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沙石集

巻4第6話(34) 頸縊り上人の事

校訂本文

中ごろ、小原に上人ありけり。無智なりけれども、道心あるにやと見えけるが、「かかる憂き世に長らへてよしなし」とて、「三七日無言して、結願の日、頸をくくりて臨終せん」と思ひ企てて、同法の上人両三人、あひ語らひて、道場にこもりゐぬ。

かかる聞こえありければ、「あはれに貴し」とて、小原の僧正1)も、結縁のために往生講なんど行ひ給ひけり。言ふべきことあれば、書き付けけるに、往生の志をも勧め、念仏聴聞の志もありとて、都の名僧どもあまた請じて、七日の別時念仏始む。

さるほどに、京中の道俗男女、聞き及ぶにしたがひて、「結縁せん」とて、ここら集まりひさめきて、「拝まん」と言へば、出でて拝まれけり。あひ語らへる上人どもは、「このこと、しかるべからず」とて、うけぬことにぞ思ひける。

さるほどに、日数すでに満じて、行水用意し、臨終すべき時刻近付き、また、同法の上人の中に申しけるは、「今はこれほどの義になりて、別の子細あるまじく候へども、凡夫の心は刹那の間にとかく変る習ひにて候へば、もし妄執も残り、また思し召すことあらば、仰せられなんどして、御心の底に残る所なくして御臨終あらば、しかるべく思え候ふ。今は無言も詮なく思え候ふ」と言ふ時、この上人、「まことにや」と思ひけん、申しけるは、「始め思ひ立ちし時は、心も勇猛(ゆみやう)なりき。一日のころ、この湯屋の房の焼けて、かの房主、焼け死になんどせしを聞きし時は、『今一日も、とくとく臨終して、かかる憂きことも聞かじばや』なんど思ひしが、このほどは、心もゆるくして、『急ぎ死せばや』とも思えぬぞ」と語る時、年ごろの弟子の中に、おとなしかりける在家法師、京に住みける、このことによりて来たれるが、道場には入れられず、少し妬(そね)ましげなる気色して、障子のきはにゐ寄りて、上人のかやうに語るを聞きて、声高に申しけるは、「ものの義なんど言ふは、定まらぬ時のことなり。これほどにののしり、披露2)して、時日も定まり、結縁の人々も集まり拝まんとするに、なまこざかしきさかしら異義の出で来ること、かへすがへすあるまじきことなり。御往生妨げんとする天魔の所為にこそ。とくとく御行水参らせて、急ぎ給へ。時刻のびなんず」と、ののしりければ、上人ももの言ひさしつ。さて、行水し、坊の前の榎木に縄をかけて、頸をくくりて死にけり。人々、拝み尊(たつと)み、面々にその遺物をそ形見に取りける。

さて、その後、半年ばかりを経て、座主僧正の御弟子の中に、悩み候ふことありけり。例ならぬ気色に見えければ、護身し、陀羅尼なんど満てけるほどに、口ばしりて、さまざまのことども言ひけり。かの頸くくり上人が付きて、「『あはれ、僧正・御房、制止し給へかし。思ひとまらん』と思ひしに、その御事なかりし、口惜しく候ふ」とぞ言ひける。

まことに、妄念・執心は忘れがたく、捨てがたし。ただ、思ひとまるべかりけるに、よしなき名聞によりて、魔道に入りけること、かへすがへすも愚かなり。弟子、いかにののしるとも、なじかは用ふべき。魔界の障りにこそ。智慧もあり、まことの心あらば、これほどのことは存ずべきに、愚痴のいたすところか、名聞を思ふゆゑか3)、罪業のさふるところか、魔界のなすゆゑか、この上人にあひ語らはれたる、小原上人の物語なり。

よくよく執心・妄念をばわきまへて、平生なほ慎むべし。いはんや、臨終には、ことに用意あるべきものなり。平生の心はゆるくして、善悪ともに勇猛なること少なし。臨終には、執心も信心も、激しき心ありぬべし。大論4)に、「臨終の一念は、百年の業にすぐれたり」と言へるは、このよしなり。今々、諸根を捨てんとして、勇猛の心をおこす、軍(いくさ)の陣にて命を捨てんとするに喩ふ。

善人も悪念をおこして悪趣に入る。阿耆陀王(あぎだわう)と言ひし国王、善人にておはしけるが、臨終の時、看病の者、扇を顔に落しかく。これによりて、瞋恚(しんい)をおこして、死して、大蛇に生まれて、迦旃延(かせんねん)に会ひて、このよしを語りけり。一生五戒を持せる優婆塞、臨終に妻をあはれむ愛習ありけるが、妻が鼻の中に虫に生まれたりける。これも聖者に会ひてこれを知れり。

