおられて「ねたし」と、思て、万のむしどもをかたらひて、入たりける也。隣の雀は、もと腰おれて、からすの食ぬべかりしを、やしなひいけたれば「うれし」と、おもひけるなり。

されば、物うらやみはすまじき事也。

text/yomeiuji/uji048.1396961743.txt.gz · 最終更新: 2014/04/08 21:55 by Satoshi Nakagawa