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沙石集

巻7第12話(89) 人を殺害し酬ふ事

校訂本文

洛陽に、ある武士の郎等、下人の手鉾(てぼこ)を盗めるを捕へて、柱に縛り付けて、「おのれが欲しがるもの取らせん」とて、手鉾の先にて、身をあまねく刺しけり。「ただ一度に頸を召せ」と言ひけれども、三日が間に、自然(じねん)となぶり殺しつ。この男、「口惜しく候ふことかな。下郎の盗みは常のことなり。また、殺し給はば、一度にこそ頸をも召さめ。かくなぶり給ふ心憂さ、これは悔しくおはせんするものを」と、憤り深く言ひて死にけり。

折節、主(しう)の親に別れたる中陰なりければ、許すべきよし言ひけれども、「承はりぬ」と言ひながら、殺害してけり。主、このこと聞きて、やがて追ひ出だしつ。

縁に付きて、尾州に下向して後、病付きて、「一向に遍身(へんしん)を物の刺す」と言ひて、「あらあら」とのみ叫びて、はるかに悩みて失せにき。

悪業は恐るべきものなり。生を殺せば、必ず、かれ、われを殺すべき報ひあり。人間には人の訴訟するに付きて、人を殺せるのみこそ、その沙汰あれ。それすら、訴人なければ沙汰なし。畜類の訴へなければ、山野の蹄(ひづめ)、江海の鱗(いろくづ)、心にまかせて殺し食す。

かれは六道の惣の沙汰所、炎魔王界にて、倶生神(くしやうじん)の薄(ふだ)、浄頗梨(じやうはり)の鏡に引き向ひて、ことはりて、地獄・鬼畜の久しき苦を受くべきことを知らずして、ただ今訴人のなきままに、殺生を恐れぬこそ。かへすがへす愚かなれ。

経にいはく、人、生まるる始めより、二人の神、左右の肩にあり。一つをば同生といひ、一つをば同名といふ。人は神を見ず、神は人を見る。夜も昼も善悪を記す。これを倶生神といふ。幢の上に人の頭あるをば、人頭幢(にんづどう)とも、檀荼幢(だんだどう)ともいふ。これは善悪の業を見て、閻王1)に奏する冥衆なり。浄婆梨鏡は第八識の現ぜる相と言へり。内には種々器界根身を食蔵し、外には三業の善悪の影像、塵ばかりも隠れなし。いかでか、恐れつつしまざらんや。

経の中に説きていはく、「地獄にして殺生の報を受けて、あるいは皮を剥がれ、肉を裂かれ、筋を断たれ、骨を砕かる。あるいは焼棚(やいだな)にあぶられ、鼎(かなへ)に煮らるる時、声を上げて叫ぶ。その時、獄率がいはく、『なんぢ、愚かなり。狩漁(かりすなどり)2)せし時は、声を上げて悦び叫びて、今かの果を受くる時、なんぞ悦ばずして悲しむや。かの時悦ばば、今も悦ぶべし。今悲しむべくは、かの時も悲しむべし』。因果、必ずたがはぬこと、影の形にしたがひ、響の声に応ずるに似たり」と言ふなり。心あらん人、つつしむべし、つつしむべし。

殺生をするも、身の安楽のためなり。当来もわが身なり。一生の身を助けんとて、多生の苦を恐れざる、愚痴のいたり、何事かこれにしかむ。身を思はん人、罪障をつつしみ、生死を離れ、浄土に生まれて、昔殺害せし衆生をも導くべし。

多生の恩所(おんしよ)なり。同体の含識なり。悩まし殺すことなかれ。真如平等なり。隔て思ふべからず。仏勅慇懃なり。誰(たれ)か忽(いるか)せにせん。仏子の数に入らん在家・出家、いかでかかの教誡にそむかん。つつしむべし、つつしむべし。

