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沙石集

巻8第11話(104) 天狗の人に真言を教ふる事

校訂本文

奥州修行の僧、ある山中の古き堂に宿す。天狗のすむよし、里人言ひければ、すさましく思えて、仏壇の上に上り、仏座の後に座す。

夜更けて、山の峰より、人多くおとなひ下るを、恐しく思えて、隠形の印を結び、心を静めて見るに、白く清げなる法師を手輿(てぐるま)にかきて、小法師ばら二・三十人伴して、堂の内へ入る。この法師、「小法師ばら、庭に出でて遊び候へ」と言ふ。はらはらと出でて遊びけり。

さてこの僧、「や御房、御房」と言ふ。「見付けられぬ」と思ひて、「候ふ」と言ふ。「御房の隠形の印の結びやうの悪(わろ)くて見ゆるぞ。おはしませ。教へ申さん」と言ふ時、心安堵して、そばへ寄りぬ。こまごまと教へて、「さてもの見給へ。所詮なきやつばらに見せ申さじとて、追ひ出だしたり」と言ふ。

さて、印結びて居たれば、「よしよし、ただ今は見へ給はぬぞ」と言うて、「法師ばら、参り候へ」とて、堂の中にて、遊び舞踊りて、暁、山へ帰り登りにけり。

伊勢国のある山寺に、如法経を行ひける僧どもの弟子の児、いづちともなく失せて見えざりけるが、一両日過ぎて、堂の上にて見付けて、正念もなく見えければ、陀羅尼満てなんどして、本心になりぬ。

さて、語りけるは、「山臥どもに誘はれて、時のほどに、筑紫の安楽寺といふ所の山の中へ具せられて行きぬ。老僧の八十余りなるが、世に貴げにて、その中の尊者と見えしが、『あの児、ここへ来よ」とて、そばにおきて、『あやつばらは所詮なき者ぞ。ここに居て、もの見よ』と言ふ。頼もしく思えて、居て見るほどに、山臥ども、舞ひ踊りけるに、網のやうなる物の空より下りて、引き回すやうに見ゆる時、山臥ども、興冷めて逃げんとするにかなはず。網の目より火の燃え出でて、次第に燃え上りて、山臥ども、みな焼けて炭灰になりて、しばしありて、またもとのごとく山臥のなりて、また遊びける。老僧、『あの山臥、これへ参れ』と呼びて、『いかに、わ山臥はこの児をば具して来たるぞ。とくとく、もとの山寺へ具して行け』と言はれて、恐れたる気色にて、具して帰ると覚えつる」と言ひけり。

天狗といふこと、聖教の確かなる文見えず。先徳、魔鬼と釈せる、これにや。日本の人の言ひならはしたるばかりなり。ただ鬼の類にこそ。仏法者の中に破戒無慚の者、多くこの報を受くるなるべし。我相・憍慢・名利・謟媚の業、仏事にあひ交へて、雑類の報を受くるなるべし。

南都の興福寺に学生ありけり。他界の後、かの生所ゆかしく思ひ、弟子、あるとき春日野にて師匠に行き会ひぬ。「わ御房、わが生処を不審に思へり。いざ見せん」とて、春日山の奥へ具して行く。興福寺のごとくなる寺あり。三面の僧坊あり。かの師が坊へ呼び入れて、「ここに居て、わがありさま見よ」と言ふ。

さて、仏事講行なんど思えて、面々に法服取り、装束着て、講堂と思しきに並居て、問答すること常のごとし。その後、空より足ある釜、ふりふりとして落つ。銚子(てうし)・土器(かはらけ)体の物、続きて落つ。獄率のやうなる者、落ち下りて、釜の中に銅の湯の沸けるを、銚子に汲み入れて、土器にておし回し、僧どもに飲ましむ。術なげなる気色ながら、みな飲みて、やがて身焼けて失せぬ。とばかりありて、またもとのごとく蘇生して、坊へ帰りて、「われら、名利の心にて仏法を学し行ぜしゆゑに、かかる苦を受くるなり」と言ひけるを見聞きて、弟子の僧、学生にて、公請(くじやう)なんど勤めけるが、このことに発心して、修行に出でて、いづくともなく逐電してけり。

