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text:shaseki:ko_shaseki06a-01

沙石集

巻6第1話(59) 説経師の強盗発心せしむる事

校訂本文

洛陽に説経師ありけり。一説には聖覚法印、一説には清水法師。某(それがし)請用して、布施物多く取りて、夜陰に入りて帰りけるを、河原にて、賊どもあまた待ちかけて、あるほどの物、みな取りてけり。

張本の男、矢うちはげて、輿の前に立ちて、物取どものばしけるほどに、この僧、思ひけるは、信心の施主、三宝に供養する志をもつて、施物をささぐ。これをもつて、仏事にも用ゐ、利益あらんことに用ふべきよし思ふに、この賊ども、よこざまにかすめ取ること、同じ盗みといひながら、ことに罪業重くして、悪道に入りなんとすること、悲しくあはれに思えて、わが難にあへることは忘れて、心を澄まし、声うち上げていはく、「何ぞ電光朝露の小時のこの身のために、阿僧祇耶長時(あそうぎやぢやうぢ)の苦因を造らん」と澄める音をもつて、両三返詠じけるを、心は知らねども、なにとなく貴く思えて、この盗人、身の毛もよだちて、矢さし外して、「これほどの難にあひ給ひて、何事を御心澄まして、かくのどかに仰せ候ふぞ。そもそも、これは何といふ心にて候ふぞ。よに心肝に染みて、尊(たつと)く覚え候ふ」と言ひければ、この僧、もとよりいみじき弁説の人なりければ、生死無常の道理より申し立てて、「一期は夢幻(ゆめまぼろし)のごとし。電光朝露に異らず。因果の道理、遁れがたく、苦楽の報を受く。三宝の物をかすめ取りて、妻子を養ひ、身命をつがんとする、凡夫の習ひといひながら愚かなり。罪なくして、世を渡るわざ多かるに、かかる大罪を作りて、大地獄に落ちて、無量劫の苦を受けんことの悲しさに、わが身のことは忘れて、かく言ふなり」と泣く泣く申されければ、この賊も、袖をしぼりて去りぬ。

さて、その次日の夕方、月代(さかやき)ある入道、この房に来たりて、ひそかに申し入れけるは、「夜部(よべ)の強盗、入道になりて参りて候ふ。夜部の御説法に発心して、同じ悪党ども、あまた入道になりて候ふ」とて、髻(もととり)ども少々持て来たれり。「ことごとしく候へば、さのみは参らず候ふ」とて、夜部取る所の布施物、みな持ちて返し奉りてけり。

これ、真実の心より、仏法の道理を言ひ立てけるゆゑに、かかる悪人も発心しけるにこそ。かへすがへすも、ありがたきことなり。

この言葉は、玄奘三蔵、天竺に渡りて、仏法を漢土へ伝へんとし給ひけるに、邪神を祭る国を過ぎ給ふに、かの国の者、三蔵を取りて、神に祀らんとす。見目形(みめかたち)、世にすぐれたる人を取りて、牲(いけにえ)にする習ひなるに、三蔵の見目形すぐれて見え給ひければ、国の者、悦びて捕へつ。仏法弘通の志を述べ給へども、もとより仏法を信ぜされば用ゐず。弟子の僧ども、師に代らんといへども、形三蔵に及ばざれは許さず。

すでに俎板(まないた)に三蔵を伏せ奉り、切り砕くべきよそほひを見て、「時のほどの暇(いとま)を得させよ。観念せん」とて、暇を得て、そのの間入定して、都率の内院へ参りて、弥勒1)を拝し給ふ。その間に、にはかに大雨・大風・震動・雷電、おびただしかりければ、「神のうけ給はぬにこそ」とて、諸人おほきに恐れをののく。三蔵、入定の間なれば、これも知り給はず。

定より立ちて、「今は、とくとく」とのたまへば、諸人、恐れ入りて、頭を叩きて、過(とが)を懺悔し、「われらを助け給へ」と申しける時、三蔵、仏法を説きて勧め給ひける言葉に、「何ぞ電光朝露の小時のこの身のため、阿僧祇耶長時の苦因を造らん。一期の身命は露のごとく、電光のごとし。永劫2)の苦因を作り、長夜の 苦果を受けんことの悲しさ、真実に妙なる仏法を信ぜずして、鬼神を崇(あが)めて、悪道に沈まんこと、愚かなり。たまたま人身を受けながら、仏法の道理わきまへざること、悲しきことなり」と、智慧深く慈悲ある三蔵なれば、いみじく説き給ひければ、国の者、みな発心して、邪神に仕ふることをやめて、仏の弟子となり、五戒を受け、三宝に帰しけり。

