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text:uchigiki:uchigiki07

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打聞集

第7話 老者、他国に移す事

校訂本文

昔、七十に余れば、他国へ人を流しやる国ありけり。それに、一人の大臣、老母を持(も)たり。朝夕に見て、孝□1)しけり。かうする間に、七十に余りにたり。「朝に見て、夕見えぬほどだに2)、不審耐へがたう思ゆるに、まして、はるかなる国に流されば、いと悲しきことなり」と思ひて、土室を掘りて、家の角(すみ)に隠し居きつ。屋の人にだに、ことに知らせず。

かくて、年経るほどに、隣の国より同じやうなる馬を二疋率(ゐ)て来て、「これが祖子定めよ。さらずは、兵(いくさ)起こして、七日の内に国を亡ぼさむ」と言ひたる時に、王(みかど)、大臣を召して、「かかることなむある。いかに定むべきぞ。思ひて申せ」と仰せ給ふ時、大臣、「つぶと申すべきことにも候はざなり。まかり出でて、よく思ひめぐらかして、申し候はむ」と言ふ。心には、「隠をきたる祖の□老は、はかむなう聞き置きたることやある」と、心にくく思ゆれば、「まづ、行きて言ひ合はせむ」と思ひて、里へ出でぬ。

忍びて、祖の室に詣でて、「かかることこそあれ。いかがせむずる。もし、聞き給ひたることやある」と言ふ。祖答て云「はやう、若かりし折、かうやうのこと言ひき。その言ふやうは、『同様なる馬、祖を定むは、草を中に置きて、おほきて食くを子とは知るべし。任せて食ふをば祖と知るべし』などやうにこそ、聞きしか。さやうに奏し給へ」と言ふを聞きて、内に参りて、御前に候へば、「何ぞ、かの馬のことは」と仰せ給ふ。「かうやうになむ思えて候ふ。いかなるべきことにか」と申す。王、「げに、さも言はれたり」と仰せ給ひて、御前に二つの馬を召して、二つの中に草を置かる。その時に、げに一疋の馬はおほき食ひつ。一疋の馬は□が3)食ひ捨てたるを、後に食ふ。その時に、多く食ふを「子」と4)札(ふだ)を付け、今一疋には「祖」と札を付けて、遣(つか)はしつ。

また、同様に刊(けづ)りたる木の漆(うるし)塗りたるを、「本末定て」とて、また奉れり。同じ大臣を召して、「かかる事なむある」と仰せられければ、また前のごとく申して出でて、母のもとに行きて、「また、かかることなむある」など申しければ、母の5)言ふやう、「それはいと安し。水に浮かべて見るに、少し沈む方あらむ。その沈む方を本として、知るべきなり」と言ひ6)ければ、「かくなむ思ひ得」と申しければ、申すままに、水に入れて御覧ずるに、少し沈みたる方あり。その方をば、「本」と書き付けて、遣はしつ。

また象を奉りて、これが重さの数(かず)数へて奉れ」と申したれば、「かうの□□□7)みじきわざかな」と思して、また、大臣を手まどひして召す。「このたびは、いみじきことあり」と、「え思ひ得じ」と思し召して、「いかがせむずる。今度(このたび)は、さらにえ思ゆまじきこと」なと仰せらる。大臣、「げにさ候ふことなめり8)。さりと まかり出でて、思ひめぐらかして、申し候はむ」と申して、まかでぬ。

王の思し召すやう、「わが前にても思ひ得つべきに、かく、里に出でつつ、思ひ得て来るは、心得ぬことかな。いかなることにか」と思し召す。

大臣、とばかりありて、帰り参りぬ。「これはしも、思ひ得がたくやあらむ」と思し召して、「何ぞ」と問ひ給ふ。大臣の申すやう、「象を船に乗せつ。沈むほどに水ぎはに墨書きつ。さて後に、象を下して、次に船に石を乗せつ。象乗せて書きつる墨のもとに水至る。その時に、石を秤(はかり)に懸けつつ量る。その後に、石数を数へて、すべて数へたる数をもつて、象の重さに数へあてて、『象の重さ、そこらぞある』といふことは知りぬ」。さて後、「象の重さ、いくらなむある」と書きて、帰し遣る。

あたの国に、知りがたき三つの物を、よく一事ならず言ひおこせたれば、その時に、いみじく讃め感ず。「賢き人、多かりける国なりけり。おほほけの上手は知るべくもあらぬことを、かくのみ言ひ当てておこすること、賢かりける国に、怨(あた)の心を発(おこ)しては、返りて打ちとられなむ。されば、したがひて仲良かるべきなり」。年ごろ挑みつる心、長く失せぬ。

さて、その王(みかど)、大臣を召して、「いかで、かかることは知りたるぞ。この国に恥を見せず、怨(あた)の国をも和(やはら)げけるつは、おほいまうち君9)の謀(たばか)りによりあることなれば、いみじう嬉しうなむ思ふ」

その時に、大臣、目より涙のこぼるるを、表衣の衿(そで)して、かいのごひ、鼻うちかみて申さく、「いにしへより、この国には、七十に余れば、他国に流し遣はすこと、沙汰に入れることなり。今始めたることにもあらず。しかるを、おのれが母、七十に余りて今年八年、朝夕の孝を送らむがために、屋の内に室を造りて候ふなり。『年老いたる者は、聞き広う候へば、もし聞きたることやある』とまかり出でつつ、問ひ候ひつるなり。この老人候はざらましかば」と申す時に、王(みかど)、仰せ給ふやう、「いかなることによりて、昔より老人を捨つることあらむ。今、これによりて、ことの心を思ふに、老を貴むべき国にこそありけれ。しかれば、遠国に遣はして、老者どもを、殊に女・上・中・下、とく召しに遣はすべき宣旨下すべし。また、『老人と捨つ』といふ国の名をば捨て、『養老国』と付くべし。

