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text:shaseki:ko_shaseki09a-01

沙石集

巻9第1話(110) 浄土房の遁世の事

校訂本文

伊豆の山に浄土房といふ学生ありけり。時の二和尚なり。一和尚の老僧、重病を受けて、かぎりなるよし聞きて、行きてとぶらひければ、一和尚の申しけるは、「法師が死せんこと、いかに嬉しく思すらん」と言ふ。思はずに思えて、「何事にか左様の心候ふべき」と言へば、「一和尚になり給はんずればよ」と言ひける。

別当もなくて、一和尚を別当のごとく思へる所なるゆゑに、かく言ひけるを聞きて、もとより道心ある僧にて、思ひけがされたるも、かつは恥かしく思えて、「この老僧が生ける時、遁世して見せん」と思ひて、弟子に坊を譲りて、山の岸に小さき庵室をかまへて、後世菩提の行怠らず。

ある時、長雨降り、震動して、山崩れて、この庵室をさながらうち埋(うづ)みてけり。弟子ども、慌て騒ぎて、「今はいふかひなし。屍(かばね)を取りて孝養せん」とて、土を掘りて見るに、庵室は砕けて跡形なし。浄土房はつつがなし。弟子ども、あまりのことにて嬉し泣きにぞ泣きける。

浄土房、思ひ入れたる気色にて、「あさましき損を取りたるぞや、御房」と言へば、「何事の御損かあるべき。御命のおはするこそ悦びなれ。御損とは御庵室のことか。御本尊なんどの損じておはすることか」と言へば、「そのことにはあらず。幼少の時より、観音の名号を念ずれば、かくのごとくの災難まぬかるることと思ひなれたる心にて、『南無観音』と一声唱へたりけるゆゑと思ゆる。命の助かりぬる同じ暇(いとま)にて、『南無阿弥陀仏』と唱へて、往生すべかりつるを、よしなく命延びて、憂き世に長らへんこと、まめやかに損を取りたる心地す」とて、涙を流しければ、弟子どももあはれに思えて、涙を流しけり。

深く思ひ入りて、この世に心をとどめず、浄土へ参らんと急ぐ心のまことありけるこそ、うらやましく思ゆれ。つひに、終りめでたく往生したるよし、申し伝へたり。

往生浄土の教行は、五濁相応(ごじよくさうおう)の法門、劣機直入の要路なれば、三国相伝して、諸宗の先達、諸道の賢者、心あるも心なきも、道俗貴賤をいはず、念仏を行ずる人多くこそ聞こゆれ。されども、まことある人1)は少なく、人なみなみなるは多し。

漢土の廬山に、慧恩寺の十八賢の、白蓮社といふ居所を構へて、誓ひをたて契りを結びて、世間の異営(こといとな)みをやめて、「影不出山。送客不過虎溪。(影山を出でず。客を送りて虎溪を過ぎず。)」とて、谷の外へ出でずして、一向往生極楽の行業のほか他事なくて、往生の大事とげたりと言へり。これほどの遁世はかたくとも、志まことあらば、身は家を出でず、形は世にまじはるとも、まめやかの信心ありて、穢土を厭ふ心深く、浄土を願ふ思ひ切ならば、往生の頼み疑ひあるべからず。

末代は、真実の道心ある人は少なく、教門を学びながら、仏の教へにそむくのみ多し。世間に朝夕しなれたることだにも、心疎略2)にしては、不覚も誤りもあり。いはんや、往生の大事、無始よりいまだせず。誰かなほざりに思はん。しかれば、中古の先達・智者、みなこのことを大事と思ひて、祈請して、道心を願ひき。

僧賀上人3)、中堂に千日参詣して、毎夜に千返の礼拝を行じて、道心申されしがごとし。慧心僧都4)も、往生のこと心もとなく思えて、「道占(みちうら)問はん」とて、作り道四塚の辺にて、少し高き所に立ちて見給へば、雨降り道悪しきに、老翁の滑り滑り歩み来て、僧都の立ち給へる所にて、「はや、極楽へ参りたり」と言ひける。「さてこそ、往生はさりとも」と頼もしく思はれけれ。往生要集撰して、唐朝まで名をほどこし、めでたき往生人なり。かの往生要集にも、「今の世に念仏を行ずる人は多けれども、往生をとぐる人の少なきは、まことをいたすことのなきゆゑ」と釈せり。

