とはずがたり
巻2 2 春宮の御方いつしか御方分かちあるべしとて十五日の内とひしめく・・・
校訂本文
春宮1)の御方、いつしか、「御方分かちあるべし」とて、十五日の内とひしめく。例の院の御方・春宮、両方にならせ給うて、男(おとこ)・女房、面々に籤(くじ)に従ひて分かたる。
相手、みな男に女房合はせらる。春宮の御方には、傅(ふ)の大臣(おとど)2)を始めて、みな男、院の御方は、御所よりほかはみな女房にて、相手を籤に取らる。傅の大臣の相手に取り当たる。「面々、引出物(ひきいでもの)、思ひ思ひに一人づつして、さまざま能(のう)を尽くして、しいよ」と言ふ仰せこそ。
女房の方には、いと耐へがたかりしことは、あまりに、わが御身一つならず、近習(きむじゆ)の男たちを召し集めて、女房たちを打たせさせおはしましたるを、「ねたきことなり」とて、東(ひむがし)の御方3)と申し合はせて、「十八日には御所を打ち参らせん」といふことを談議して、十八日に、つとめての供御果つるほどに、台盤所(だいばんどころ)に女房たち寄り合ひて、御湯殿の上の口には新大納言殿4)・権中納言、あらはに別当九五、常の御所の中には中納言殿、馬道(めむだう)に真清水(ましみづ)さぶらふなどを立て置きて、東の御方と二人、末の一間にて、何となき物語して、「一定、御所はここへ出でさせおはしましなむ」と言ひて待ち参らするに、案にもたがはず、思し召しよらぬ御ことなれば、御大口ばかりにて、「など、これほど常の御所には、人影もせぬぞ。ここには誰(たれ)か候ふぞ」とて、入らせおはしましたるを、東の御方、かき抱き参らす。「あな悲しや。人やある、人やある」と仰せらるれども、きと参る人もなし。からうじて廂(ひさし)に師親の大納言5)が参らんとするをば、馬道に候ふ真清水、「子細候ふ。通し参らすまじ」とて、杖6)を持ちたるを見て、逃げなどするほどに、思ふさまに打ち参らせぬ。「これより後、長く人して打たせじ」と、よくよく御怠状(たいじやう)せさせ給ひぬ。
さて、「しおほせたり」と思ひて居たるほどに、夕供御参る折、公卿たち、常の御所に候ふに、仰せられ出だして、「わが御身、三十三にならせおはします。御厄に負けたると思ゆる。かかる目にこそあひたりつれ。十善の床を踏んで、万乗の主(あるじ)となる身に、杖を当てられし、いまだ昔もその例なくやあらん。などかまた、おのおの見継がざりつるぞ。一同せられけるにや」と、面々に恨み仰せらるるほどに、おのおの、とかく陳じ申さるるほどに、「さても、君を打ち参らするほどのことは、女房なりと申すとも、罪科軽(かろ)かるまじきことに候ふ。昔の朝敵の人にも、これほどの不思議は現ぜず候ふ。御影をだに踏まぬことにて候ふに、まさしく杖を参らせ候ひける不思議、軽からず候ふ」よし、二条左大臣7)・三条坊門大納言8)・善勝寺の大納言9)・西園寺の新大納言10)・万里小路の大納言11)、一同に申さる。
ことに善勝寺の大納言、いつものことなれば、われ一人と申して、「さても、この女房の名字は誰々ぞ。急ぎ承りて、罪科のやうをも、公卿一同にはからひ申すべし」と申さるる折、御所、「一人ならぬ罪科は、親類かかるべしや」と、御尋ねあり。「申すに及ばず候ふ。六親と申して、みなかかり候ふ」など、面々に申さるる折、「まさしく、われを打ちたるは、中院大納言が女(むすめ)、四条大納言隆親が孫、善勝寺の大納言隆顕の卿が姪と申すやらん。また、随分養子と聞こゆれば、御女と申すべきにや。二条殿の御局の御しごとなれば、まづ一番に、人の上ならずやあらん」と仰せ出だされたれば、御前に候ふ公卿、みな一声に笑ひののしる。
「年の始めに女房流罪せられんも、そのわづらひなり。ゆかりまてその咎(とが)あらんも、なほわづらひなり。昔もさることあり。急ぎ贖(あが)ひ申さるべし」と、ひしめかる。その折申す、「これ、身として思ひよらず候ふ。十五日に、あまりに御所強く打たせおはしまし候ふのみならず、公卿・殿上人を召し集めて打たせられ候ひしこと、本意(ほい)なく思ひ参らせ候ひしかども、身、数ならず候へば、思ひよる方なく候ひしを、東の御方、『この恨み、思ひ返し参らせん。同心せよ』と候ひしかば、『さ承はり候ひぬ』と申して、うち参らせて候ひし時に、われ一人罪に当たるべきに候はず」と申せども、「何ともあれ、まさしく君の御身を杖を当て参らせたるものに過ぎたることあるまじ」とて、御贖ひに定まる。
翻刻