翻刻

  人殺害酬事
洛陽ニ或武士ノ郎等下人ノ手鋒ヲヌスメルヲトラヘテ柱ニシ
ハリ付テヲノレカホシカル物トラセントテ手鉾ノサキニテ身ヲア
マネクサシケリ只一度ニ頸ヲ召セト云ケレ共三日カ間ニ自
然トナフリ殺シツコノ男口惜候事カナ下郎ノ盗ハ常ノ事也
又コロシ給ハハ一度ニコソ頸ヲモメサメカクナフリ給心ウサ此
ハクヤシクヲハセンスル者ヲトイキトホリフカク云テ死ニケリ折
節主ノ親ニ別タル中陰ナリケレハユルスヘキヨシイヒケレ共承
ハリヌトイヒナカラ殺害シテケリ主此事聞テヤカテ追出シツ縁/k7-279r
ニ付テ尾州ニ下向シテノチ病付テ一向ニ遍身ヲ物ノサスト云
テアラアラトノミサケヒテハルカニ悩テウセニキ悪業ハオソルヘキ
者ナリ生ヲコロセハカナラスカレ我ヲ殺スヘキ報有人間ニハ人
ノ訴詔スルニ付テ人ヲ殺セルノミコソ其沙汰有レソレスラ訴
人ナケレハ沙汰ナシ畜類ノ訴ナケレハ山野ノ蹄江海ノ鱗心
ニマカセテコロシ食スカレハ六道ノ惣ノ沙汰所炎魔王界ニテ
倶生神ノ薄浄頗梨ノ鏡ニ引向テ断テ地獄鬼畜ノヒサシキ
苦ヲウクヘキコトヲシラスシテ只今訴人ノナキママニ殺生ヲオソレ
ヌコソ返々ヲロカナレ経ニ云人生ル始ヨリ二人ノ神左右ノ
肩ニアリ一ヲハ同生トイヒ一ヲハ同名トイフ人ハ神ヲミス神
ハ人ヲ見ル夜モ昼モ善悪ヲ記スコレヲ倶生神トイフ幢ノ上
ニ人ノ頭アルヲハ人頭幢トモ檀荼幢トモイフコレハ善悪ノ業/k7-279l

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ヲミテ閻王ニ奏スル冥衆也
浄婆梨鏡ハ第八識ノ現セル相トイヘリ内ニハ種々器界根
身ヲ食蔵シ外ニハ三業ノ善悪ノ影像塵ハカリモカクレナシ
争カ恐ツツシマサランヤ
経ノ中ニ説テイハク地獄ニシテ殺生ノ報ヲ受テ或ハ皮ヲハカレ
肉ヲサカレ筋ヲタタレ骨ヲクタカル或ハヤイタナニアフラレカナヘ
ニ煮ルル時声ヲアケテサケフソノ時獄率カ云ク汝ヲロカナリ狩
漠セシ時ハ声ヲアケテ悦ヒサケヒテ今カノ果ヲ受ル時ナンソヨ
ロコハスシテカナシムヤ彼時悦ハハ今モ悦ヘシ今カナシムヘクハ彼
時モカナシムヘシ因果必スタカハヌ事影ノ形ニ随ヒ響ノ声ニ
応スルニ似リトイフナリ心有覧人ツツシムヘシツツシムヘシ殺生ヲスル
モ身ノ安楽ノタメナリ当来モ我身ナリ一生ノ身ヲタスケント/k7-280r
テ多生ノ苦ヲオソレサル愚痴ノイタリナニ事カ是ニシカム身ヲ
思ハン人罪障ヲツツシミ生死ヲハナレ浄土ニムマレテ昔シ殺
害セシ衆生ヲモ導クヘシ多生ノ恩所也同体ノ含識也悩シ
殺ス事ナカレ真如平等也隔テ思ヘカラス仏勑慇懃ナリタレ
カ忽緒セニセン仏子ノ数ニ入ラン在家出家争彼教誡ニ
ソムカンツツシムヘシツツシムヘシ/k7-280l

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1)
閻魔王
2)
「狩漁」は底本「狩漠」。諸本により訂正。
text/shaseki/ko_shaseki07b-12.txt · 最終更新: 2019/02/12 22:43 by Satoshi Nakagawa
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