浄土論は天親菩薩5)の造、浄土宗の本論なり。かれにいはく、「浄土に生ぜんと思はば、菩提心を起こすべし。菩提心といふは、衆生を度して、仏の国土に生ぜしむ心なり」と言へり。されば、浄土に生ずるには、菩提心をもととす。自利の心は二乗の心なり。大乗の国土に生ずべからず。このゆゑに、曇鸞法師、かの論を注すとして、「かの国の快楽を聞きて、受楽のために願ひて度衆生の心なくは、生すべからず」と言へり。

世間の人、五欲の楽しみ、名利の執深くして、穢土を厭ふ心なし。病死憂患、種々の苦にあへども、なほ恐るる心なく、厭ふ思ひなし。世路(せいろ)にたしなみ走(わし)れども、身豊かに心やすきことなし。かからんにつけては、菩提心を発し、往生の行を勤むべし。まれにうけたる人身にて、急ぎて6)浄土へ生じ、有縁無縁を導かんとこそ思ふべきに、流転生死の業因は、なせどもなせども飽きたらず、浄土菩提の妙業は、教ふれども教ふれども思ひも入れず。

生を受ることは心の愛着するところ、業のひくにまかせて、その報を受く。しかれば、当来の生所は、今生の心に好みてなす。業因果報にあらはる。三毒五欲の悪業を好むは、三悪四趣の悪道を願ふになる。持戒修善を好むが、浄土天上の善所を願ふ人なり。これゆゑに、受けがたき人身なり。会ひがたき本願なり。余念をまじへず、願ふべきは西方、頼むべきは本願なり。

「具三心者必得往生。(三身を具する者は必ず往生を得。)」と説けり。「念々不捨者是名正定之業。(念々捨てざる者は是を正定の業と名づく。)」と釈せり。また、「不惜身命往西方。(身命を惜しまず西方へ往く。)」と言ふ。「不顧身命要求得。(身命を顧みず求め得んとす。)」と云々。信心勇猛にして、万事をさしおくべきものなり。魔界の人を取るも、まづその心動き物狂はしくなる時、たよりを得。仏の人を救ひ給ふも、まづ行者の心に信心まことある時、感応むなしからず。

老子にいはく、「道徳ある人は、陸を行くに、兕虎(じこ)も爪をさし置く所なく、陣7)に入るに、甲兵も刃をまじふる所なし」と言へり。意は、「大道を心に修して、妄念なく、身にも咎(とが)なきものには、身に死地なし。死地なければ、殺すべき所なし。眼みだりに見、ないし、心みだりに愛し、手みだりに持ち、足みだりに踏む時は、みなすでに生より死地に至る姿なり。されば、人の殺す事は、すでに死せる所を殺す。すべて、心にも咎なく、身にも誤りなく、死地なき時は、毒獣も犯さず、矢刀も立たず」と言へり。

このゆゑに、魔に捕らるるは、まづ心、魔となり、仏に度せらるるは、まづ心、仏となる。憍慢、すなはち魔なり。菩提心、すなはち仏なり。大般若8)の意にいはく、般若を念ずる者は、軍に入るに刀杖身を犯さず。そのゆゑは、般若は無相平等の智より、同体無縁の慈悲をおこすゆゑに。まづ、わが身に貪嗔愚痴等の兵仗なし。また、このゆゑに敵(かたき)おのづから慈非をおこし、こはき物はおのれと損じ、落ち失するよしを説かれたり、老子の大道、なほその徳あり。般若の妙体、いかでかその徳なからん。

書にいはく、「磁石、鉄を吸へども、曲れる針を吸はず。琥珀、塵を取れども、穢れたる塵を取らず」。薪を焼くも、木の中の火起りて後、外の火は付くなり。生木(なまき)には遅く火燃ゆ。心より万事起こりて、外の縁は来たる。しかれば、穢土を厭ひ、浄土を願ふ心、まことある時、仏の来迎も頼みあり。