そてぬらし侍し春宮の御方いつしか御かたわかち有へし とて十五日のうちとひしめくれいの院御方春宮両方 にならせたまふておとこ女房めむめむにくしにしたかひて わかたるあひてみなおとこに女房あはせらる春宮の 御かたにはふの大臣をはしめてみなおとこ院の御方は御 所より外はみな女房にてあひてをくしにとらるふの大臣 のあひてにとりあたるめむめむひきいて物おもひおもひに 一人つつしてさまさまのうをつくして/s66r k2-2
しいよといふおほせこそ女房のかたにはいとたへかたかり し事はあまりに我御身ひとつならすきむしゆのおと こたちをめしあつめて女房たちをうたせさせおはしまし たるをねたき事なりとてひむかしの御方と申あはせ て十八日には御所をうちまいらせんといふ事をたんきして 十八日につとめてのく御はつるほとにたいはん所に女房た ちよりあひて御ゆとののうへのくちには新大納言殿権中 納言あらはに別当九五つねの御所の中には中納言とのめむ たうにましみつさふらふなとをたてをきてひむかしの 御かたとふたりすゑの一まにてなにとなき物かたりして一 ちやう御所はここへいてさせおはしましなむと/s66l k2-3
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いひて待まいらするにあむにもたかはすおほしめしよらぬ 御事なれは御大くちはかりにてなとこれほとつねの御所 には人かけもせぬそここにはたれか候そとていらせおはし ましたるをひむかしの御かたかきいたきまいらすあなかな しや人やある人やあるとおほせらるれともきとまいる人もなし からうしてひさしにもろちかの大納言かまいらんとするを はめむたうに候まし水しさい候とをしまいらすましとて つえをもちたるをみてにけなとするほとにおもふさまに うちまいらせぬこれよりのちなかく人してうたせしとよく よく御たいしやうせさせ給ひぬさてしおほせたりとお もひてゐたるほとに夕く御まいるおり公卿たちつねの/s67r k2-4
御所に候におほせられいたしてわか御身三十三に成せ をはします御やくにまけたるとおほゆるかかるめにこそ あひたりつれ十せむのゆかをふむてはんせうのあるし となる身につえをあてられしいまたむかしもそのれいな くやあらんなとか又をのをのみつかさりつるそ一とうせら れけるにやとめむめむにうらみおほせらるるほとにをの をのとかくちんし申さるるほとにさてもきみをうち まいらするほとの事は女房なりと申ともさいくわかろ かるましき事に候むかしのてうてきの人にもこれ程の ふしきはけんせす候御かけをたにふまぬ事にて候 にまさしくつえをまいらせ候けるふしきかろからす候/s67l k2-5
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よし二条左大臣三条坊門大納言せんせうしの大納言さいをん 寺の新大納言まての小路の大納言一とうに申さることにせ むせうしの大納言いつもの事なれは我ひとりと申てさても この女房の名字はたれたれそいそきうけたまはりてさ いくわのやうをも公卿一とうにはからひ申へしと申さるる をり御所一人ならぬさいくわはしんるいかかるへしやと御たつ ねあり申すにおよはす候六しんと申てみなかかり候なと めむめむに申さるるをりまさしくわれをうちたるは中院 大納言かむすめ四条大納言たかちかかまこせんせうしの大納言 たかあきの卿かめいと申やらん又すいふんやう子ときこゆ れは御むすめと申へきにや二条殿の御つほね/s68r k2-6
の御しことなれはまつ一はむに人のうへならすやあらん とおほせいたされたれは御まへに候公卿みな一こゑにわら ひののしるとしのはしめに女房をるさいせられんもその わつらひなりゆかりまてそのとかあらんも猶わつらひなり むかしもさる事ありいそきあかい申さるへしとひしめかる そのおり申これ身としておもひよらす候十五日にあ まりに御所つよくうたせおはしまし候のみならす公卿 殿上人をめしあつめてうたせられ候し事ほいなく おもひまいらせ候しかとも身かすならす候へはおもひよる かたなく候しをひんかしの御かたこのうらみ思ひかへし まいらせんとうしんせよと候しかはさうけ給はり候ぬと/s68l k2-7
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申てうちまいらせて候し時に我一人つみにあたるへき に候はすと申せともなにともあれまさしくきみの御身 をつえをあてまいらせたる物にすきたる事あるましとて 御あかいにさたまるせんせう寺大納言御つかひにてたかちか/s69r k2-8