かかる言葉の末にて、はるかに時代隔つといへども、なほ徳用ありて、さしもつたなき強盗までも発心しけるにこそ。「弁説は無間の業を転ず」と言へり。まことなるかなや。まして、心あらん人、この言葉を聞きて、発心せざらんや。人みな仏性あり。縁にあひ、時至らば発心せんこと、かたからじ。

昔、漢土に戴淵(たいえん)といひける海賊も、若機といふ大臣の河を下るを、われは岸に立ちて、下知して、悪党どもをもつて、大臣の財物をかすめ取りけるを、器量ゆゆしく見えければ、「あはれ、いみじき器量をもて、つたなきわさを振舞ふ者かな」と大臣に言はれて、たちまちに心を改めて、悪行をやめ、このの大臣に付きて、帝王の見参に入りて、将軍の位にのぼりてけり。

人ごとに心あり。その心の、「わが身を安楽ならしめん」とのみ思へり。しかれども、今生も後生も、安楽なるべき心も、振舞ひもなきは、人の常の習ひなり。

まづ、今生の安楽は、仁儀礼智信を守りて、その身を辱め破らず、つつがなく家を保ち国を保つ。しかるに、仁義を行ふ人まれなり。身を安穏に保つことかたし。後生の安楽を思はば、道行をもつぱらにすべし。

仏法の中にも、小乗の行は、なほ十二頭陀を行じ、三生六十劫の修行久しく苦し。当来の果ありといへども、今生の因、苦しみあり。大乗の修行は、ただ心に染着なく、身に縁務少なくして、名利貪求(みやうりとんぐ)の心やみ、煩悩妄念のわづらひなく、本来安楽の性にかなひて、無為常住の道に入るべし。今生もわづらひなく、当来も安楽なるは、大乗の修行なり。たとひ、身心苦しくとも、当来安楽なるべくは、なほ行ずべし。いはんや、身心やすからんをや。

また、世間の悪業名利は、当来の苦果のみにあらず。今生も身苦しく、わづらひ多し。あながちにこれを好みなさんや。ただ業障のゆゑに捨てがたかるべし。しかるを、わが身の安楽を思ひながら、今世も後世も身を苦しむるわざ、かへすがへすも愚かなるべし。あはれなるかな。万劫に一度(ひとたび)得たる人身をいたづらに捨て、多生にまれにあへる仏法を信じ行ぜざること。しかる間、流転生死の業因は、なせどもはなせども飽き足らずしてこれを愛し、出離解脱の方便は、教ふれども教ふれども倦(ものう)くして、かつて進まず。人間怱々として、日月の過ぐるも覚えず、世事忙々として、身命のつづまるをもわきまへず、無義の戯論(けろん)に日を暮らし、無益の雑談に暇を入れて、惜むべき光隠を惜しまず、なすべき善因をなさずして、三途の旧里に帰り、八難の嶮岨に迷はんこと、慧心3)の往生要集にいはく、「麁強の煩悩、人をして覚せしむ。ただ無義の談話のみ、覚えずして、常に道を障ふ」と言へり。道人の言葉、存知すべし。

摩訶止観の中に、「世間の縁務をやむべきことを言へるには、このことなほ捨つべし」とて、学問までもやめ給へり。いはんや世間のことをや。嘉祥大師4)、同法の僧の学問をもつぱらにして、修行のおろそかなるを戒め給ひていはく、「百年命朝露非奢。須為道緩所急々所緩。豈非一生自誤耳」。文の意は、「学は行のためなり。緩なるべし。行は出離の要道なるべし。急なるべきに、さかさまに用意せんこと、まことに誤りなり」と言へり。

南山の宣律師5)のいはく、「仏教の本意は、ただ奉行の為なり。若伹文を談ずるは本意にあらざるなり」と言へり。ただし四箇の大乗なんどは、教門広ければ、学せずば解行も立ちがたし。禅門は不立文字の宗、念仏は一向専称の行。この二つは、ことに学をむねとすべからず。

しかるに、心を得ざる人、あるいは古人の言句を愛し、学して工夫をもつぱらとせず。あるいは聖道浄土を分別し、是非して、念仏の功を入れぬにや。いづれも祖師の本意にかなはずこそ侍るらめ。