世間の名利、夢中のことを心に思ひ染み、身の苦しきことも覚えず、浄土菩提の功徳は倦(ものう)く、手に念珠を持ちながら、心は四方山(よもやま)のことのみ思ひ、身は道場に入り仏に向へども、心にはよしなきことのみ思ひ、妻子に向ひ、朋友にともなひ、遊び戯(たはぶ)るるは、時刻の過ぐるも知られず。かかる心ざま、振舞ひにて、一定往生とうちかたむる人は、危く思え侍り。

観経9)の下品下生(げぼんげしやう)は、十悪五逆の罪人なれども、臨終に善知識にあひて、十念唱へて往生せり。かれをひきかけて頼むは、信あるに似たれども、愚かなる方もあるべし。かれは、先達の釈にも、宿善の人なり。一生悪縁にあひて罪人なれども、最後に十念唱へて、念々に八十億劫10)の生死の罪滅して、その後、また罪なくして来迎にあづかる。「三心具足し、八十億劫の罪消えぬれば生まる」と、古徳の釈の心見えたり。今の人も、宿善もあり、心も決定(けつぢやう)せば、生まるべし。

ただし、すでに教へに会ひ、知識に会ひながら、平生の志薄し。臨終に、もし苦患にも責められ、正念乱れば、三心もいかがとこそ思え侍れ。下品下生の人は、始めて会ひ、勇猛(ゆみやう)なれば、罪障も滅し、日輪の迎へにもあづかる。今の人は、会ひながら、すでに心ざし薄からんは、習ひさきよりおろそかなり。臨終に、初めてまことあらんこと、まれなり。全(また)くさる人なかるべしとにはあらず。人の病重く、正念乱れ、臨終になりては、日ごろ、よりよりしなれ、思ひなれ、心に染みたること、必ずあらはる。近年、疫病に人多く病み、死ぬることを聞くに、平生になれたることを口にも言ひ、身にも振舞ふと言へり。

されば、よくよく思ひ入れて、三心相応の専念功積みて、往生の大事をとぐべきものなり。世間の愚俗の、善悪因果の道理も知らず、思ひなれたることあり。「平生こそ、かくあれ、臨終には念仏申して往生せんずらん」。また、「今生こそ、かく愚かなれ。未来には浄土にも参り、仏となるべし」など、よしなく心をやるもの世に多し。貧しき者の思ひに、「今年こそ、かく貧しけれ。明年にはさりとも」と思ふ。何を待つともなし。なほなほわびしくのみなり行くがごとく、平生よりも臨終は悪く、今生よりも後生はなほなほ劣りぬべし。よくよく仏法に薫習(くんじゆ)すべし。空をあふくこと、あるべからず。

浄土房の志のごとく、一念もこの身を惜しまず、この世に心をとめずは、往生の素懐をとげんことかたからじ。愚かなる人の心を勧めんとて書き置き侍り。賢き人のためには侍らず。

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沙石集巻第九 上
  浄土房之遁世事
伊豆ノ山ニ浄土房ト云学生有ケリ時ノ二和尚ナリ一和
尚ノ老僧重病ヲ受テカキリナルヨシ聞テユキテトフラヒケレハ
一和尚ノ申ケルハ法師カ死セン事イカニウレシクオホスラントイ
フ思ハスニ覚テ何コトニカ左様ノ心候ヘキトイヘハ一和尚ニ
成リ給ハンスレハヨトイヒケル別当モナクテ一和尚ヲ別当ノ
コトク思ヘル所ナル故ニカクイヒケルヲ聞テモトヨリ道心アル
僧ニテ思ケカサレタルモ且ハハツカシク覚ヘテコノ老僧カ生ケ
ルトキ遁世シテ見セント思テ弟子ニ坊ヲ譲リテ山ノキシニ小キ
庵室ヲカマヘテ後世菩提ノ行ヲコタラスアル時長雨フリ震
動シテ山クツレテ此庵室ヲサナカラ打ウツミテケリ弟子共アハ/k9-326l

