とはずがたり
巻5 17 さても故大納言身まかりて今年三十三年になり侍りしかば・・・
校訂本文
さても、故大納言1)身まかりて、今年三十三年になり侍りしかば、形(かた)のごとく仏事など営みて、例の聖のもとへつかはしし諷誦(ふじゆ)に、
つれなくぞめくりあひぬる別つつ十(とを)つづ三(み)つに三つ余るまで
神楽岡といふ所にて煙(けぶり)となりし跡を尋ねてまかりたりしかば、旧苔(きうたい)露深く、道を埋(うづ)みたる木の葉が下(した)を分け過ぎたれば、石の卒都婆、形見顔に残りたるもいと悲しきに、さても、このたびの勅撰2)には漏れ給ひけるこそ悲しけれ。われ世にあらましかば、などか申し入れざらむ。続古今3)よりこの方、代々の作者なりき。また、わが身の昔を思ふにも、「竹園(ちくゑん)八代の古風、むなしく絶えなむするにや」と悲しく、最期終焉の言葉など、数々思ひ続けて、
古りにける名こそ惜しけれ和歌の浦に身はいたづらに海人(あま)の捨て舟
かやうにくどき申して帰りたりし夜、昔ながらの姿、われもいにしへの心地にて、あひ向ひて、この恨みを延ぶるに、「祖父久我の大相国4)は、落葉が峰の露の色づく5)言葉を述べ、われは『おのが越路も春の外(ほか)かは6)と言ひしより、代々の作者なり。外祖父兵部卿隆親7)は鷲の尾の臨幸に、『今日こそ花の色は添へつれ8)』と詠み給ひき。いづ方につけても、捨てらるべき身ならず。具平親王よりこの方、家久しくなるといへども、和歌の浦波絶えせず」など言ひて、立ちざまに、
なほもただかきとめてみよ藻塩草人をも分かず情(なさけ)ある世に
とうちながめて、立ちのきぬと思ひて、うちおどろきしかば、むなしき面影は袖の涙に残り、言の葉はなほ夢の枕にとどまる。
翻刻
さても故大納言身まかりてことしは三十三年になり侍し/s227l k5-39
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/227
かはかたのことく仏事なといとなみてれいのひしりの もとへつかはしし諷誦に つれなくそめくりあひぬる別つつとをつつみつに三あまるまて かくら岡といふ所にてけふりとなりし跡をたつねてまかり たりしかはきうたひつゆ深く道をうつみたる木の葉 かしたを分すきたれは石のそとはかたみかほにのこりたる もいとかなしきにさてもこのたひの勅撰にはもれ給ける こそかなしけれ我世にあらましかはなとか申いれさらむ 続古今よりこのかた代々のさくしやなりきまた我身の むかしを思ふにもちくゑん八代の古風むなしくたえ なむするにやとかなしくさいこしうゑんのこと葉なとかすかす/s228r k5-40
おもひつつけて ふりにけるなこそおしけれ和哥の浦に身はいたつらにあまのすて舟 かやうにくとき申て帰たりし夜むかしなからのすかた 我もいにしへのここちにてあひむかひてこのうらみをのふる にそふ久我の太相国はおち葉かみねのつゆの色つく こと葉をのへ我はをのる心ちもはるのわかれかはといひしより 代々のさくしやなり外祖父兵部卿たかちかはわしの尾の りんかうにけふこそ花の色はそへつれとよみ給きいつ かたにつけてもすてらるへき身ならす具平親王よりこの かた家ひさしくなるといへともわかのうらなみたえせす なといひてたちさまに/s228l k5-41
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/228
なをもたたかきとめてみよ藻塩草人をもわかすなさけあるよに とうちなかめてたちのきぬとおもひてうちおとろきしかは むなしきおもかけは袖のなみたにのこりことの葉はなを夢の まくらにととまるこれよりことさらこの道をたしなむ心/s229r k5-42