西山にいにしへ、遁世門の人ありけるが申しけるは、「双紙形脇にはさみて学問するほどの浄土門の人の、臨終の良きを見ず」と言へり。ただ念仏は、学をやめて、一向信を立て、厭離穢土・欣求浄土の志(こころざし)深くして、真実の心にて、念々に捨てず、功を入るるほかの義なし。

しかるに、唯除五逆誹謗正法の文を読みながら、余教をそしり軽しめ、是非偏執あるゆゑにこそ、臨終も悪しかるらめと思え侍り。よく学し、よく行せば、学によるべからず。

圭峯禅師6)いはく、「解は通達して隔つることなかれ。行は一門によつて功を入れよ」と。これめでたき教へなり。禅源の中にこれあり。般舟讃(はんじゆさん)の文のごとく、余教余行をば、ただ随喜して謗ぜず、一行に功を入るべし。近代、浄土門の人の中に、余宗を謗ること多し。祖師の誡にそむけり。

祖師の意(こころ)は、「貪瞋7)等来しまじはらば、念を隔てず、時を隔てず、日を隔てず、懺悔すべしと釈して、一心称名のほかは余行をまじへざれ」となり。余行はただ一心専念のためにこれをさし置く。行体の悪しきにあらず。

ある学者の義には、「悪は凡夫の位なれば力及ばず。除くべからず。余善は雑業なり。これを行ずるは、念仏を軽しむる失(とが)あり」と言ひて、おほきにこれを謗る。もし、この意ならば、余善は懺悔すべし。失重きゆゑに、悪行は廻向すべし。「凡夫の位に失なし」と許すゆゑに、これおほきに仏教祖意にそむけり。

一向専修の本意は、凡夫の心、散ずるゆゑに、余事をまじへず、一行をもつぱらになさしむ。これは、行体の悪にはあらず。行人の用心乱るるゆゑなり。真言の行者も、「一尊に付きて、悉地をなせんとする時、余尊を行ずれば、余尊すなはち魔となる」と言へり。これも、諸尊の魔たるにあらず。行者の心乱るるを魔と言へり。浄土門もかくのごとし。地想観を行じて成ぜんとする時、水想観を思ひ出ださば、邪観と言はる。例するに同じ意なり。ただ一心に勤め行ひて、是非偏執あるべからず。

仏法は、おのおのの宗の教へを聞くに、かやうにこそ見え侍れ。聞かず習はぬ宗も、「さこそ尊(たつと)かるらめ」と仰ぎて信じて、「ただわが有縁の宗、わがため利益あるべし」と思ひて、道念ありて、一心に勤め行ふべきなり。わが有縁の行をも勤めずして、しかも、よろづの法を謗りては何かせん。

龍樹のいはく、「人身を受けながら道行をなさずば、禽獣と異らず。かれも五欲の楽をのみ思ふ。道を行ぜず。人として善事をなさざるは、ただ畜類に同じ」と言へり。善導和尚も、「三福分なきものは、人の皮を着たる畜生なり」と釈し給へり。よくよく祖師の教誡を信じて、道に入るべし。

仏性、もとよりこれあり。智鑑またあきらかなり。かのつたなき強盗に及ばさらんや。過(とが)を知りて、心を改むるは、かしこき人なるべし。

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沙石集巻第六 上
  説経師之強盗令発心事
洛陽ニ説経師有ケリ一説ニハ聖覚法印一説ニハ清水法
師某請用シテ布施物多クトリテ夜陰ニ入テ帰ケルヲ河原ニテ
賊共アマタ待カケテ有ホトノ物皆取テケリ張本ノ男矢ウチハ
ケテ輿ノ前ニ立テ物取共ノハシケルホトニ此僧思ヒケルハ信
心ノ施主三宝ニ供養スル志ヲ以テ施物ヲササク此ヲ以テ仏
事ニモモチヰ利益アラン事ニ用フヘキヨシ思ニ此賊共ヨコサマ
ニカスメ取ル事同ジヌスミトイヒナカラコトニ罪業ヲモクシテ悪道
ニ入ナントスル事カナシク哀ニ覚テ我カ難ニアヘル事ハワスレテ
心ヲスマシコヱウチアケテイハク何ソ電光朝露ノ小時ノ此ノ
身ノタメニ阿僧祇耶長時ノ苦因ヲ造ラントスメル音ヲ以両/k6-206l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=205&r=0&xywh=-891%2C-1%2C6967%2C4142