おほかたは同じくして、魔界となれども、善悪不同なり。仏法に信あれども、我相・執心尽きざる者は、仏法をわれも行じ他人の行ずるをも障碍せずして、随喜し守(まぼ)りともなる。仏法に信なく、ひとへに名利・憍慢深き者は、ほかの善根を妨ぐ。されば、出離も遠かるべし。

真言師の中にも、この道に入る者多し。近ごろ高野に聞こえし真言師も、天狗になりて後、大事の秘法を霊付きて、弟子に授けると言へり。智慧・道心あらば、何処にても行じて、それより出離すべし。

善天狗・悪天狗といふことあり。この姿なり。ただ今生の心行の善悪によるべし。華厳経には、菩提心なき行をば魔業と言へり。我執・憍慢等の心、あひ交はれるは、さだめてこの道に入るべし。淳浄の心をもつて、菩提心の上に行ずる人のみ、まことの道に入るべし。形(かたち)直(なほ)ければ、影も直く、源(みなもと)清ければ、流れも清きがごとし。因果の道理、疑ふべからず。わが心行をくはしく観じて、当来の果報は知るべし。善因は楽の果、悪因は苦の果あり。必然のことなり。

日本に天狗と言ひならはしたる本説なしと言へり。南山1)の業疏(ごつしよ)の中には、「罪福相雑(まじ)はる業、鬼趣相似の報を得」と言へる、これにや。また、魔鬼と言へる、これなるべし。天子魔は他化自在天(たけじざいてん)なり。鬼類にあらず。その部類なるべし。

圭峯2)の釈には、「傍行(ばうぎやう)の者をば畜生といひ、竪行(じゆぎやう)の者をば鬼といふ」と見えたり。盂蘭盆経3)の疏中にあり。鬼神には重々果報の優劣ありと見えたり。これ、ただ行因の浅深、重々なるゆゑなり。

昔五百の長者、山中にして路(みち)に迷ひて、疲れにのぞめり。樹神ありて、これをあはれみて、指の先より甘露美食を出だして、これに与ふ。その中の長者の上首、これを得て、音(こゑ)を上げて泣く。樹神、そのゆゑを問ふに、「われに伴(とも)あり。これを与へずして、われ一人用ゐることを悲しむ」よしを答ふ。「われ、これ食ひ尽くべからず。ことごとく呼びて与へよ」と言ふ。よろこびて、伴の長者、ことごとく尋ねて、あくまでこれを助けつ。

「そもそも、いかなる因縁にて、この果報を感じ給へるにか」と問ふに、神、答へていはく、「迦葉仏の時、鏡をとぎて世を渡る。大城の門の前にて、このことをせしに、乞食の沙門あれば、分衛(ふんゑ)の所を示す。われは貧にして与へずといへども、沙門をあはれむ心ざしありて、この指をもて、乞食の所を教へし業因にて、指より飲食を湧かすに、尽くることなし」と言ひけるに、沙門を供養する業因の貴きことを信じて、日々に八千の僧を供養しける。「米を洗ふ汁4)流れて、河となりて、船を浮ぶるほどなり」と言へり。経の分の意(こころ)なり。

