沙石集
巻6第8話(66) 袈裟の徳の事
校訂本文
去んぬる文永七年七月十七日、尾張国下津の宿に1)雷落ちて、道行く馬三匹け損じて、小家に走り入りて、帷(かたびら)に袈裟かけて双六(すぐろく)打ちて居たる法師の背中にかき上がりて、帷をは散々にかき裂きて、袈裟をば少しも損ぜず。法師もつつがなかりけり。次の日、ことの縁ありて、その近辺にて、たしかに聞き侍りき。不思議のことにて、年号日月も覚え侍り。
十輪経・悲華経2)・大悲経・心地観経などに、袈裟の功徳くはしく説けり。まことにめでたく思えて、驚くべきにあらず。
ただし、経の中には、如法の袈裟にとりて、その功能あり。世間の小袈裟、如法ならず。しかるに、今この徳あり。これも、大集経(だいじつきやう)3)には、袈裟の片端と言へり。されば、徳あるべしと見えたり。心地観経には、「袈裟の糸一筋をも身に帯しぬれば、大海を渡るに毒竜などの難なし。竜宮の門には、袈裟を置きて、金翅鳥(こんじてう)の難をまぬかる。舎利をもあかむること同じ。袈裟四寸をも持てるは、軍(いくさ)の中にして難なし」とも言へり。
十輪経には、「ある国王、比丘の非法あるによりて、これを縛りて、鬼神のある島へ流しつかはす。鬼神ども集まりて、食せんとするに、母餓鬼かいはく、『これは仏弟子なり。赤き袈裟をかけたり。かけなから縛りてあるを見て、われ聞く、袈裟をかくるほどの者は、必ず解脱の期ありて、仏となる。いかでか、これを犯さん』とて、偈を説きて、子どもの飢ゑ飢ゑとして 食せんとするをも制止して、縄を解きて、これを守りて、菓(このみ)を拾ひて養ふ。七日過ぎて、王の使、行きて見るに、命絶えず、色衰へず。ことの次第を聞きて、王に奏するに、鬼類なほ袈裟の徳を敬ひ、仏弟子を貴ぶ。「人倫として、信敬(しんぎやう)の心なからんや」とて、過(とが)を懺悔して、召し返して、あがめ給ひけり。
昔、堅誓獅子(けんぜいしし)といひて、金色の文ある獅子ありけり。猟師ありて、「この獅子を捕りて、皮を剥ぎて、王に奉らん」と思ふに、この獅子、男子だにも見れば逃げ隠る。僧には近付きておぢず。これを見て、猟師、にはかに法師になりて、毒の弓箭(ゆみや)を袈裟の内に隠して、ある時、かの獅子のもとへ寄るに、僧の形を見て、なつかしげにて尾を振りて寄る所を、箭を抜き出だしてこれを射る。獅子、猟師なりけりと知りて、走りかかりて食はんと思ふ。また思はく、「袈裟をかくるほどの者は、たとひ心中に善心なくとも、この縁つひに仏になるべし。その形、仏子に似たり。いかでか害すべき」と思ひて、忍びて、文を誦して死におはりぬ。これ、釈迦の因行なり。華色比丘尼、戯(たはぶ)れに袈裟をかけたりし因縁に、つひに羅漢の果を得たり。
また、南山大師4)に、威陀将軍5)、語り給へること侍りき。「漢土の僧は、天竺より慚愧の心あり。隠して非をなせども、慚愧の心あるゆゑに、その百の非を忘れて、一の徳もあれば、諸天これを守る。仏勅をうけて、人間に下りて、仏法を聞き、仏弟子を守る。人間の臭きこと、上四十万里なり。諸天は清浄なりといへども、忍びて下る。『犯戒の人をば魔に犯さしめじ』とて、泣く泣くこれを守る」と言へり。
人の親の慈悲、子をあはれむも、過(とが)を忘れて、少しの徳もあれば、これを愛す。仏弟子も、その非あれども、一戒をも持(たも)ち、袈裟をもかけ、いづれの仏法にも功を入るれば、冥衆は捨て給はず。遠き益を見て、近き過を忘れて守り給ふを、俗士は、一旦の過をのみ見て、遠き徳を知らず。あながちにこれをそしる。律の中には、「僧は栴檀にして、また蒺藜なり」と言へり。徳を見て、これをあがむれば、栴檀のごとく妙(たへ)なり。過を見て、これをそしれば、蒺藜のごとく身を破る。上の諸文は、みな、如法の袈裟、如法の比丘の犯戒にとりて論ず。