三返詠シケルヲ心ハシラネトモナニトナク貴ク覚ヘテコノヌス人
身ノ毛モヨタチテ矢サシハツシテコレホトノ難ニアヒ給テ何事ヲ
御心スマシテカクノトカニ仰候ソ抑此ハナニトイフ心ニテ候ソ
ヨニ心肝ニソミテタツトク覚ヘ候トイヒケレハコノ僧本ヨリイミ
シキ弁説ノ人也ケレハ生死無常ノ道理ヨリ申立テテ一期
ハ夢マホロシノ如シ電光朝露ニコトナラス因果ノ道理遁カタ
ク苦楽ノ報ヲウク三宝ノ物ヲカスメ取テ妻子ヲヤシナヒ身命
ヲツカントスル凡夫ノ習ト云ナカラヲロカナリ罪ナクシテ世ヲワタ
ルワサオホカルニカカル大罪ヲ作テ大地獄ニオチテ無量劫ノ
苦ヲ受ケン事ノカナシサニ我身ノ事ハワスレテカク云ナリト泣
泣申サレケレハ此賊モ袖ヲシホリテサリヌサテソノ次日ノ夕方
月代有ル入道コノ房ニ来テヒソカニ申入ケルハ夜部ノ強盗/k6-207r
入道ニナリテ参テ候夜部ノ御説法ニ発心シテ同シ悪党共ア
マタ入道ニ成テ候トテ髻共少々持テ来レリ事々シク候ヘハ
サノミハマイラス候トテ夜部取ル所ノ布施物ミナモチテ返シ奉
テケリ是真実ノ心ヨリ仏法ノ道理ヲイヒタテケル故ニカカル悪
人モ発心シケルニコソ返々モ有カタキ事ナリ此ノ詞ハ玄奘三
蔵天竺ニ渡テ仏法ヲ漢土ヘ伝ヘントシ給ケルニ邪神ヲ祭ル
国ヲスキ給ニカノ国ノ者三蔵ヲ取テ神ニマツラントスミメ形世
ニスクレタル人ヲ取テ牲ニスル習ナルニ三蔵ノミメカタチスクレテミ
ヱ給ヒケレハ国ノモノ悦ヒテトラヘツ仏法弘通ノ志ヲノヘ給ヘ
トモ本ヨリ仏法ヲ信セサレハモチヰス弟子ノ僧トモ師ニカハラン
トイヘトモ形三蔵ニヲヨハサレハユルサス既マナイタニ三蔵ヲフセ
タテマツリキリクタクヘキヨソホヒヲ見テ時ノ程ノイトマヲヱサセヨ/k6-207l

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観念セントテイトマヲエテ其ノ間入定シテ都率ノ内院ヘマイリテ
弥勒ヲ拝シ給ソノ間ニニハカニ大雨大風震動雷電オヒタタ
シカリケレハ神ノウケ給ハヌニコソトテ諸人オホキニ恐レヲノノク
三蔵入定ノ間ナレハ是モシリ給ハス定ヨリ立テ今ハトクトクト
ノ給ヘハ諸人恐入テ頭ヲ叩テ過ヲ懺悔シ我等ヲタスケ給ヘ
ト申ケル時三蔵仏法ヲ説テススメ給ケル詞ニ何ソ電光朝露
ノ小時ノ此身ノタメ阿僧祇耶長時ノ苦因ヲ造ラン一期ノ
身命ハ露ノコトク電光ノコトシ永却ノ苦因ヲツクリ長夜ノ
苦果ヲウケン事ノカナシサ真実ニ妙ナル仏法ヲ信セスシテ鬼神
ヲアカメテ悪道ニシツマン事ヲロカナリタマタマ人身ヲウケナカラ
仏法ノ道理ワキマヘサル事カナシキ事也ト智慧フカク慈悲ア
ル三蔵ナレハイミシクトキ給ケレハ国ノ者皆発心シテ邪神ニツカ/k6-208r
フル事ヲヤメテ仏ノ弟子トナリ五戒ヲウケ三宝ニ帰シケリカカ
ル詞ノスヱニテハルカニ時代ヘタツトイヘトモ猶徳用アリテサシ
モツタナキ強盗マテモ発心シケルニコソ弁説ハ無間ノ業ヲ転
スト云リマコトナル哉ヤマシテ心有ラン人此詞ヲ聞テ発心セ
サランヤ人ミナ仏性有リ縁ニアヒ時イタラハ発心セン事カタカ
ラシ昔シ漢土ニ戴淵ト云ケル海賊モ若機ト云大臣ノ河ヲ下
ルヲ我ハ岸ニタチテ下知シテ悪党共ヲ以テ大臣ノ財物ヲカスメ
取ケルヲ器量ユユシク見ヘケレハアハレイミシキ器量ヲモテツタナ
キワサヲ振舞者カナト大臣ニイハレテ忽ニ心ヲアラタメテ悪行
ヲヤメ此ノ大臣ニ付テ帝王見参ニ入テ将軍ノ位ニノホリテ
ケリ人コトニ心アリ其心ノ我身ヲ安楽ナラシメントノミ思ヘリ
然レトモ今生モ後生モ安楽ナルヘキ心モ振舞モナキハ人常ノ/k6-208l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=207&r=0&xywh=-2161%2C394%2C5805%2C3451

