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text:shaseki:ko_shaseki06b-15

沙石集

巻6第15話(73) 盲目の母を養ふ事

校訂本文

南都の春乗房1)の上人、東大寺の大仏殿造立のために、安芸・周防両国の山にて、杣作(そまつくり)せさせて、その間の食物の俵、多くうち積みて置きたりけるを、ある時、俵を一つ盗みて逃げる者を見付けて、からめてけり。痩せがれたる童(わらは)にてぞありける。

上人、「いかなる者にて、かかる不当のわざをし、仏物を犯すず」と問はれければ、童、申しけるは、「いふかひなく貧しき者にて、過ぎわびて侍る上、盲目なる老母の一人候ふを、薪(たきぎ)を取りて、遥かなる里に出でて替へて、養ひはぐくみ候へども、身も疲れ、力も尽きて、はかばかしく助け、心安く過ぐるほども侍らねば、『この杣の食(じき)は多くも候ふ、仏事なれば御ことも欠けず、尽くることもあらじ』と思ひて、『少分盗みて、母を助けばや』と思ふばかりにて、かかる不当をつかまつりて、恥をさらし候ふこそ、先業までも今さら恥かしく、口惜しく思え侍れ」とて、さめざめと泣きければ、上人も、ことの子細あはれに思はれけれども、実否(じつぷ)を知らんために、この童をば召し置きて、使をもつて童が申し状に付きて、母が居所を尋ねにつかはしけり。

使、尋ね行きて見ければ、山の麓(ふもと)に小き庵(いほり)あり。人おとなふ声しければ、立ち寄りて、「いかなる人ぞ」と問ふに、内に答けるは、「わび者の盲目にて侍るが、過ぎわびて、この山の麓に住みて、薪を取りて、里に出でて、はぐくむ子息の童の候ふを頼みて、昨日出で候ひしままに、つゆの命も、さすがに消えやらで侍り。この童、見え侍らねば、おぼつかなく、心もとなくて、人のおとなへば、『この童にや』と思ひ候へば、あらぬ人にこそ」と言ふ。

使、急ぎ帰りて、上人に、このよし申しければ、「童が言葉、違(たが)はざりけり」とて、あはれに思はれければ、母を養ふるほどの食物、賜びてけり。さて、「仏物なれば、いたづらに与へんも恐れあり」とて、杣作の間は、童をば召し使はれけり。

しわざは不当なるに似たれども、孝養の心はまことにありがたければ、しかるべき三宝の御恵みにや。母を養ふほどの食物にあたりけるこそ、かへすがへすも不思議に思え侍りし。孝養の志、まことにあるゆゑに、冥の御あはれみもありけめ。

一、白河院2)の御時、天下に殺生禁断せられて、おのづから犯す者あれば、重き過(とが)に当たりけるころ、ある山寺法師、母の年たけて世間貧しきが、ものも食はず、煩ひけるが、魚なんどなき、ほかは物食はぬくせ者にてありけり。世間に売り買はぬことなれば、いかにすべしとも思えず。

たちまちに母の命絶えなんこと、悲しく思えけるままに、心の行く方と、袈裟・衣着ながら、たまだすきして、桂川にて、取りも習はぬ魚を取らんとするに、しかるべきことにてや、少々なり得たりけるを、官人に見付けられて、引き立てて、院の御所へ具して参りにけり。

「天下の殺生禁断、その隠れなき上、法師の身として、袈裟・衣着ながらこの悪行を企つこと、かへすがへす不思議なり」とて、重き科(とが)に行なはるべかりけるを、この僧、申しけるは、「老母が命を助けて、『しばらくもや、添ひ候はむ』と思ひて、わが身はいかなる科にも行はれ候へ、母が命、少しも延びんこと、本意に存じ候ふ。この魚は、今は助かるまじきにて候へば、これを母がもとへつかはし候ひて、一口も物食ひて候はんを承はりて、いかなる御いましめにも当り侍らば、もとより存じまうけたることなり。恨みも候ふまじ」と奏して、涙を流しければ、ことの体(てい)、あはれに思し召して、母養ふほどの物、不足なく賜はて許されにけり。