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テサハキテ今ハイフカヒナシカハネヲトリテ孝養セントテ土ヲホリ
テ見ルニ庵室ハクタケテ跡カタナシ浄土房ハツツカナシ弟子
共アマリノ事ニテウレシナキニソナキケル浄土房思入レタル気
色ニテアサマシキ損ヲ取タルソヤ御房トイヘハ何事ノ御損カ
アルヘキ御命ノオハスルコソ悦ナレ御損トハ御庵室ノ事カ御
本尊ナントノソンシテオハスル事カトイヘハ其事ニハアラス幼少
ノトキヨリ観音ノ名号ヲ念スレハカクノコトクノ災難マヌカル
ル事ト思ナレタル心ニテ南無観音ト一声トナヘタリケル故ト
覚ユルイノチノタスカリヌル同ジイトマニテ南無阿弥陀仏ト
唱ヘテ往生スヘカリツルヲ由ナク命ノヒテウキ世ニナカラヘンコ
トマメヤカニソンヲトリタル心地ストテナミタヲナカシケレハ弟子
共モ哀ニ覚テ涙ヲナカシケリフカク思入テコノ世ニ心ヲトトメ/k9-327r
ス浄土ヘマイラントイソク心ノマコトアリケルコソ浦山シク覚ユ
レツヰニオハリ目出ク往生シタルヨシ申伝タリ往生浄土ノ教
行ハ五濁相応ノ法門劣機直入ノ要路ナレハ三国相伝シ
テ諸宗ノ先達諸道ノ賢者心アルモ心ナキモ道俗貴賤ヲイ
ハス念仏ヲ行スル人多クコソ聞ユレサレトモマシテ有ル人ハス
クナク人ナミナミナルハ多シ漢土ノ廬山ニ慧恩寺ノ十八賢ノ
白蓮社ト云居所ヲ構テ誓ヲタテ契ヲムスヒテ世間ノコト営
ミヲヤメテ影不出山送客不過虎溪トテ谷ノ外ヘ出スシテ一
向往生極楽ノ行業ノ外他事ナクテ往生ノ大事トケタリト
イヘリ是ホトノ遁世ハカタクトモ志マコトアラハ身ハ家ヲ出ス
形ハ世ニマシハルトモマメヤカノ信心アリテ穢土ヲイトフ心フ
カク浄土ヲネカフ思切ナラハ往生ノタノミ疑ヒアルヘカラス末/k9-327l

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代ハ真実ノ道心有ル人ハスクナク教門ヲ学ナカラ仏ノヲシ
ヘニソムクノミオホシ世間ニ朝夕シナレタルコトタニモ心踈路
ニシテハ不覚モアヤマリモアリ況ヤ往生ノ大事無始ヨリイマタ
セス誰カナヲサリニ思ハンシカレハ中古ノ先達智者ミナ此事
ヲ大事ト思テ祈請シテ道心ヲ願ヒキ僧賀上人中堂ニ千日
参詣シテ毎夜ニ千返ノ礼拝ヲ行シテ道心申サレシカ如シ慧心
僧都モ往生ノ事心モトナク覚ヘテ道占トハントテ作道四塚
ノ辺ニテ少シ高キ所ニ立テ見給ヘハ雨フリ道アシキニ老翁ノ
スヘリスヘリアユミキテ僧都ノ立給ヘル所ニテハヤ極楽ヘ参リタリ
ト云ケルサテコソ往生ハサリトモトタノモシク思ハレケレ往生
要集撰シテ唐朝マテ名ヲホトコシ目出キ往生人ナリ彼往生
要集ニモ今ノ世ニ念仏ヲ行スル人ハ多ケレトモ往生ヲトクル/k9-328r
人ノスクナキハ実ヲ致ス事ノナキ故ト釈セリ浄土論ハ天親
菩薩ノ造浄土宗ノ本論也彼ニ云浄土ニ生セント思ハハ
菩提心ヲ起スヘシ菩提心ト云ハ衆生ヲ度シテ仏ノ国土ニ
生セシムココロ也ト云リサレハ浄土ニ生スルニハ菩提心ヲ本
トス自利ノ心ハ二乗ノ心ナリ大乗ノ国土ニ生スヘカラス此
故ニ曇鸞法師彼論ヲ注ストシテカノ国ノ快楽ヲ聞テ受楽ノ
タメニネカヒテ度衆生ノ心ナクハ不可生ト云リ世間ノ人五
欲ノ楽ミ名利ノ執フカクシテ穢土ヲイトフココロナシ病死憂患
種々ノ苦ニアヘ共猶恐ルルココロナクイトフ思ナシ世路ニタシ
ナミワシレトモ身ユタカニココロヤスキ事ナシカカランニ付テハ菩
提心ヲ発シ往生ノ行ヲツトムヘシマレニウケタル人身ニテ急
□浄土ヘ生シ有縁無縁ヲミチヒカントコソ思ヘキニ流転/k9-328l