また、一生の悪人も、臨終に善知識に会ひて、勇猛に念仏して往生することなり。観経5)の下品下生の人のごとし。

されば、よくよく臨終は慎しみ、用意すべきものなり。

翻刻

  頸縊上人事
中比小原ニ上人有ケリ無智ナリケレトモ道心アルニヤト見ヘ
ケルカカカルウキ世ニナカラヘテヨシナシトテ三七日無言シテ結
願ノ日頸ヲククリテ臨終セント思企テ同法ノ上人両三人ア
ヒカタラヒテ道場ニコモリヰヌカカルキコヘ有ケレハ哀ニ貴シトテ/k4-144r
小原ノ僧正モ結縁ノタメニ往生講ナントヲコナヒ給ケリイフヘ
キ事アレハカキツケケルニ往生ノ志ヲモススメ念仏聴聞ノココ
ロサシモ有トテ都ノ名僧共アマタ請シテ七日ノ別時念仏ハシム
サル程ニ京中ノ道俗男女聞ヲヨフニ随テ結縁セントテココラ
アツマリヒサメキテヲカマントイヘハイテテヲカマレケリアヒカタラヘ
ル上人共ハコノ事シカルヘカラストテウケヌ事ニソ思ケルサルホ
トニ日数ステニ満シテ行水用意シ臨終スヘキ時刻近キ又同
法ノ上人ノ中ニ申ケルハ今ハコレホトノ義ニナリテ別ノ子細
アルマシク候ヘトモ凡夫ノ心ハ刹那ノ間ニトカクカハル習ニテ
候ヘハ若妄執モノコリ又思食事アラハ仰ラレナントシテ御心ノ
ソコニノコル所ナクシテ御臨終アラハシカルヘク覚候今ハ無言モ
詮無ク覚候トイフ時コノ上人マコトニヤト思ケン申ケルハ始/k4-144l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=143&r=0&xywh=887%2C390%2C5841%2C3451

思タチシ時ハ心モ勇猛也キ一日ノ比湯屋ノ房ノヤケテカノ
房主焼死ナントセシヲ聞シ時ハ今一日モトクトク臨終シテカカル
ウキ事モキカシハヤナント思シカコノホトハ心モユルクシテイソキ死
セハヤトモ覚ヘヌソトカタルトキ年来ノ弟子ノ中ニヲトナシカリ
ケル在家法師京ニスミケルコノ事ニヨリテキタレルカ道場ニハ
イレラレス少シソネマシケナル気色シテ障子ノキハニヰヨリテ上人
ノ加様ニカタルヲキキテ声タカニ申ケルハモノノ義ナントイフハ定
マラヌ時ノ事也コレホトニノノシリ披密シテ時日モ定リ結縁ノ
人々モアツマリオカマントスルニナマコサカシキサカシラ異義ノ出
来事返々アルマシキ事ナリ御往生サマタケントスル天魔ノ所
為ニコソトクトク御行水マイラセテイソキ給ヘ時刻ノヒナンストノ
ノシリケレハ上人モ物イヒサシツサテ行水シ坊ノ前ノ榎木ニ縄/k4-145r
ヲカケテ頸ヲククリテ死ニケリ人々オカミタツトミ面々ニ其遺
物ヲソカタミニトリケルサテ其後半年ハカリヲヘテ座主僧正ノ
御弟子ノ中ニ悩候事有ケリ例ナラヌ気色ニ見ヘケレハ護身
シ陀羅尼ナントミテケルホトニ口ハシリテ様々ノコト共イヒケリ
彼頸ククリ上人カ付テアハレ僧正御房制止シ給ヘカシ思ト
マラント思シニ其御事ナカリシ口惜ク候トソイヒケル実ニ妄念
執心ハワスレカタクステカタシタタ思トマルヘカリケルニヨシナキ
名聞ニヨリテ魔道ニ入リケル事返々モヲロカナリ弟子イカニノ
ノシルトモナシカハモチフヘキ魔界ノサハリニコソ智慧モアリ実ノ
心アラハコレホトノコトハ存スヘキニ愚痴ノイタストコロカ名聞
ヲ思ユヘ罪業ノサフルトコロカ魔界ノナスユヘカコノ上人ニアヒ
カタラハレタル小原上人ノモノカタリ也能々執心妄念ヲハワ/k4-145l

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キマヘテ平生猶ツツシムヘシイハンヤ臨終ニハコトニ用意アルヘ
キモノナリ平生ノ心ハユルクシテ善悪共ニ勇猛ナルコトスクナシ
臨終ニハ執心モ信心モハケシキ心アリヌヘシ大論ニ臨終ノ一
念ハ百年ノ業ニスクレタリトイヘルハコノヨシナリイマイマ諸根ヲ
ステントシテ勇猛ノ心ヲオコス軍ノ陣ニテ命ヲステントスルニタト
フ善人モ悪念ヲオコシテ悪趣ニ入ル阿耆陀王トイヒシ国王善
人ニテオハシケルカ臨終ノ時看病ノ者扇ヲカホニオトシカクコレ
ニヨリテ瞋恚ヲオコシテ死シテ大蛇ニ生テ迦旃延ニアヒテコノヨシ
ヲ語リケリ一生五戒ヲ持セル優婆塞臨終ニ妻ヲアハレム愛
習アリケルカ妻カ鼻ノ中ニ虫ニムマレタリケルコレモ聖者ニアヒ
テコレヲシレリ又一生ノ悪人モ臨終ニ善知識ニアヒテ勇猛ニ
念仏シテ往生スル事ナリ観経ノ下品下生ノ人ノ如シサレハヨ/k4-146r
クヨク臨終ハツツシミ用意スヘキ者也/k4-146l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=145&r=0&xywh=-268%2C396%2C5841%2C3451

1)
『沙石集』4-1の顕真か。ただし、「大原の顕真僧正」とする。
2)
「披露」は底本「披密」。諸本により訂正。
3)
「思ふゆゑか」は底本「か」なし。文脈により補う。
4)
大智度論
5)
観無量寿経
text/shaseki/ko_shaseki04b-06.txt · 最終更新: 2018/12/06 12:27 by Satoshi Nakagawa
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