至孝の志、まことありけるこにこそ。

翻刻

  盲目之母養事/k6-233r
南都ノ春乗房ノ上人東大寺ノ大仏殿造立ノタメニ安藝
周防両国ノ山ニテ杣作セサセテ其間之食物ノ俵オホクウチ
ツミテ置タリケルヲ或時タハラヲ一ツヌスミテ逃ケル者ヲミツケ
テカラメテケリヤセカレタル童ニテソアリケル上人何ナル者ニテカ
カル不当ノワサヲシ仏物ヲオカスソト問レケレハ童申ケルハ云
甲斐ナク貧キ者ニテスキワヒテ侍ル上盲目ナル老母ノ一人
候ヲ薪ヲ取テ遥ナル里ニ出テテカヘテ養ヒハククミ候ヘトモ身
モツカレ力モツキテハカハカシクタスケ心安クスクルホトモ侍ネハ
此杣ノ食ハ多モ候仏事ナレハ御事モカケスツクル事モアラシ
ト思テ少分ヌスミテ母ヲタスケハヤト思ハカリニテカカル不当
ヲ仕テ恥ヲサラシ候コソ先業マテモ今サラハツカシク口惜ク覚
侍レトテサメサメトナキケレハ上人モ事ノ子細哀ニ思ハレケレト/k6-233l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=232&r=0&xywh=-1214%2C881%2C4479%2C2663

モ実否ヲ知ランタメニ此童ヲハ召ヲキテ使ヲ以童カ申状ニ付
テ母カ居所ヲ尋ニツカハシケリ使尋ユキテ見ケレハ山ノフモト
ニ小キイホリアリ人ヲトナフコヱシケレハ立ヨリテ何ナル人ソト
問フニ内ニ答ケルハワヒモノノ盲目ニテ侍カスキワヒテ此山ノ
フモトニスミテ薪ヲ取テ里ニ出テテハククム子息ノ童ノ候ヲタ
ノミテ昨日出候シママニ露ノ命モサスカニキエヤラテ侍リ此
童見ヘ侍ラネハオホツカナク心モトナクテ人ノヲトナヘハ此童
ニヤト思候ヘハアラヌ人ニコソト云使急帰テ上人ニ此ヨシ申
ケレハ童カ詞タカハサリケリトテ哀ニ思ハレケレハ母ヲ養ルホト
ノ食物タヒテケリサテ仏物ナレハ徒ニアタヘンモ恐有リトテ杣
作之間ハ童ヲハ召ツカハレケリシワサハ不当ナルニ似タレトモ
孝養ノ心ハ実ニアリカタケレハ可然三宝ノ御メクミニヤ母ヲ/k6-234r
養ホトノ食物ニアタリケルコソ返々モ不思議ニ覚侍シ孝養
ノ志シマコトニアルユヘニ冥ノ御哀モアリケメ
一  白河院ノ御時天下ニ殺生禁断セラレテ自カラヲカ
ス者アレハ重キ過ニアタリケルコロ或山寺法師母ノ年タケテ
世間マツシキカ物モクハス煩ヒケルカ魚ナントナキ外ハ物クハヌ
クセ者ニテアリケリ世間ニウリカハヌ事ナレハイカニスヘシトモ覚
ヘス忽ニ母ノ命タヱナン事カナシク覚ヘケルママニ心ノユクカタ
ト袈裟衣キナカラタマタスキシテカツラ河ニテトリモナラハヌ魚ヲト
ラントスルニ可然事ニテヤ少々ナリヱタリケルヲ官人ニ見ツケラ
レテ引立テ院ノ御所ヘ具シテマイリニケリ天下ノ殺生禁断其ノ
カクレナキ上法師ノ身トシテ袈裟衣キナカラ此悪行ヲ企事返
返不思議ナリトテ重キトカニヲコナハルヘカリケルヲ此僧申ケ/k6-234l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=233&r=0&xywh=-2170%2C410%2C5805%2C3451

ルハ老母カ命ヲタスケテシハラクモヤソヒ候ト思テ我カ身ハイカ
ナルトカニモヲコナハレ候ヘ母カ命少シモノヒン事本意ニ存シ
候此魚ハ今ハタスカルマシキニテ候ヘハ是ヲ母カモトヘツカハシ
候テ一口モ物クヒテ候ハンヲ承テイカナル御イマシメニモアタリ
侍ラハモトヨリ存シマウケタル事也ウラミモ候マシト奏シテ涙ヲナ
カシケレハ事ノ体アハレニ思食テ母養程ノ物不足ナク給ハテ
ユルサレニケリ至孝ノ志シ実アリケルコニコソ/k6-235r

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=234&r=0&xywh=-70%2C429%2C5805%2C3451

1)
俊乗房(重源)か
2)
白河天皇


text/shaseki/ko_shaseki06b-15.txt · 最終更新: 2019/01/20 22:30 by Satoshi Nakagawa