これより後(のち)、国の政事(まつりごと)平(たひら)かになりにけり。

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昔七十にあまれは他国へ人を流やる国に有けりそれに一人大臣老母をもたり朝夕に見て
孝□しけりかうする間に七十にあまりにたり朝に見て夕□不見程たに不審たへかたう/d17

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/17

をほゆるに倍て玄かなる国にに流れはいとかなしき事也と思て土室を掘て家の角に
隠居つ屋の人にたに殊に不知すかくて年ふるほとに隣の国より同様なる馬を二疋
ゐて来て此か祖子定よさらすは兵(いくさ)起て七日内国をほろほさむと云たる時に王(みか)と
大臣を召てかかる事なむ有るいかに定へきそ思て申と仰給ふ時大臣つふと申
へき事にも不候さなり罷出てて能思めくらかして申候はむと云心には隠をきたる
祖の□老ははかむなう聞をきたる事や有と心にくくおほゆれは先いきていひ合むと思て
里へ出ぬしのひて祖の室にまうててかかる事こそあれいかかせむする若聞き給ひたる事やある
と云ふ祖答て云「はやう若(わかかり)しをりかうやうの事云ひき其云様は同様なる馬祖を
定は草を中にをきてをほきて食を子とは知へし任て食をは祖と知へしなとやうに
こそききしかさやうに奏給と云を聞て内に参て御前に候は何そ彼馬事はと
仰給かうやうになむ思えて候ふいかなるへき事にかと申す王けにさも云はれたりと仰給て
御前に二馬を召て二の中に草を持(おかる)尓時にけに一疋馬はおほき食つ一疋の馬は
□か食すてたるを後食其時にをほくくふを子□札(ふた)付今一疋には祖と札を付て
遣しつ又同様に刊(けつり)たる木漆(うるし)ぬりたるを本末定てとて又進り同大臣を召てかかる
事なむ有と仰られけれは又如前申出母の本にいきて又かかる事なむあるなと申けれは
□の云様それはいと安し水に浮て見に少し沈(しつむ)方有む其沈方を本として知へきなりと/d18

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/18

□ひけれはかくなむ思得と申けれは申ままに水に入て御覧するに小沈たる方あり其方をは
本と書付て遣つ又象を進てこれか重の数すかそへて進と申たれはかうの□□□みし
きわさかなと思して又大臣手まとひして召此度はいみしき事ありとえ思得しとおほし
食て何せむする今度は更にえ思ゆましき事なと仰らる大臣けにささ候事な□りさりと
罷出て思めくらかして申候はむと申てまかてぬ王の思食様我前にても思得つへきに
かく里に出つつ思得てくるは心不得事かないかなる事にかと思食す大臣と許ありて帰
参ぬこれはしも思得かたくやあらむと思食て何そと問ひ給ふ大臣の申様象を船に乗つ
沈む程に水つきはに墨かきつさて後に象ををろして次に船に石を乗つ象乗て書る
墨のもとに水至其時に石を秤(はかり)に懸つつ量る其後に石数をかそへて惣数たる
数を以て象重さにかそへあてて象重さそこらそ有と云ことは知ぬさて後象重さ
いくらなむ有と書て帰し遣るあたの国に知り難き三の物を能一事ならす云ひ
をこせたれは尓時にいみしくほめ感す賢き人多りける国なりけりをほほけの上手は
知るへくも非ぬ事をかくのみいひあててをこする事賢こかりける国にあた(㤪)の心を発ては返て
打得れなむされは随て中か吉るへきなり年来いとみつる心長失ぬさてその王(みか)と大臣
を召ていかてかかる事は知たるそ此国ににはちをみせすあた(㤪)の国をも和けるつは大まうち君の
たはかりによりある事なれはいみしううれしうなむ思尓時に大臣目よりなみたのこほるる/d19

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/19

を表衣の衿てしてかいのこひ鼻うちかみて申くいにしへより此国には七十に余(あまれ)は
他国にに流(なかし)つかはす事沙汰に入れる事也今始たる事にも非すしかるををのれか母七十
にあまりて今年八年朝夕の孝を送らむかために屋の内に室を造て候也年
老る物は聞き広う候は若聞たる事やあると罷出つつ問候つるなり此老人候さら
ましかはと申時に王と仰給様いかなる事によりて昔より老人を捨る事あらむ今これに
よりて事の心を思ふに老を貴むへき国にこそありけれ然は遠国に遣はして老者共を殊に
女上中下早(とく)召に遣はすへき宣旨下すへし又老人と捨と云ふ国の名をは捨て養老
国と付へし此れより後ち国の政り事と平かに也にけり/d20

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/20

1)
底本一字判読不明。
2)
底本「夕□不見程タニ」。一字虫損
3)
底本「□が」一字判読できず。
4)
「子と」は底本「子□」一字虫損。文脈により補う。
5)
「母の」は底本「□ノ」。一字破損。文脈により補う。
6)
「言ひ」は底本「□ヒ」。一字破損。文脈により補う。
7)
底本、三字程度虫損。
8)
「さ候ふことなめり」は底本「サゝ候事ナ□リ」。□は虫損。文脈に従い訂正・補入。
9)
大臣を指す。
text/uchigiki/uchigiki07.1525070132.txt.gz · 最終更新: 2018/04/30 15:35 by Satoshi Nakagawa