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text:tosanikki:se_tosa44

土佐日記

2月5日 和泉灘〜小津泊〜石津〜住吉〜不明

校訂本文

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五日、今日からくして和泉の灘より、小津(をづ)の泊(とまり)を追ふ。松原、目もはるばるなり。これかれ苦しければ詠める歌、

  行けどなほ行きやられぬは妹(いも)が績(う)むをづの浦なる岸の松原

かくいひつつ来るほどに、「船とく漕げ。日の良きに」ともよほせば、楫取(かぢと)り船子(ふなご)どもにいはく、

  「御船(みふね)より仰(おふ)せ給ぶなり。朝北(あさきた)の出で来ぬさきに、綱手(つなで)はや曳け」

と言ふ。この言葉の歌のやうなるは、楫取(かぢと)りのおのづからの言葉なり。楫取りは、うつたへに、われ歌のやうなること言ふとにもあらず。聞く人の、「あやしく、歌めきても言ひつるかな」とて、書き出だせれば、げに三十字(みそもじ)あまりなりけり」。

今日、「波な立ちそ」と人々終日(ひねもす)に祈るしるしありて、風波(かぜなみ)立たず。今し、鴎(かもめ)群れゐて遊ぶ所あり。京の近付く喜びのあまりに、ある童(わらは)の詠める歌、

  祈りくる風間(かざま)と思(も)ふをあやなくも鴎さへだに波と見ゆらん

と言ひて行く間に、石津(いしづ)といふ所の松原おもしろくて、浜辺遠し。

また住吉のわたりを漕ぎゆく。ある人の詠める歌、

 今見てぞ身をば知りぬる住(すみ)の江の松よりさきにわれは経にけり

ここに、昔へ人1)の母、一日片時(ひとひかたとき)も忘れねば詠める、

  住の江に船さし寄せよ忘れ草しるしありやと摘みて行くべく

となむ。うつたへに忘れむとにはあらで、恋ひしき心地しばしやすめて、またも恋ふる力にせむとなるべし。

かく言ひて、ながめつつ来る間に、ゆくりなく風吹きて、漕げども漕げども、後(しり)へ退(しぞ)きに退きて、ほとほとしくうちはめつべし。楫取りのいはく、「この住吉の明神は、例の神ぞかし。欲しき物ぞおはすらん」とは、今めくものか。

「さて、幣(ぬさ)を奉り給へ」と言ふ。言ふにしたがひて、幣奉(たいまつ)る。かく奉(たいまつ)れれども、もはら風やまで、いや吹きに、いや立ちに、風波(かぜなみ)のあやふければ、楫取りまたいはく、「幣には御心(みこころ)のいかねば、御船も行かぬなり。なほ『うれし』と思ひ給ぶべき物奉(たいまつ)り給べ」と言ふ。

また、言ふにしたがひて、「いかがはせむ」とて、「眼(まなこ)もこそ二つあれ、ただ一つある鏡を奉(たいまつ)る」とて、海にうちはめつれば、口惜し。されば、うちつけに海は鏡の面(おもて)のごとなりぬれば、ある人の詠める歌、

  ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな

いたく、住の江・忘れ草・岸の姫松(ひめまつ)など言ふ神にはあらずかし。目もうつらうつら 、鏡に神の心をこそは見つれ。楫取りの心は神の御心(みこころ)なりけり。

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翻刻

五日けふからくしていつみのなたより
をつのとまりをおふまつはらめも
はるはるなりこれかれくるしけれは
よめるうた ゆけとなほゆきやら
れぬはいもかうむをつのうらなる
きしのまつはらかくいひつつくる
ほとにふねとくこけひのよきにと
もよほせはかちとりふなこともに/kd-39l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/39?ln=ja

いはくみふねよりおふせたふ
なりあさきたのいてこぬさきに
つなてはやひけといふこのことはの
うたのやうなるはかちとりのお
のつからのことはなりかちとりは
うつたへにわれうたのやうなる
こといふとにもあらすきくひとの
あやしくうためきてもいひつる
かなとてかきいたせれはけに/kd-40r
みそもじあまりなりけりけふ
なみなたちそとひとひとひねも
すにいのるしるしありてかせなみ
たたすいましかもめむれゐてあそふ
ところあり京のちかつくよろこ
ひのあまりにあるわらはのよめる
うた いのりくるかさまともふを
あやなくもかもめさへたになみ
とみゆらんといひてゆくあひたに/kd-40l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/40?ln=ja

いしつといふところのまつはらおもし
ろくてはまへとほしまたすみよし
のわたりをこきゆくあるひとのよめる
うたいまみてそみをはしりぬるすみ
の江のまつよりさきにわれはへにけり
ここにむかしへひとのははひとひ
かたときもわすれねはよめる
すみの江にふねさしよせよわ
すれくさしるしありやとつみて/kd-41r
ゆくへくとなむうつたへにわすれ
むとにはあらてこひしきここちし
はしやすめてまたもこふるちから
にせむとなるへしかくいひてなか
めつつくるあひたにゆくりなく
かせふきてこけともこけともしりへ
しそきにしそきてほとほとしく
うちはめつへしかちとりのいはく
このすみよしの明神はれいのかみそかし/kd-41l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/41?ln=ja

ほしきものそおはすらんとはいま
めくものかさてぬさをたてまつりた
まへといふいふにしたかひてぬさたいま
つるかくたいまつれれとももはらかせや
まていやふきにいやたちにかせ
なみのあやふけれはかちとりまた
いはくぬさにはみこころのいかねは
みふねもゆかぬなりなほうれしと
おもひたふへきものたいまつりたへと/kd-42r
いふまたいふにしたかひていかかはせむ
とてまなこもこそふたつあれたた
ひとつあるかかみをたいまつるとてう
みにうちはめつれはくちをし
されはうちつけにうみはかかみの
おもてのことなりぬれはあるひとの
よめるうた ちはやふるかみのこころ
をあるるうみにかかみをいれて
かつみつるかないたくすみの江/kd-42l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/42?ln=ja

わすれくさきしのひめまつなと
いふかみにはあらすかしめもうつらうつら
かかみにかみのこころをこそはみつれ
かちとりのこころはかみのみこころ
なりけり/kd-43r

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100421552/43?ln=ja

1)
亡き女児
text/tosanikki/se_tosa44.txt · 最終更新: 2023/10/07 16:43 by Satoshi Nakagawa