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生死ノ業因ハ作セトモ作セトモアキタラス浄土菩提ノ妙業ハヲ
シウレトモヲシウレトモ思モ入レス生ヲ受ル事ハ心ノ愛著スルトコロ業
ノヒクニマカセテ其報ヲウクシカレハ当来ノ生所ハ今生ノ心
ニコノミテナス業因果報ニアラハル三毒五欲ノ悪業ヲ好ム
ハ三悪四趣ノ悪道ヲネカフニナル持戒修善ヲ好ハ浄土天
上ノ善所ヲネカフ人也是故ニウケカタキ人身也アヒカタキ本
願ナリ餘念ヲマシヘスネカフヘキハ西方タノムヘキハ本願也具
三心者必得往生ト説ケリ念々不捨者是名正定之業ト
釈セリ又不惜身命往西方ト云不顧身命要求得ト云々信
心勇猛ニシテ万事ヲサシヲクヘキ者也魔界ノ人ヲトルモ先ソ
ノ心ウコキモノクルハシクナル時タヨリヲウ仏ノ人ヲスクヒ給モ
先ツ行者ノ心ニ信心実アルトキ感応ムナシカラス老子云/k9-329r
道徳有ル人ハ陸ヲ行ニ兕虎モ爪ヲサシヲク所ナク陳ニ入ル
ニ甲兵モ刃ヲマシフル処ナシトイヘリ意ハ大道ヲ心ニ修シテ妄
念ナク身ニモトカナキモノニハ身ニ死地ナシ死地ナケレハ殺ス
ヘキ所ナシ眼ミタリニ見乃至心ミタリニ愛シ手ミタリニモチ足
ミタリニフム時ハ皆ステニ生ヨリ死地ニイタルスカタナリサレハ
人ノ殺ス事ハ既ニ死セル所ヲ殺ススヘテ心ニモトカナク身ニモ
アヤマリナク死地ナキ時ハ毒獣モオカサス矢刀モタタストイヘ
リ此故ニ魔ニトラルルハ先心魔トナリ仏ニ度セラルルハ先ツ
心仏トナル憍慢即魔也菩提心即仏也大般若ノ意云般
若ヲ念スル者ハ軍ニ入ルニ刀杖身ヲオカサスソノユヘハ般若
ハ無相平等ノ智ヨリ同体無縁ノ慈悲ヲオコスユヘニマツ我
身ニ貪嗔愚痴等ノ兵仗ナシ又コノユヘニカタキヲノツカラ慈/k9-329l