わが国の作法、ただ頭を剃り、衣を染めながら、如法の衣鉢も備へず、受戒とて戒壇走り廻りたれども、一戒をも持たず、袈裟の徳もあらじとぞ思ゆるに、雷神、世間の小袈裟の、如法ならず、里法師の、僧といふべきにもあらざるを助く。せめても、袈裟の徳いみじくして、似たるも敬ふにこそ。
経の中には、「金(こがね)のなき国には銀をもつて宝とし、銀のなき国には銅(あかがね)をもつて宝とし、ないし白鑞まで宝とす。かくのごとく得道・得定・持戒の比丘なからん国には、有戒・無戒を選ばず、形の似たるをあがむべし」と見えたり。堅誓獅子の心ならば、内心の得失を見ず、ただ外相をあがむと見えたり。いはんや末代なり、辺国なり。如法の僧宝まれなるべし。
尾張国中島といふ所に、遁世の上人、寺を建立して、僧五・六人止住して、如法の衣鉢なんど帯して侍り。その所に、古木の大きなるを、造営のために切りけるに、寺近き在家人に、樹神付きて申しけるは、「われらはこの木をこそ家に頼みて住むに、情けなく僧の切り給へる、あさましきことなり。制止参らせてたべ」と言ふ。「さらば、僧にこそ付きても祟りもせめ。よその者をかく責むべきやうやある」と言へば、「われらは僧の袈裟・衣の風にも当り、陀羅尼の声をも聞きてこそ、苦患も助かることなれ。僧をば、いかでか悩まし奉らん。ただかく申してたべ」と言ひければ、僧ども聞きて、切り残してけり。このことは、十余年が前なり。
同じ国、味鏡(あぢま)といふ所にも、少しも違はず。ある僧、木を切りて、堂の修理にするに、両度まで人に付きて、樹神歎きけり。「僧は恐しければ申さぬなり。制し申せ」と言ひけり。これは文永年中のことなり。
心あらん人、仏法の結縁むなしからぬことを信じて、袈裟の徳、解脱の期6)あるべきことをわきまへて、一旦の過をそしりて、長時の苦を受くべからず。袈裟をかくるほどの者は、弥勒仏より後7)、うち続き仏出世あらむに、得道すべし。いかにさがるとも、現在の千仏の後の楼至仏(るしぶつ)の時、一人も残らず得道すべしと、経文分明なり。仰ぎて信ずべし。
「仏弟子の過を説くは、有戒にもあれ、無戒にもあれ、万億の仏身より血を出だすに過ぎたり」と説かれたり。高野大師8)のたまはく、「殺盗を行する者は、現に衣食の利を得(う)。人を謗じ法を謗ずるは、おのれにおいて何の益かある」とのたまへり。
げにも、当来の苦あれども、殺盗は眼前の利あり。人、法を謗ずるは二世の利なくして、長劫の苦まぬかれず。罪障を恐れん人、よくよく慎み恐れ給ふべし。妄情をほしいままにして、金言を疑ふことなかれ。
翻刻
袈裟徳事 去文永七年七月十七日尾張ノ国下津ノ宿ハ雷オチテ 道ユク馬三匹ケ損シテ小家ニハシリ入テ帷ニケサカケテスクロク ウチテヰタル法師ノセナカニカキアカリテ帷ヲハ散々ニカキサキテ 袈裟ヲハスコシモ損セス法師モツツカナカリケリ次ノ日事ノ縁 有テソノ近辺ニテ慥ニキキ侍キ不思議ノ事ニテ年号日月モ 覚ヘ侍ヘリ十輪経悲華経大悲経心地観経等ニ袈裟之 功徳委ク説ケリ誠ニ目出覚ヘテヲトロクヘキニアラス但シ経 ノ中ニハ如法ノケサニトリテ其功能アリ世間ノ小袈裟如法 ナラス然ニ今コノ徳アリ是モ大集経ニハケサノカタハシト云リ サレハ徳有ヘシト見ヘタリ心地観経ニハケサノ糸一スチヲモ/k6-220r
身ニ帯シヌレハ大海ヲワタルニ毒龍等ノ難ナシ龍宮ノ門ニハ ケサヲ置テ金翅鳥ノ難ヲマヌカル舎利ヲモアカムル事同シ袈 裟四寸ヲモモテルハ軍ノ中ニシテ難ナシトモイヘリ十輪経ニハ 或国王比丘ノ非法有ルニヨリテ是ヲシハリテ鬼神ノアル島 ヘ流シツカハス鬼神トモアツマリテ食セントスルニ母餓鬼カ云 ク是ハ仏弟子ナリ赤キケサヲカケタリカケナカラシハリテ有ヲ 見テ我聞ク袈裟ヲカクルホトノ者ハカナラス解脱ノ期アリテ 仏トナルイカテカ是ヲオカサントテ偈ヲ説テ子共ノウヱウヱトシテ 食セントスルヲモ制止シテ縄ヲトキテコレヲ守テ菓ヲヒロヒテヤシ ナフ七日スキテ王ノ使行テ見ニ命タエス色オトロヘス事ノ次 第ヲキキテ王ニ奏スルニ鬼類猶袈裟ノ徳ヲ敬ヒ仏弟子ヲ 貴フ人倫トシテ信敬ノ心ナカランヤトテ過ヲ懺悔シテ召返シテアカ/k6-220l
