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沙石集

巻7第16話(93) 慳貪者の事

校訂本文

奥州に百姓ありけり。慳貪1)にして、妻子にも情(なさけ)なかりければ、妻、逃げ逃げするを、たびたび捕(とら)へてぞおきける。

ある時、五・六歳なる子懐(いだ)きて、地頭のもとに行きて申しけるは、「夫にて候ふ者、あまりに情なく慳貪2)に候ふゆゑに、耐へ忍びてあひ添ふべき心地も候はず。御下知を蒙(かぶ)りて、離れ候はば、しかるべく候ひなん」と申す。地頭、「夫こそ妻を去る習ひなれ。妻(つま)として夫をさること、いかなる子細ぞ」と尋ぬるに、「あまりに情なく候ふこと、さのみは申し尽しがたく候ふ。一事を申さば、余事は御𨗈迹(きやうじやく)あるべし。過ぎ候ひしころ、山川にまかりて、大なる鮎を三十ばかり取りて帰りて、少々は煮て食ひ候ふ。残りは鮨(すし)にしておき候ふ。この子、ただ一人候ふが、『父よ、魚食はん』と申して、取り付きて泣き候ふに、『やれ、いまだ煮へぬぞ』とて、試み試み、ただ一人食ひて、この子にたび候はず。ましてわらはには、思ひだにより候はず。『さりとも、鮨はたび候ひなん』と思ひしに、『いまだならぬぞ、いまだならぬぞ』と申して、一つもたび候はず。これをもつて、よろづ御心得候ふべし」と申す。

夫を召して引き合はするに、「妻が申状にたがはず」と申しければ、「不当の者なりけり」とて、境を追ひ越しぬ。妻丸は、いみじく今まであひつれたり。「情ありけり」とて、女、公事(くじ)ばかりして、男、公事は許されて、もとのごとく家に置かれたりけり。

財宝の欲しきも、ひとへに妻子のためとこそ、人の心は思へるに、いたりて情なき者はかかるにこそ。あまりに心かたきものは、わが身に惜しむことあり。「自施(じせ)は施とならず、自慳(じけん)は慳となる」と言ひて、わが身にも惜しむは、いたりて慳貪3)の深きゆゑに、十悪の随一、慳貧の戒を犯(ぼん)ずるなり。「淫心は火となり、慳心は氷となりて、地獄に入りて苦を受く」と経に説かれたり。

人の心の賢きといふは、久しく身を保ち、楽をも受け、財をよくおさめ、永く失せぬはからひをこそすべきに、慳貪なるものは、人にも与へず、善根にもし入れず、三宝の福田(ふくでん)、父母師長の恩田(おんでん)、貧病乞丐の悲田(ひでん)にも施せずして、ただかく蔵に収め、深く篋(はこ)に封ずれども、盗賊の難もあり、王臣のためにも奪はれ、あるいは火に焼け、水に流れ、求むるも苦しく、守(まぼ)るも煩ひあり。失せぬれば、いたづらに身心を苦しめて利益なく、身にも用ゐずして、にはかにうち捨つる時は、これがために作りし罪のみ身にそひて、一物も中有の旅に身を助くることなし。檀度(だんど)を行ずれば、永く朽ちせず、尽きせぬことを知らぬこそ、かへすがへすも愚かなれ。

これを争ひて、孝養もせず、子息・弟子の中の悪しきも、財宝のゆゑなり。

ある山寺に、有徳の房主、弟子・門徒多くありけり。頓死して、処分もせざりけるままに、弟子ども、処分論じて、中悪しくして、問答し、葬(さう)もせず、両三日に及ぶほどに、臭くなりけるを見かねて、よそより葬してけり。かの葬したる者、語りき。無下に近きことなり。されば、心あらむ人は、真実の福田の蔵に積み蓄へて4)、七分全得の慧業を修すべきなり。世の人の賢きと思ふは、はかなし。ただ善事につひやすことをば、をこがましきことと、慳貧の者は思ひあひたり。まことに、後の世の深き蓄へを知らざるこそ、をこがましく思ゆれ。よくよく思ひはからふべし。

