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沙石集
巻5第10話(46) 学生の万事を論議に心得たる事
校訂本文
三井寺1)に教月房とて、中ごろ碩学ありけり。幼少の時より、万事をまじへず、学問のほか他事なくして、論談決択(ろんだんけつぢやく)の道許されたりけるが、和歌の道、つやつや知らざりけり。
弟子ども申しけるは、「わが朝の習ひ、古も今も、もてあそぶ和歌の道御心得なきこそ、無下に思え候へ」と言ふ。「さて、和歌の体はいかなるものぞ」と問へば、古今2)の歌を語る。
年のうちに春は来にけり一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはん今年とや言はん
と言へば、「両様に問ひたるな。御房、問はれたり、問はれたり」とそ言ひける。よろづ論議に聞こえけるにこそ。
一代の聖教は、仏意、みな生死を解脱せんためなり。道人の見るには、みな出離の門なり。説経師が見るには、みな説経書なり。まして、聖教はみな論義にこそ見え侍りけめ。
出離の道遠くや。智慧を生ずる方便はゆゆしけれども、是非執静(ぜひしうじやう)は、近くは生死の業なり。よくよく思ひ分くべし。
翻刻
学生之万事ヲ論議ニ心得タル事 三井寺に教月房とて中比碩学有けり幼少の時より万事を ましへす学問の外他事なくして論談決択の道ゆるされたりける か和歌の道つやつやしらさりけり弟子共申けるは我朝の習古 も今も翫ふ和歌の道御心得なきこそ無下に覚へ候へといふさ て和歌の体はいかなるものそと問へは古今の歌を語る 年のうちに春はきにけり一とせをこそとやいはんことしとや/k5-173l
云はんといへは両様に問たるな御房とはれたりとはれたりとそ云けるよ ろつ論義にきこへけるにこそ一代の聖教は仏意みな生死を解 脱せんためなり道人のみるには皆出離の門也説経師かみるに はみな説経書也まして聖教はみな論義にこそ見侍りけめ出離 の道とをくや智慧を生する方便はゆゆしけれとも是非執静は ちかくは生死の業也能々思わくへし/k5-174r
text/shaseki/ko_shaseki05a-10.txt · 最終更新: 2018/12/06 12:32 by Satoshi Nakagawa