これは、鬼神といへども、果報、人にもすぐれたり。分衛とは乞食の梵語なり。

翻刻

  天狗之人真言教事/k8-303r
奥州修行ノ僧或山中ノ古キ堂ニ宿ス天狗ノスムヨシ里人
云ケレハスサマシク覚テ仏壇ノ上ニノホリ仏座ノ後ニ坐ス夜
フケテ山ノ峯ヨリ人多クヲトナヒ下ルヲヲソロシク覚テ隠形ノ
印ヲムスヒ心ヲシツメテ見ルニ白ク清ケナル法師ヲ手輿ニカ
キテ小法師原二三十人伴シテ堂ノ内ヘ入コノ法師小法師
原庭ニ出テアソヒ候ヘト云ハラハラトイテテアソヒケリサテコノ
僧ヤ御房御房ト云ミツケラレヌト思テ候ト云御房ノ隠形ノ印
ノムスヒヤウノワロクテ見ユルソオハシマセヲシヘ申サント云時
心安堵シテソハヘヨリヌコマコマトヲシヘテサテ物見給ヘ所詮ナキ
ヤツハラニ見セ申サシトテ追出シタリトイフサテ印ムスヒテ居タ
レハヨシヨシ只今ハ見ヘタマハヌソトイフテ法師原参候ヘトテ
堂ノ中ニテ遊舞ヲトリテ暁山ヘ帰登リニケリ/k8-303l

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伊勢国ノ或山寺ニ如法経ヲオコナヒケル僧トモノ弟子ノ
児イツチトモナク失テ見ヘサリケルカ一両日過テ堂ノ上ニテ
見ツケテ正念モナク見ヘケレハ陀羅尼満ナントシテ本心ニ成ヌサ
テカタリケルハ山臥トモニサソハレテ時ノホトニ筑紫ノ安楽寺
トイフ所ノ山ノ中ヘ具セラレテユキヌ老僧ノ八十アマリナルカ
世ニ貴ケニテソノ中ノ尊者ト見ヘシカアノ児ココヘコヨトテソハ
ニヲキテアヤツハラハ所詮ナキ物ソ爰ニ居テモノ見ヨトイフタノ
モシク覚テ居テ見ルホトニ山臥トモマヒヲトリケルニ網ノヤウ
成物ノソラヨリ下リテヒキマハスヤウニ見ユル時山臥トモ興サ
メテニケントスルニカナハス網ノ目ヨリ火ノモヱイテテ次第ニモ
ヱアカリテ山臥トモ皆ヤケテ炭灰ニ成テ暫アリテ又本ノ如ク
山臥ノ成テ又アソヒケル老僧アノ山臥是ヘ参レトヨヒテイカ/k8-304r
ニワ山臥ハ此児ヲハ具シテ来ソトクトク本ノ山寺ヘ具シテユケト
云レテオソレタル気色ニテ具シテ帰ト覚ヘツルト云ケリ天狗ト
云事聖教ノタシカナル文見ヘス先徳魔鬼ト釈セル是ニヤ
日本ノ人ノ云ナラハシタル計也只鬼ノ類ニコソ仏法者ノ
中ニ破戒無慚ノ者多ク此報ヲ受ル成ヘシ我相憍慢名利
謟媚ノ業仏事ニ相交テ雑類ノ報ヲ受成ヘシ南都ノ興福
寺ニ学生有ケリ他界ノ後彼生所ユカシク思弟子有時春
日野ニテ師匠ニユキアヒヌワ御房我生処ヲ不審ニ思ヘリイ
サ見セントテ春日山ノ奥ヘ具シテユク興福寺ノ如クナル寺有
三面ノ僧坊有カノ師カ坊ヘ呼入テ爰ニ居テ我有様見ヨト
云サテ仏事講行ナント覚テ面々ニ法服取リ装束キテ講堂
トオホシキニ並居テ問答スル事常ノ如シ其後空ヨリ足アル/k8-304l