メ給ケリ昔シ堅誓師子ト云テ金色ノ文アル師子アリケリ猟 師アリテコノ師子ヲ取テ皮ヲハキテ王ニ奉ラント思ニコノ師 子男子タニモ見レハニケカクル僧ニハチカツキテヲチスコレヲ見 テ猟師ニハカニ法師ニナリテ毒ノ弓箭ヲケサノ内ニカクシテ或 時彼師子ノモトヘヨルニ僧ノ形ヲ見テナツカシケニテ尾ヲフリ テヨル所ヲ箭ヲヌキイタシテ此ヲイル師子猟師ナリケリトシリテハ シリカカリテクハント思フ又思ハクケサヲカクルホトノ者ハタトヒ 心中ニ善心ナクトモ此縁ツヰニ仏ニナルヘシ其形仏子ニ似 タリイカテカ害スヘキト思テシノヒテ文ヲ誦シテ死ニヲハリヌコレ 釈迦ノ因行ナリ華色比丘尼タハフレニケサヲカケタリシ因縁 ニツヰニ羅漢ノ果ヲヱタリ又南山大師ニ威陀将軍語リ給ヘ ル事侍リキ漢土ノ僧ハ天竺ヨリ慚愧ノ心アリ隠テ非ヲナセト/k6-221r
モ慚愧ノ心有ル故ニソノ百ノ非ヲワスレテ一ノ徳モアレハ諸 天是ヲ守ル仏勅ヲウケテ人間ニ下テ仏法ヲキキ仏弟子ヲ守 ル人間ノ臭事上四十万里也諸天ハ清浄ナリトイヘトモ忍 テ下ル犯戒ノ人ヲハ魔ニヲカサシメシトテ泣々コレヲ守トイヘ リ人ノ親ノ慈悲子ヲアハレムモ過ヲワスレテスコシノ徳モアレハ 是ヲ愛ス仏弟子モ其非アレトモ一戒ヲモタモチ袈裟ヲモカケ 何レノ仏法ニモ功ヲ入レハ冥衆ハステ給ハス遠キ益ヲ見テ近 キトカヲワスレテ守給ヲ俗士ハ一旦ノ過ヲノミ見テトヲキ徳ヲ シラスアナカチニコレヲソシル律ノ中ニハ僧ハ栴檀ニシテ又蒺䔧 也ト云リ徳ヲ見テコレヲアカムレハ栴檀ノコトクタヱナリ過ヲ 見テ此ヲソシレハ蒺䔧ノコトク身ヲヤフル上ノ諸文ハ皆如法 ノ袈裟如法ノ比丘ノ犯戒ニトリテ論ス我国ノ作法タタ頭/k6-221l
ヲソリ衣ヲソメナカラ如法ノ衣鉢モソナヘス受戒トテ戒壇走 廻リタレトモ一戒ヲモタモタスケサノ徳モアラシトソ覚ユルニ雷 神世間ノ小袈裟ノ如法ナラス里法師ノ僧トイフヘキニモア ラサルヲタスクセメテモ袈裟ノ徳イミシクシテ似タルモ敬フニコソ 経ノ中ニハ金ノナキ国ニハ銀ヲ以テ宝トシ銀ノ無国ニハ銅ヲ 以宝トシ乃至白鑞マテ宝トス如此得道得定持戒ノ比丘 ナカラン国ニハ有戒無戒ヲヱラハス形ノ似タルヲアカムヘシト 見ヘタリ堅誓師子ノ心ナラハ内心ノ得失ヲ見スタタ外相ヲ アカムト見ヘタリイハンヤ末代ナリ辺国也如法ノ僧宝希ナル ヘシ尾張国中嶋ト云所ニ遁世ノ上人寺ヲ建立シテ僧五六 人止住シテ如法ノ衣鉢ナント帯シテ侍ヘリ其所ニ古木ノ大ナ ルヲ造営ノタメニキリケルニ寺チカキ在家人ニ樹神付テ申ケ/k6-222r
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ムニ得道スヘシイカニサカルトモ現在ノ千仏ノ後ノ楼至仏ノ 時一人モノコラス得道スヘシト経文分明也仰テ信スヘシ仏 弟子ノトカヲトクハ有戒ニモアレ無戒ニモアレ万億ノ仏身ヨ リ血ヲ出スニスキタリトトカレタリ高野大師ノタマハク殺盗ヲ 行スル者ハ現ニ衣食ノ利ヲウ人ヲ謗シ法ヲ謗スルハヲノレニ オイテ何ノ益カアルト宣ヘリケニモ当来ノ苦アレトモ殺盗ハ眼 前ノ利アリ人法ヲ謗スルハ二世ノ利ナクシテ長劫ノ苦マヌカレ ス罪障ヲオソレン人能々ツツシミオソレ給ヘシ妄情ヲホシヒママ ニシテ金言ヲウタカフ事ナカレ 沙石集巻第六上終/k6-223r
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