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非ヲヲコシコワキ物ハヲノレト損シ落ウスルヨシヲトカレタリ老
子ノ大道猶ソノ徳アリ般若ノ妙体イカテカソノ徳ナカラン
書ニ云ク磁石鉄ヲ吸ヘトモ曲レル針ヲスハス琥珀塵ヲトレト
モ穢タル塵ヲトラス薪ヲヤクモ木ノ中ノ火起テノチ外ノ火ハ
付ナリ生キニハヲソク火モユ心ヨリ万事起リテ外ノ縁ハキタル
然レハ穢土ヲイトヒ浄土ヲネカフ心実アル時仏ノ来迎モタ
ノミアリ世間ノ名利夢中ノ事ヲ心ニ思ソミ身ノクルシキ事
モ覚ヘス浄土菩提ノ功徳ハ倦ク手ニ念珠ヲモチナカラ心ハ
ヨモ山ノ事ノミ思ヒ身ハ道場ニ入リ仏ニ向ヘトモ心ニハヨシ
ナキ事ノミ思妻子ニムカヒ朋友ニトモナヒアソヒタハフルルハ時
刻ノスクルモシラレスカカル心サマフルマヒニテ一定往生トウチ
カタムル人ハアフナク覚ヘ侍リ観経ノ下品下生ハ十悪五逆/k9-330r
ノ罪人ナレトモ臨終ニ善知識ニアヒテ十念トナヘテ往生セ
リ彼ヲヒキカケテタノムハ信アルニ似タレトモヲロカナル方モア
ルヘシ彼ハ先達ノ釈ニモ宿善ノ人ナリ一生悪縁ニアヒテ罪
人ナレトモ最後ニ十念唱テ念々ニ八十億却ノ生死ノ罪
滅シテ其後又罪ナクシテ来迎ニアツカル三心具足シ八十億
劫ノ罪キエヌレハ生ルト古徳ノ釈ノ心見ヘタリ今ノ人モ宿
善モ有リ心モ決定セハムマルヘシ但シ既ニ教ニアヒ知識ニア
ヒナカラ平生ノ志ウスシ臨終ニ若シ苦患ニモセメラレ正念ミ
タレハ三心モイカカトコソ覚ヘ侍レ下品下生ノ人ハ始メテ
アヒ勇猛ナレハ罪障モ滅シ日輪ノ迎ニモアツカルイマノ人ハ
アヒナカラステニ心サシウスカランハナラヒサキヨリヲロソカナリ臨
終ニハシメテマコトアラン事マレナリマタクサル人ナカルヘシトニ/k9-330l

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ハアラス人ノ病ヲモク正念ミタレ臨終ニナリテハ日来ヨリヨリシ
ナレ思ナレ心ニソミタル事必スアラハル近年疫病ニ人多ク病
ミ死ル事ヲ聞クニ平生ニナレタル事ヲ口ニモ云身ニモフルマ
フトイヘリサレハ能々思入レテ三心相応ノ専念功積テ往
生ノ大事ヲトクヘキ者也世間ノ愚俗ノ善悪因果ノ道理モ
シラス思ナレタル事アリ平生コソカクアレ臨終ニハ念仏申テ
往生センスラン又今生コソカクヲロカナレ未来ニハ浄土ニモマ
イリ仏トナルヘシナトヨシナク心ヲヤルモノ世ニ多シマツシキ物
ノオモヒニ今年コソカクマツシケレ明年ニハサリトモト思ナニヲ
マツトモナシ猶々ワヒシクノミ成行カ如ク平生ヨリモ臨終ハ
ワロク今生ヨリモ後生ハ猶々オトリヌヘシ能々仏法ニ薫習
スヘシソラヲアフク事アルヘカラス浄土房ノ志ノ如ク一念モコ/k9-331r
ノ身ヲ惜マス此世ニ心ヲトメスハ往生ノ素懐ヲトケン事カタ
カラシヲロカナル人ノ心ヲススメントテ書置キ侍リ賢キ人ノ為
ニハ侍ラス/k9-331l

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1)
「まことある人」は底本「マシテアル人」。諸本により訂正。
2)
「疎略」は底本「踈路」。諸本により訂正。
3)
増賀
4)
恵心僧都・源信
5)
世親
6)
底本、「ぎて」汚損。諸本により補う。
7)
「陣」は底本「陳」。諸本により訂正。
8)
大般若経
9)
観無量寿経
10)
「劫」は底本「却」文脈により訂正。


text/shaseki/ko_shaseki09a-01.txt · 最終更新: 2019/03/12 22:19 by Satoshi Nakagawa