ある山寺に、慳貪なる房主ありて、粘桶(あめをけ)を一つ持ちて、ただ一人ある小児(こちご)にいささかも食はせずして、「これは人の食へば死ぬものぞ」とて、ただ一人食ひては、よく置き置きしけるを、この児、「いかがして、これを食はまし」と思ひて、房主他行のひまに、棚に高く置きたるを取るほどに、髪にも小袖にもうちこぼして付けたりけり。

日ごろ、「欲し欲し」と思ひけるままに、よくよく二・三盃食ひて、房主の秘蔵の水瓶(すいびやう)を雨だりの石に落して、打ち割りて、房主の帰りたる時、しくしくと泣く。「何事ぞ、けしからずの泣きやうや」と言へば、あさましきことの候ふ。御水瓶をあやまちに打ち割りて候ふ時に、『いかなる御勘当もや』と思ひ候ひて、命生きてもよしなく思えて、人の食へば死ぬると仰せられ候ふものを、一盃食べ候へども死なれ候はず。二・三盃食べつれども死なれ候はず。髪にも小袖にも付けて死なんとし候へども、すべて死なれ候はず」と言ひける。

慳貧なるは、まさる損なり。少し食はせたらば、水瓶は割られじかし。児の心が賢かりけり。学問の器量も無下にはあらじ。「盗人と智者の相は同じ」と言へり。舎利弗は、昔盗人なり。智慧をもて盗みもよくするなり。

翻刻

  慳貪者事
奥州ニ百姓有ケリ慳貧ニシテ妻子ニモナサケナカリケレハ妻ニ/k7-284l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=283&r=0&xywh=-3871%2C-68%2C7741%2C4602

ケニケスルヲタヒタヒトラヘテソヲキケルアル時五六歳ナル子懐テ
地頭ノモトニユキテ申ケルハ夫ニテ候モノアマリニナサケナク慳
貧ニ候ユヘニタヘシノヒテアヒソフヘキ心地モ候ハス御下知ヲ
カフリテハナレ候ハハ可然候ナント申地頭夫コソ妻ヲサルナ
ラヒナレツマトシテ夫ヲサル事何ナル子細ソトタツヌルニアマリニ
ナサケナク候事サノミハ申尽シカタク候一事ヲ申サハ余事ハ
御𨗈迹有ヘシ過候シ此山川ニマカリテ大ナル鮎ヲ三十ハ
カリ取テ帰テ少々ハ煮テクヒ候残リハスシニシテヲキ候此子只
一人候カ父ヨ魚クハント申テトリツキテナキ候ニヤレ未タニヱ
ヌソトテココロミココロミ只一人クヒテ此子ニタヒ候ハスマシテワラ
ハニハ思タニヨリ候ハスサリトモスシハタヒ候ナント思シニ未タ
ナラヌソ未タナラヌソト申テ一ツモタヒ候ハス是ヲ以テヨロツ御心得候ヘ/k7-285r
シト申夫ヲ召テヒキアハスルニ妻カ申状ニタカハスト申ケレハ
不当ノモノナリケリトテ境ヲ追越ヌ妻丸ハイミシクイママテア
ヒツレタリナサケ有リケリトテ女公事ハカリシテ男公事ハユルサ
レテモトノコトク家ニ置レタリケリ財宝ノホシキモヒトヘニ妻子
ノタメトコソ人ノココロハ思ヘルニイタリテナサケナキモノハカカ
ルニコソアマリニ心カタキモノハ我身ニ惜ム事有自施ハ施ト
ナラス自慳ハ慳ト成トイヒテ我身ニモ惜ムハ至テ慳貧ノフカ
キ故ニ十悪ノ随一慳貧ノ戒ヲ犯スルナリ淫心ハ火ト成リ
慳心ハ氷ト成テ地獄ニ入テ苦ヲ受ト経ニトカレタリ人ノ心
ノ賢キト云ハ久ク身ヲタモチ楽ヲモ受ケ財ヲヨクオサメ永クウ
セヌハカラヒヲコソスヘキニ慳貪ナルモノハ人ニモアタヘス善根
ニモシ入ス三宝ノ福田父母師長ノ恩田貧病乞丐ノ悲田/k7-285l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=284&r=0&xywh=-1799%2C588%2C5375%2C3195

