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沙石集

巻9第2話(111) 吉野の執行、遁世の事

校訂本文

吉野の執行(しゆぎやう)は、一門の中に威勢あれば討ち取りてする習ひにて、当執行の父、執行なりける時、兄弟の執行を討ち落して執行せんとしけり。

兄の執行、用心ひまなし。かかるほどに、しかるべき宿善やありけん、執行、思ひけるは、「一期の栄花は久しからず。当来の快楽をこそ願ふべきに、この執行ゆゑに、兄弟仲悪しく、用心ひまなきままに、後世菩提の沙汰にも及ばず。かくて無常の殺鬼に取られん時は、むなしく捨ててこそ行くべき道に、その用意なくして、合戦のことのみ支度するこそ、人間に生まれたる思ひ出でもなけれ」と、よしなく思ひ取りて、執行を弟に譲り、ある山里に遁世して、西大寺の思円上人を請じて戒を受け、洛陽より禅師なる僧請じて、宗風なんどうかがひ、修行怠らずして、臨終めでたくして、すでに終りにけりと聞こゆ。

さて、弟の執行、「わづかの一期の楽しみなる、執行をだにうらやみて、討ち取らんとしき。ものをうらやまんにとりては、世を遁れ、まことの道に入りて、臨終めでたきほどにうらやましきことあるべからず」とて、兄の執行が子息に執行をば譲りて、また遁世してけり。

ありがたき宿善にこそ。当執行も遁世の志ありと聞こゆ。先世の契り、たがひの知識となるべき人にやと、貴(たと)くこそ思え侍れ。善悪の縁、ともに思ひとけば、仏道に入る頼りなるべし。

阿闍世王(あじやせわう)は調達(てうだつ)1)といふ悪友にあひて、父母を幽閉し、父母は悪子にあひて閉ぢ込められしかば、これほどの悪縁はいかでかあるべきに、ことの心をよくよく思ひとけば、調達・闍王は、頻婆沙羅王(びんばしやらわう)・韋提希(ゐだいけ)のためには善知識なり。

王は閉ぢ込められて、日々に斎戒2)を受け、つひに第三果を得、夫人は浄土の教門を仏に受けて極楽に生れ、末代までの利益広し。されば、父母を仏道に入れたるほどの善巧(ぜんげう)方便やあるべき。

心地観経の心は、「世の人、子のために罪を作りて悪趣に入り、久しく苦を受く」と説けり。これは、愛子のために心を砕き、罪を作るゆゑなり。しかれば、よき子は悪しく、悪しき子 はよきこともあり。また、一向にかかるべきにもあらず。悪子にあひて、恨み怨(あた)を結び、罪を作り、また悪人の子、罪を作れば、亡ぜる親、苦を受くるごときは、悪子、すなはち怨なり。また、孝順の心ありて、浄蔵・浄眼のごとく知識となりて導く子は、よき子すなはち善縁なり。

一切のこと、みな四句の不同ありて、得失あひ交はる。心をかけて失を去り、得に付けて、仏道に入る頼りとすべし。物に得失あり、人に賢愚あることをわきまへ知るべし。たとへば、医師の薬を用ゆるに、下医は薬を毒となし、中医は毒を毒に使ひ、薬を薬に用ふ。上医は毒を薬に用ふ。これをもつて知るべし。邪見にひがみたらん人は、よき子にあひて知識とせずして、かへりて悪を作る因縁とせん。出家修行する子を憎みさふるかごとし。下医の薬を毒とするに似たり。中品の人は、悪子をば悪縁とし、善子をは善縁知識とすべし。中医の如し。上品の賢子は、悪子を知識とすること、頻婆沙羅・韋提希のごとくなるべし。上医の毒を薬とするがごとし。

されば、子のみならず、われに怨を結び、われを損害する悪縁来たるとも、先業の感ずる所、わが罪業を報ふことと思ひ、人の与ふることと思はずして、懺悔の心をも勧め、これによりて、衆苦充満の世界を厭ひ、怨憎会苦の逃れがたき国と知りて、韋提希のごとく浄土を願はば、怨を結ばん人、知識となるべし。心にかなはぬ友、わづらひある所、みな娑婆の執心を薄くする縁なり。

流転生死の苦しみは、執心着想により、出離解脱の道は、空無相の智にあり。無相の姿、執心なき心なり。されば、仏の一代の教門、第一義空を宗とす。金剛経3)には、「法なほ捨つべし。いかにいはんや非法をや」。仏法になほ執心をなすべからず。まして、世間のことに心を留めんや。かかる道理を思ひときて、悪縁に怨を結ばず、欲境に愛を深くせずは、解脱の道近かるべし。

