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text:tosanikki:se_tosa48

土佐日記

2月9日 鳥飼〜渚の院〜鵜殿

校訂本文

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九日、心もとなさに明けぬから船を曳きつつ上れども、川の水無ければ、ゐさりにのみぞゐざる。

この間に、曲(わだ)の泊(とまり)の分(あ)かれのところといふ所あり。米(よね)・魚(いを)など乞へば行なひつ。

かくて、船曳き上るに、渚の院1)といふ所を見つつ行く。その院、昔を思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる丘には、松の木どもあり。中の庭には、梅の花咲けり。ここに人々のいはく、「これ、昔、名高く聞こえたる所なり」。「故惟高(これたか)の親王(みこ)の御供(おほんとも)に、故在原業平の中将の、

  世の中にたつて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし

といふ歌詠める所なりけり」。

今、今日ある人、ところに2)似たる歌詠めり。

  千代(ちよ)経たる松にはあれどいにしへの声の寒さはかはらざりけり

また、ある人の詠める、

  君恋ひて世をふる宿の梅の花昔の香(か)にぞなほ匂ひける

と言ひつつぞ、都の近付くを喜びつつ上(のぼ)る。

かく上る人々との中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき。至れりし国にてぞ、子生めるものども、ありあへる。人みな船のとまる所に子を抱(いだ)きつつ降り乗りす。

これを見て、昔の子の母、悲しきにたへずして

  なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ

と言ひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも、歌も、好むとてあるにもあらざるべし。唐土(もろこし)もここも、思ふことにたへぬ時のわざとか。

今宵、鵜殿(うどの)といふ所に泊まる。

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翻刻

九日こころもとなさにあけぬ
からふねをひきつつのほれとも
かはのみつなけれはゐさりに/kd-45l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/45?ln=ja

のみそゐさるこのあひたにわたの
とまりのあかれのところといふところ
ありよねいをなとこへはおこなひつ
かくてふねひきのほるになきさの
院といふところをみつつゆくその
院むかしをおもひやりて
みれはおもしろかりけるところ
なりしりへなるをかにはまつ
のきともありなかのにはには/kd-46r
むめのはなさけりここにひとひと
のいはくこれむかしなたかくきこ
へたるところなり故これたかのみこ
のおほんともに故ありはらのなりひら
の中将のよのなかにたつてさくら
のさかさらははるのこころはのと
けからましといふうたよめるところ
なりけりいまけふあるひとこころに
にたるうたよめり ちよへたるまつ/kd-46l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/46?ln=ja

にはあれといにしへのこゑのさむさ
はかはらさりけりまたあるひとの
よめる きみこひてよをふるやとの
むめのはなむかしのかにそなほ
にほひけるといひつつそみやこ
のちかつくをよろこひつつのほる
かくのほるひとひとのなかに京
よりくたりしときにみなひと子
ともなかりきいたれりしくにに/kd-47r
てそ子うめるものともありあへる
ひとみなふねのとまるところにこを
いたきつつおりのりすこれをみてむか
しのこのははかなしきにたへす
して なかりしもありつつかへる
ひとのこをありしもなくてくる
かかなしさといひてそなき
けるちちもこれをききていかかあらむ
かうやうのこともうたもこのむとて/kd-47l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/47?ln=ja

あるにもあらさるへしもろ
こしもここもおもふことにたへぬ
ときのわさとかこよひうとのといふ
ところにとまる/kd-48r

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/48?ln=ja

1)
惟喬親王の別荘。
2)
「今日ある人、ところに」は底本「けふあるひとこころに」。
text/tosanikki/se_tosa48.txt · 最終更新: 2023/10/12 00:09 by Satoshi Nakagawa