習也先今生ノ安楽ハ仁儀礼智信ヲ守テ其ノ身ヲハツカシ
メヤフラスツツカナク家ヲタモチ国ヲタモツ然ニ仁義ヲ行フ人
希也身ヲ安穏ニタモツ事カタシ後生ノ安楽ヲ思ハハ道行ヲ
専ニスヘシ仏法ノ中ニモ小乗ノ行ハ猶十二頭陀ヲ行シ三
生六十劫ノ修行久ククルシ当来ノ果有トイヘトモ今生ノ
因苦シミアリ大乗ノ修行ハタタ心ニ染著ナク身ニ縁務スク
ナクシテ名利貪求ノ心ヤミ煩悩妄念ノワツラヒナク本来安楽
ノ性ニカナヒテ無為常住ノ道ニ入ルヘシ今生モワツラヒナク
当来モ安楽ナルハ大乗ノ修行ナリタトヒ身心クルシクトモ当
来安楽ナルヘクハ猶行スヘシ況ヤ身心ヤスカランヲヤ又世間
ノ悪業名利ハ当来ノ苦果ノミニアラス今生モ身クルシクワツ
ラヒ多シアナカチニ此ヲコノミナサンヤタタ業障ノ故ニステカタカ/k6-209r
ルヘシ然ヲ我身ノ安楽ヲ思ナカラ今世モ後世モ身ヲクルシム
ルワサ返々モヲロカナルヘシ哀哉万劫ニ一タヒヱタル人身ヲイ
タツラニステ多生ニ希ニ値ル仏法ヲ信シ行セサル事然ル間流
転生死之業因ハナセトモハナセトモアキタラスシテ是ヲ愛シ出離解脱
之方便ハヲシフレトモヲシフレトモ倦クシテカツテススマス人間
怱々トシテ日月ノスクルモ覚ヘス世事忙々トシテ身命ノツツマ
ルヲモワキマヘス無義ノ戯論ニ日ヲクラシ無益ノ雑談ニ暇ヲ
入テ可惜ム光隠ヲオシマスナスヘキ善因ヲナサスシテ三途ノ旧
里ニ帰リ八難ノ嶮岨ニマヨハン事慧心往生要集云麁強ノ
煩悩人ヲシテ覚セシム只無義ノ談話ノミ覚ヘスシテ常ニ道ヲ障
トイヘリ道人ノ詞存知スヘシ摩訶止観ノ中ニ世間ノ縁務ヲ
ヤムヘキ事ヲイヘルニハ是ノ事猶スツヘシトテ学問マテモヤメ給/k6-209l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=208&r=0&xywh=-1278%2C-231%2C7741%2C4602

