とはずがたり
巻2 16 長月の中の十日あまりにや善勝寺の大納言のもとより文細やかに書きて・・・
校訂本文
長月の中の十日あまりにや、善勝寺の大納言1)のもとより、文2)、細やかに書きて、「申したきことあり。出で給へ。出雲路といふわたりに侍るが、女どもの見参(げざん)したるが侍るに、いかがして、みづからの便りは身に代へても」など申ししを、「まめやかに同じ心に思ふべきこと」と思ひて、「この大納言は幼くより御心ざしあるさまなれば、これもまた、身親しき人なれば」など、思し召しめぐらしけるは、なほざりならずとも申しぬべき。
例のけしからずさは、恨めしくうとましく思ひ参らせて、恐しきやうにさへ覚えて、つゆの御いらへも申されで、床中に起きゐたるありさまは、「『あとより恋の3)』と言ひたるさまやしたるらん」と、われながらをかしくもありぬべし。
夜もすがら泣く泣く契り給ふも、身のよそに覚えて、「今宵ぞ限り」と心に誓ひゐたるは、誰(たれ)かは知らん。鳥の音ももよほし顔に聞こゆるも、人は悲しきことを尽して言はるれども、わが心には嬉しきぞ情けなき。大納言、声(こは)作りて、何とやらん言ふ音して帰りたるが4)、などするか、また立ち返り、さまざま仰せられて、「せめては、見だに送れ」とありしかども、「心地わびし」とて、起き上がらず、泣く泣く出で給ひぬる気色は、げに袖にや残し置き給ふらんと見ゆるも、罪深きほどなり。
大納言の心の内もわびしければ、いたく白々しくならぬ先にと、公事(おほやけごと)にことづけて、急ぎ参りて、局にうち臥したれば、まめやかに、ありつるままの面影の、そばに見え給ひぬるも恐しきに、その昼つ方、書き続けて給ひたる御言の葉は、偽りあらじと思えし中に、
悲しとも憂しとも言はむ方ぞなきかばかり見つる人の面影
今さら変はるとしはなけれども、あまりに憂くつらく覚えて、「言の葉もなかりつる物を」と思えて、
変はるらん心はいざや白菊のうつろふ色はよそにこそ見れ
あまりに多きことどもも、何と申すべき言の葉もなければ、ただかくばかりにてぞ侍りし。
翻刻
にも成ぬなか月の中の十日あまりにやせむせう寺の大納言 のもとより文こまやかにかきて申たき事ありいてたまへ いつもちといふわたりに侍か女とものけさんしたるか侍に いかかしてみつからのたよりは身にかへてもなと申しを まめやかにおなし心におもふへき事とおもひてこの大納言は おさなくより御心さしあるさまなれはこれも又身したしき/s82r k2-34
人なれはなとおほしめしめくらしけるはなをさりならすとも 申ぬへきれいのけしからすさはうらめしくうとましくおもひ まいらせておそろしき様にさへおほえてつゆの御いらへも申 されてとこ中におきゐたるありさまはあとより恋のとい ひたるさまやしたるらんと我なからおかしくも有ぬへし夜 もすからなくなくちきり給も身のよそにおほえてこよひそ かきりと心にちかひゐたるはたれかはしらん鳥の音ももよ ほしかほにきこゆるも人はかなしき事をつくしていは るれとも我心にはうれしきそなさけなき大なこんこは つくりて何とやらんいふをとして帰たるひなとする か又立かへりさまさまおほせられてせめてはみたにをくれと/s82l k2-35
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/82
ありしかとも心ちわひしとておきあからすなくなく出給ぬる けしきはけに袖にやのこしをき給らんとみゆるもつみ ふかきほとなり大納言の心のうちもわひしけれはいたく しらしらしくならぬさきにとおほやけことにことつけていそ き参りてつほねにうちふしたれはまめやかに有つるまま のおもかけのそはにみえ給ぬるもおそろしきにそのひるつ かたかきつつけて給たる御ことの葉はいつはりあらしとおほ えし中に かなしともうしともいはむかたそなきかはかりみつる人のおもかけ 今さらかはるとしはなけれともあまりにうくつらく覚てことの はもなかりつる物をとおほえて/s83r k2-36
かはるらん心はいさやしらきくのうつろふ色はよそにこそみれ あまりにおほき事とももなにと申へきことのはもなけれは たたかくはかりにてそ侍しそののちとかくおほせらるれとも/s83l k2-37