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釜フリフリトシテオツテウシカハラケ体ノ物ツツキテオツ獄率ノヤウ
ナル物落下リテ釜ノ中ニ銅ノ湯ノワケルヲテウシニクミ入テカ
ハラケニテヲシマハシ僧トモニノマシム術ナケナル気色ナカラ皆
ノミテヤカテ身ヤケテウセヌト計アリテ又本ノ如ク蘇生シテ坊ヘ
帰テ我等名利ノ心ニテ仏法ヲ学シ行セシ故ニカカル苦ヲウ
クルナリトイヒケルヲ見聞テ弟子ノ僧学生ニテ公請ナント勤
ケルカ此事ニ発心シテ修行ニ出テイツクトモナク逐電シテケリ
大方ハ同クシテ魔界トナレトモ善悪不同ナリ仏法ニ信アレト
モ我相執心ツキサル者ハ仏法ヲ我モ行シ他人ノ行スルヲモ
障㝵セスシテ随喜シマホリトモナル仏法ニ信ナク偏ニ名利憍
慢フカキ者ハ他ノ善根ヲサマタクサレハ出離モトヲカルヘシ真
言師ノ中ニモ此道ニ入者多シ近比高野ニ聞シ真言師モ天/k8-305r
狗ニナリテ後大事ノ秘法ヲ霊付テ弟子ニ授ケルトイヘリ智
慧道心アラハ何処ニテモ行シテソレヨリ出離スヘシ善天狗悪
天狗ト云事アリコノスカタ也唯今生ノ心行ノ善悪ニヨルヘ
シ華厳経ニハ菩提心ナキ行ヲハ魔業トイヘリ我執憍慢等
ノ心アヒマシハレルハ定テ此道ニ入ヘシ淳浄ノ心ヲ以菩提
心ノ上ニ行スル人ノミマコトノ道ニ入ヘシ形ナヲケレハ影モナ
ヲク源キヨケレハ流モキヨキカ如シ因果ノ道理ウタカフヘカラ
ス我カ心行ヲ委ク観シテ当来ノ果報ハシルヘシ善因ハ楽ノ果
悪因ハ苦ノ果アリ必然ノ事也日本ニ天狗トイヒナラハシタ
ル本説ナシトイヘリ南山ノ業疏ノ中ニハ罪福相雑ル業鬼
趣相似ノ報ヲ得トイヘルコレニヤ又魔鬼トイヘルコレナルヘシ
天子魔ハ他化自在天ナリ鬼類ニアラスソノ部類ナルヘシ/k8-305l

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圭峯ノ釈ニハ傍行ノ物ヲハ畜生トイヒ竪行ノ物ヲハ鬼トイ
フト見ヘタリ孟蘭盆経ノ疏中ニ有鬼神ニハ重々果報ノ優
劣アリト見ヘタリ是タタ行因ノ浅深重々ナル故也昔五百
ノ長者山中ニシテ路ニ迷テツカレニノソメリ樹神有テ是ヲアハ
レミテ指ノサキヨリ甘露美食ヲ出シテ是ニアタフ其中ノ長者ノ
上首是ヲ得テ音ヲアケテナク樹神其故ヲトフニ我ニ伴アリ
是ヲアタヘスシテ我一人用ル事ヲカナシムヨシヲ答フ我此食ツ
クヘカラス悉クヨヒテアタヘヨトイフヨロコヒテ伴ノ長者コトコト
ク尋テアクマテ是ヲタスケツソモソモ何ナル因縁ニテ此果報ヲ
感シ給ヘルニカト問ニ神答云迦葉仏ノ時鏡ヲトキテ世ヲワ
タル大城ノ門ノ前ニテコノ事ヲセシニ乞食ノ沙門アレハ分衛
ノ所ヲシメス我ハ貧ニシテアタヘストイヘトモ沙門ヲ哀レム心サ/k8-306r
シアリテ此指ヲモテ乞食ノ所ヲヲシヘシ業因ニテ指ヨリ飲食
ヲワカスニ尽ルコトナシトイヒケルニ沙門ヲ供養スル業因ノ貴
キコトヲ信シテ日々ニ八千ノ僧ヲ供養シケル米ヲ流汁流テ
河トナリテ船ヲウカフルホトナリトイヘリ経ノ分ノ意也コレハ
鬼神トイヘトモ果報人ニモスクレタリ分衛トハ乞食ノ梵
語ナリ

沙石集巻第八上終/k8-306l

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1)
道宣
2)
圭峰宗密
3)
「盂蘭盆経」は底本「孟蘭盆経」。文脈により訂正
4)
「米を洗ふ汁」は底本「米ヲ流汁」。諸本により訂正。
text/shaseki/ko_shaseki08a-11.txt · 最終更新: 2019/02/26 12:25 by Satoshi Nakagawa
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