人にそしられては思ふべし。「まことに過(とが)あらば、人のそしること道理なり。われも人の上を言ふことなり。他に恥ぢて過をとどむべし」。これ善知識なり。ゆゑに書にいはく、「わが悪を言ふ者は、わが師なり。わが好をいふ者の、わが賊なり」と言へり、このゆゑに、恨みそねむことなくして、「わが知識」と思うて、過を改むべし。

われを讃(ほ)むとも、憍慢すべからず。わづかの徳を讃むるによりて、慢をおこすは、魔の眷属となる大きなる失なり。また、讃むる下に必すそしりあるべしと思ふべし。いよいよ身を慎むべし。かかる心ならば、讃むともそしるとも、心動かずして、仏道に入る志をかたくすべし。八風(はつぷう)に動ぜぬ道、まことに学ぶべし。

播州書写4)性空上人いはく、「閑亭隠士。貧而亦賤。不羨富貴。以之為楽。四壁雖疎、八風難侵。一瓢底空、三味自濃。我不知人、無恨無喜。人不知我、無誉無毀。曲肘為枕、楽在其中。由何更求浮雲栄耀。(閑亭に隠士あり。貧しくしてまた賤し。富貴を羨はず。これをもって楽とす。四壁疎なりと雖も、八風侵し難し。一瓢の底空しけれども、三味自ら濃し。我人を知らざれば、恨みも無く喜びも無し。人我を知らざれば、誉も無く毀も無し。肘を曲げて枕とし、楽は其の中に在り。何に由りてか更に浮雲栄耀を求めん。」。

八風と言ふは、利・衰5)、毀・誉、称・譏、苦・楽なり。人、これによりて心を動かす風に喩ふ。三味は涅槃経には、「老いて三の味なし。出家・読誦・座禅なり」。

翻刻

  吉野之執行遁世事
吉野ノ執行ハ一門ノ中ニ威勢有レハ打取テスル習ニテ当
執行ノ父執行ナリケル時兄弟ノ執行ヲウチ落シテ執行セント
シケリ兄ノ執行用心ヒマナシカカルホトニ可然宿善ヤ有リ
ケン執行思ケルハ一期ノ栄花ハ久シカラス当来ノ快楽ヲコ
ソネカフヘキニ此執行故ニ兄弟中アシク用心ヒマナキママニ
後世菩提ノ沙汰ニモヲヨハスカクテ無常ノ殺鬼ニトラレン
時ハムナシクステテコソユクヘキ道ニソノ用意無シテ合戦ノ事ノ
ミ支度スルコソ人間ニ生タル思出モナケレトヨシナク思取テ/k9-331l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=330&r=0&xywh=-3073%2C330%2C6450%2C3835

執行ヲ弟ニユツリ或山里ニ遁世シテ西大寺ノ思円上人ヲ
請シテ戒ヲウケ洛陽ヨリ禅師ナル僧請シテ宗風ナントウカカヒ修
行ヲコタラスシテ臨終目出シテ已ニ終ニケリト聞ユサテ弟ノ執行
ワツカノ一期ノタノシミナル執行ヲタニウラヤミテ打取ラントシ
キ物ヲウラヤマンニトリテハ世ヲノカレ実ノ道ニ入テ臨終目
出キホトニ浦山シキ事アルヘカラストテ兄ノ執行カ子息ニ執
行ヲハ譲リテ又遁世シテケリ有カタキ宿善ニコソ当執行モ遁
世ノ志シ有ト聞ユ先世ノ契リタカヒノ知識ト成ヘキ人ニヤト
タトクコソ覚ヘ侍レ善悪ノ縁共ニ思トケハ仏道ニ入ルタヨリ
成ヘシ阿闍世王ハ調達ト言悪友ニ値テ父母ヲ幽閉シ父
母ハ悪子ニ値テトチコメラレシカハコレホトノ悪縁ハイカテカ
有ヘキニ事ノ心ヲ能々思トケハ調達闍王ハ頻婆沙羅王/k9-332r
韋提希ノタメニハ善知識ナリ王ハ閉コメラレテ日々ニ斉戒
ヲ受ケツヰニ第三果ヲ得夫人ハ浄土ノ教門ヲ仏ニ受テ極
楽ニ生レ末代マテノ利益ヒロシサレハ父母ヲ仏道ニ入レタ
ルホトノ善巧方便ヤアルヘキ心地観経ノ心ハ世ノ人子ノタ
メニ罪ヲ作テ悪趣ニ入リ久ク苦ヲ受クト説ケリ此ハ愛子ノタ
メニ心ヲクタキ罪ヲ作ル故也然レハヨキ子ハアシク悪シキ子
ハヨキ事モアリ又一向ニカカルヘキニモ非ス悪子ニ値テウラミ
アタヲムスヒ罪ヲ作リ又悪人ノ子罪ヲ作レハ亡セル親苦ヲ
受ルコトキハ悪子スナハチアタナリ又孝順ノ心有テ浄蔵浄
眼ノ如ク知識トナリテ導ク子ハヨキ子スナハチ善縁ナリ一
切ノ事皆四句ノ不同有テ得失アヒマシハル心ヲカケテ失ヲ
去リ得ニ付テ仏道ニ入ルタヨリトスヘシ物ニ得失アリ人ニ賢/k9-332l