ヘリ況ヤ世間ノ事ヲヤ嘉祥大師同法ノ僧ノ学問ヲ専シテ修
行ノヲロソカナルヲイマシメ給テイハク百年命朝露非奢須為
道緩所急々所緩豈非一生自誤耳文ノ意ハ学ハ行ノタメナ
リ緩ナルヘシ行ハ出離ノ要道ナルヘシ急ナルヘキニサカサマニ
用意セン事誠ニアヤマリナリト云リ南山ノ宣律師ノ云仏教
ノ本意ハ只為奉行若伹談文非本意ナリト云リタタシ四
箇ノ大乗ナントハ教門ヒロケレハ学セスハ解行モ立チカタシ
禅門ハ不立文字ノ宗念仏ハ一向専称ノ行コノ二ハコトニ
学ヲムネトスヘカラス然ルニココロヲ得サル人或ハ古人ノ言句
ヲ愛シ学シテ工夫ヲ専セス或ハ聖道浄土ヲ分別シ是非シテ念
仏ノ功ヲ入レヌニヤイツレモ祖師ノ本意ニカナハスコソ侍ルラメ
西山ニ古遁世門ノ人有ケルカ申ケルハ双紙形脇ニハサミ/k6-210r
テ学問スルホトノ浄土門ノ人ノ臨終ノヨキヲミストイヘリ只念
仏ハ学ヲヤメテ一向信ヲ立テ厭離穢土欣求浄土ノ志シフ
カクシテ真実ノ心ニテ念々ニステス功ヲ入ルル外ノ義ナシ然ルニ
唯除五逆誹謗正法ノ文ヲ乍読餘教ヲソシリ軽シメ是非
偏執アル故ニコソ臨終モアシカルラメト覚ヘ侍ヘリヨク学シヨク
行セハ学ニヨルヘカラス
圭峯禅師云解ハ通達シテ隔ツル事ナカレ行ハ一門ニヨツテ功
ヲ入ヨトコレ目出キヲシヘナリ禅源ノ中ニ有之般舟讃ノ文ノ
コトク餘教餘行ヲハタタ随喜シテ謗セス一行ニ功ヲ入ヘシ近
代浄土門ノ人ノ中ニ餘宗ヲソシルコトオホシ祖師ノ誡ニソム
ケリ祖師ノ意ハ貧瞋等来シマシハラハ念ヲ不隔テ時ヲヘタテ
ス日ヲヘタテス懺悔スヘシト釈シテ一心称名ノ外ハ餘行ヲマシ/k6-210l

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ヘサレトナリ餘行ハ只一心専念ノタメニ是ヲサシヲク行体ノ
悪キニアラス或ル学者ノ義ニハ悪ハ凡夫ノ位ナレハ力不及ノ
ソクヘカラス餘善ハ雑業也是ヲ行スルハ念仏ヲ軽ムル失カ
有ト云テオホキニコレヲソシル若コノ意ナラハ餘善ハ懺悔スヘ
シ失カ重キ故ニ悪行ハ廻向スヘシ凡夫ノ位ニ失カナシトユル
ス故ニ是オホキニ仏教祖意ニソムケリ一向専修之本意ハ
凡夫ノ心散スル故ニ餘事ヲマシヘス一行ヲ専ニナサシム是ハ
行体ノ悪ニハ非ス行人ノ用心ミタルル故也真言ノ行者モ
一尊ニ付テ悉地ヲ成セントスル時餘尊ヲ行スレハ餘尊即
チ魔トナルトイヘリ是モ諸尊ノ魔タルニ非ス行者ノ心乱
ルルヲ魔トイヘリ浄土門モ如此地想観ヲ行シテ成セントスル
時水想観ヲ思出サハ邪観ト云ハル例スルニ同シ意ナリ只一/k6-211r
心ニツトメ行テ是非偏執有ルヘカラス仏法ハ各々ノ宗ノ教
ヘヲキクニカヤウニコソ見ヘ侍ヘレ聞ス習ハヌ宗モサコソタツトカ
ルラメト仰テ信シテ只我カ有縁ノ宗我タメ利益アルヘシト思テ
道念有テ一心ニ勤メ行フヘキ也我有縁ノ行ヲモツトメスシテ
シカモヨロツノ法ヲソシリテハ何カセン龍樹ノ云人身ヲ受ナカ
ラ道行ヲナサスハ禽獣トコトナラスカレモ五欲ノ楽ヲノミ思フ
道ヲ行セス人トシテ善事ヲナササルハ只畜類ニ同シトイヘリ善
導和尚モ三福分ナキモノハ人ノ皮ヲキタル畜生ナリト釈シ給
ヘリ能々祖師ノ教誡ヲ信シテ道ニ入ヘシ仏性元ヨリ是有リ
智鍳又アキラカ也彼ツタナキ強盗ニ及ハサランヤ過ヲシリテ心
ヲアラタムルハカシコキ人ナルヘシ/k6-211l

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1)
弥勒菩薩
2)
「永劫」は底本「永却」。諸本により訂正。
3)
恵心僧都・源信
4)
吉蔵
5)
道宣慧思
6)
圭峰宗密
7)
「貪瞋」は底本「貧瞋」。文脈により訂正。


text/shaseki/ko_shaseki06a-01.txt · 最終更新: 2019/01/09 22:12 by Satoshi Nakagawa