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宇治拾遺物語

第30話(巻2・第12話)唐、卒都婆に血付く事

唐卒都婆ニ血付事

唐、卒都婆に血付く事

むかし、もろこしに大なる山ありけり。その山のいただきに大きなる卒塔婆一たてりけり。

そのやまの麓の里に、年八十斗なる女住けるが、日に一度その山のみねにある卒塔婆をかならず見けり。たかく大なる山なれば麓よりみねへのぼるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨ふり、雪ふり、風ふき、雷なり、しみ氷たるにも、又、あつくくるしき夏も、一日もかかさず、かならずのぼりて、此卒塔婆を見けり。

かくするを人えしらざりけるに、若き男ども童部の、夏あつかりける比、峰にのぼりて卒塔婆のもとに居つつすずみけるに、此女、あせをのごひて腰ふたへなる者の、杖にすがりて、そとばのもとにきて、そとばをめぐりければ、「おがみたてまつるか」とみれば、そとばをうちめぐりては、則、帰帰する事一度にもあらず。あまたたび、此すずむ男どもにみえけり。

「此女は、何の心ありてかくはくるしきにするにか」と、あやしがりて「けふみえば、此事をとはん」といひ合ける程に、常の事なれば、此女、はうはうのぼりけり。男ども、女にいふやう「わ女は何の心によりて、我らがすずみにくるだに、あつくくるしく大事なる道を、『すずまん』とおもふによりてのぼりくるにこそあれ、すずむ事もなし、別にする事もなくて、そとばをみめぐるを事にて、日々にのぼりおるるこそ、あやしき女のしわざなれ。此ゆへしらせ給へ」といひければ、此女「わかきぬしたちはげに『あやし』と思ひ給らん。かくまうできて、此そとばみる事は此比の事にしも侍らず。物の心しりはじめてより後、此七十余年、日ごとにかくのぼりて、そとばを見たてまつる也」といへば、「その事のあやしく侍なり。そのゆへをのたまへ」ととへば、「をのれが親は、百廿にてなんうせ侍にし。祖父は百卅斗にてぞうせ給へりし。それが又、父、祖父などは二百余斗までぞ、いきて侍ける。その人々のいひをかれたりけるとて、『此卒塔婆に血のつかんおりに、なん此山はくづれて、ふかき海となるべき』となん、父の申をかれしかば、『麓に侍る身なれば、山崩なば、うちおほはれて死もぞする』と思へば、『もし血つかば逃げてのがん』とて、かく日毎に見侍なり」といへば、此きく男ども、おこがり、あざけりて、「おそろしき事哉。崩ん時は告給へ」など笑けるをも、我をあざけりていふとも心えずして「さら也。いかでかは我独逃がんと思て告申さざるべき」といひて帰くだりにけり。

此男ども「此女はけふはよもこじ。あす又きてみんに、おどしてはしらせてわらはん」といひ合て、血をあやして、卒塔婆によくぬりつけて、此男共、帰おりて里の物どもに「此麓なる女の、日ごとに峰にのぼりてそとばみるをあやしさにとへば、しかじかなんいへば『あすおどしてはしらせん』とて、そとばに血を塗つる也。さぞくづるらんものや」など、いひ笑を、里の物どもきき伝て、おこなる事のためしにひき笑けり。

かくて又の日、女、のぼりてみるに、そとばに、血のおほらかに付たりければ、女うちみるままに色をたがへて、たうれまろびはしり帰て、さけびいふやう、「此里の人々、とくにげのきて、命いきよ。此山はただ今崩て、ふかき海となりなんとす」と、あまねく告まはして、家に行て、子孫共に家の具足どもおほせもたせて、をのれも持て、手まどひして里うつりしぬ。是をみて血つけし男ども、手を打て笑などする程に、その事ともなく、ささめきののしりあひたり。

風のふきくるか、雷のなるかと、あやしむ程に、空もつつやみに成て、あさましく、おそろしげにて此山ゆるぎたちにけり。「こはいかに。こはいかに」とののしりあひたる程に、ただくづれに崩もてゆけば、「女はまことしける物を」などいひて、にげにげえたる物もあれども、親のゆくゑもしらず、子をもうしなひ、家の物の具もしらずなどして、おめきさけびあひたり。此女ひとりぞ、子まごも引ぐして、家の物の具一もうしなはずして、かねて逃のきて、しづかにゐたりける。

かくてこの山みなくづれて、ふかき海と成にければ、これをあざけり笑し物どもは、皆死けり。あさましき事なりかし。

text/yomeiuji/uji030.1422683210.txt.gz · 最終更新: 2015/01/31 14:46 by Satoshi Nakagawa