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愚アル事ヲワキマヘ知ルヘシタトヘハ医師ノ薬ヲ用ユルニ下医
ハ薬ヲ毒トナシ中医ハ毒ヲ毒ニツカヒ薬ヲ薬ニ用フ上医ハ毒
ヲ薬ニ用フ此ヲ以可知邪見ニヒカミタラン人ハ能子ニ値テ
知識トセスシテ返テ悪ヲ作ル因縁トセン出家修行スル子ヲニ
クミサフルカ如シ下医ノ薬ヲ毒トスルニ似タリ中品ノ人ハ悪
子ヲハ悪縁トシ善子ヲハ善縁知識トスヘシ中医ノ如シ上
品ノ賢子ハ悪子ヲ知識トスル事頻婆沙羅韋提希ノ如ク
ナルヘシ上医ノ毒ヲ薬トスルカ如シサレハ子ノミナラス我ニア
タヲムスヒ我ヲ損害スル悪縁キタルトモ先業ノ感スル所我カ
罪業ヲムクフ事ト思ヒ人ノアタフル事ト思ハスシテ懺悔ノ心ヲ
モススメ此ニヨリテ衆苦充満ノ世界ヲイトヒ怨憎会苦ノノカ
レカタキ国トシリテ韋提希ノ如ク浄土ヲネカハハアタヲムス/k9-333r
ハン人知識トナルヘシ心ニカナハヌ友ワツラヒアル処ミナ娑
婆ノ執心ヲウスクスル縁ナリ流転生死ノ苦ミハ執心著想
ニヨリ出離解脱ノ道ハ空無相ノ智ニアリ無相ノスカタ執
心ナキ心也サレハ仏ノ一代ノ教門第一義空ヲ宗トス金剛
経ニハ法ナヲスツヘシ何ニ況ヤ非法ヲヤ仏法ニ猶執心ヲナ
スヘカラスマシテ世間ノ事ニ心ヲトトメンヤカカル道理ヲ思ヒト
キテ悪縁ニアタヲムスハス欲境ニ愛ヲフカクセスハ解脱ノ道チ
カカルヘシ人ニソシラレテハ思ヘシマコトニトカ有ラハ人ノソシ
ル事道理也我モ人ノ上ヲイフコトナリ他ニハチテトカヲトトム
ヘシ此善知識也故ニ書ニ云ク我カ悪ヲイフ者ハ我師也
我カ好ヲイフ者ノ我カ賊也ト云ヘリ此故ニウラミソネム事ナ
クシテ吾カ知識ト思フテトカヲアラタムヘシ我ヲホムトモ憍慢スヘ/k9-333l

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カラスワツカノ徳ヲホムルニヨリテ慢ヲオコスハ魔ノ眷属トナル
大ナル失ナリ又ホムル下ニ必スソシリアルヘシト思フヘシイヨイ
ヨ身ヲツツシムヘシカカル心ナラハホムトモソシルトモ心ウコカ
スシテ仏道ニ入ル志ヲカタクスヘシ八風ニ動セヌ道実ニナマフ
ヘシ播州書写性空上人云閑亭隠士貧而亦賤不羨冨
貴以之為楽四壁雖疎八風難侵一瓢底空三味自濃
我不知人無恨無喜人不知我無誉無毀曲肘為枕楽
在其中由何更求浮雲栄耀八風ト云ハ利襄毀誉称譏
苦楽ナリ人是ニヨリテ心ヲ動カス風ニタトフ三味者涅槃経
ニハ老テ三ノ味ナシ出家読誦坐禅也/k9-334r

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1)
提婆達多
2)
「斎戒」は底本「斉戒」。諸本により訂正。
3)
金剛般若波羅蜜経
4)
書写山円教寺
5)
「衰」は底本「襄」。
text/shaseki/ko_shaseki09a-02.txt · 最終更新: 2019/03/14 21:34 by Satoshi Nakagawa
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