ニモ施セスシテタタカク蔵ニオサメフカク篋ニ封スレ共盗賊ノ
難モ有王臣ノタメニモウハハレ或ハ火ニヤケ水ニナカレモトム
ルモクルシクマホルモワツラヒアリウセヌレハ徒然ニ身心ヲクルシ
メテ利益ナク身ニモ用スシテ俄ニ打スツルトキハ是カタメニツクリ
シ罪ノミ身ニソヒテ一物モ中有ノ旅ニ身ヲタスクル事ナシ檀
度ヲ行スレハ永ク朽セスツキセヌ事ヲシラヌコソ返々モヲロカ
ナレ是ヲアラソヒテ孝養モセス子息弟子ノ中ノアシキモ財宝
ノ故ナリ或山寺ニ有徳ノ房主弟子門徒多ク有ケリ頓死シテ
処分モセサリケルママニ弟子共処分論シテ中アシクシテ問答シ
葬モセス両三日ニ及フホトニクサク成ケルヲ見カネテヨソヨリ
葬シテケリ彼葬シタル者カタリキムケニ近キ事也サレハ心アラ
ム人ハ真実ノ福田ノ蔵ニ積畜テ七分全得ノ慧業ヲ修スヘ/k7-286r
キナリ世ノ人ノカシコキト思ハハカナシタタ善事ニツヰヤス事ヲ
ハオコカマシキ事ト慳貧ノモノハ思アヒタリ実ニ後ノ世ノフカ
キタクハヘヲシラサルコソオコカマシク覚ユレ能々思ハカラフヘシ
或山寺ニ慳貪ナル房主アリテ粘桶ヲ一モチテ只一人アル
小児ニイササカモクハセスシテ是ハ人ノクヘハ死ヌ物ソトテタタ一
人クヒテハヨクヲキヲキシケルヲ此児イカカシテ是ヲクハマシト思テ
房主他行ノヒマニタナニ高クヲキタルヲトルホトニ髪ニモ小袖
ニモウチコホシテツケタリケリ日比ホシホシト思ケルママニ能々二
三盃クヒテ房主ノ秘蔵ノ水瓶ヲ雨タリノ石ニ落シテウチワリテ
房主ノ帰タル時シクシクト泣何事ソケシカラスノナキヤウヤトイ
ヘハアサマシキ事ノ候御水瓶ヲアヤマチニウチワリテ候時ニイカ
ナル御勘当モヤト思ヒ候テ命イキテモヨシナク覚ヘテ人ノクヘ/k7-286l

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ハ死ト仰ラレ候物ヲ一盃タヘ候ヘトモ死ナレ候ハス二三盃
タヘツレトモシナレ候ハスカミニモ小袖ニモツケテ死ナントシ候
ヘ共スヘテ死レ候ハストイヒケル慳貧ナルハマサル損也少シク
ハセタラハ水瓶ハワラレシカシ児ノ心カ賢カリケリ学問ノ器量
モ無下ニハアラシ盗人ト智者ノ相ハ同シト云ヘリ舎利弗ハ
ムカシ盗人也智慧ヲモテ盗モ能スル也
沙石集巻第七下終    神護寺  迎接院/k7-287r

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=286&r=0&xywh=-161%2C399%2C5805%2C3451

1) , 2) , 3)
「貪」は底本「貧」。文脈により訂正。
4)
「蓄へて」は底本「畜テ」。文脈により訂正。
text/shaseki/ko_shaseki07b-16.txt · 最終更新: 2019/02/16 14:00 by Satoshi Nakagawa
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