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沙石集
巻4第3話(41) 上人の子を持つ事
校訂本文
信州塩田のある山寺に上人あり。三つの腹に三人の子を持てり。初めの腹の子は、まめやかに忍びければ、聖(ひじり)の子と言ひけれども、不審に思えて、名をば「思ひもよらず」と付く。次の腹の子は、時々はわが房にも忍び忍び通ひければ、ひたすら疑ひの心も薄くして、名は「さもあるらん」と付く。後の妻は、うちたえわが房につきて疑ひの心なかりければ、名をば「子細なし」と付く。これは、当時のことなり。ある人に会ひて、みづから名乗りて、「この上人、三人の子あり。しかしかと名付けて候ふ。これは子細なしが母なり」とて、妻も出でて見参し、思ひもよらずも、少しおとなしき童にてありけるを見たるよし、物語侍り。
上人の子持つこと、先蹤なきにあらず。天竺の鳩摩羅炎三蔵、優填王(うでんわう)の栴檀の像を負ひて、漢土へ渡し奉る。亀茲国(きじこく)等の四の国を経るに、かの国の王、像をとどめ、また聖の種継がんとて、王の女をおし合はせて、羅什三蔵1)を生めり。鳩摩羅炎は、かの国にして入滅す。
什公、幼少の時、羅漢の聖者、相していはく、「この子、漢土へ行かば、三十余の年、世に堕つべき相あり」と言ふ。成長の後、先師の本意を遂げんとして、かの像を漢土へ渡さんとす。母、羅漢の語を憶して、子をいさむといへども、「わが身はたとひ犯戒(ぼんかい)し、塗炭に堕つとも、衆生の利益あるべくは、いたむべきにあらず」とて、像を漢土へ渡し奉る。
今の嵯峨2)の釈迦これなり。嵯峨の釈迦のこと、律の中には、亀茲国等の四国の王、次第に本仏を留めて、写してこれを渡し奉る。第四伝と見えたり。奝然法橋、盗みて、唐の本仏を渡せりと言へり。嵯峨には第二転と申すとかや。まことにこれを知らず。
呉王、后を二人おし合はせて、聖の種を継がんとす。つひに、生・肇・融・叡の四人の弟子をまうく。生・肇等は羅什の子と、常に申なれたり。ただし、一説に只の弟子と言へり。事実知りがたし。
「上人の子は、いかにも智者にて聖(ひじ)りなり」と申せば、ある人、難じていはく、「父に似て聖るべからず」と。答へていはく、「さらば、一生不犯の聖をこそ。父に似て聖らんずらん」と答へて比興すと云々。
南山3)の感通伝4)に、「大師、天人に問ひていはく、『羅什、乱行の聞こえあり。実か不や』。答へていはく、『三賢の菩薩なり。沙汰すべからず』」と云々。
私に推していはく、「末代は持戒の人まれなり。然れども正法を弘通せば、益あるべし。その跡を示し給ふにや」。また問ひていはく、「法華は前後四品あり。何ぞ、ただ什公訳、天下に之を翫(もてあそ)ぶや」。答へていはく、「什公、七仏の出世の毎度、翻訳の三蔵なり。十輪経に、『正見僧と言ふは、犯戒なれども正法を説く。師と為すべし』と言へり。心地観経の心、之に同じ。安楽行品の『不親近国王大臣。(国王大臣に親近せず)』の文を、慈恩大師5)、釈すとして、呉王妻を譲りしかば、恥を千歳に残すと言へり』と。犯戒の後は、縵衣をかけて、寺の外に居し、寺に入りて説法の時は、度ごとに、『わが身は淤泥のごとし。所説の法は蓮華のごとし』と言へり。さて、法華翻訳の庭に、四人の弟子と共に訳せり。富楼那の授記の文の、『人天交接両得相見。』は肇公の訳の語なり。古訳には、『人見天、天見人。(人は天を見、天は人を見る』と訳せられけるを、『聞きにくく候ふ』とて釈し直さる。よつて時の人、これを讃めて、まさる肇公と言へり。一説には叡公」と云々。
かかるためしもあれども、かの上代の聖人は、智行徳たけ、和光の方便、利益の因縁、まことに量りがたし。されば、その子も智慧有り、利益広し。近代の上人は、父上人も愚痴なれば、まして、その子上人の、いかでかはかばかしからん。させる益もなく、よそよりおとすこともなきに、よしなき種をのみ継ぐにこそ。およそ、代下り人つたなくして、智慧もあり徳行もある上人、年追ひてまれなり。
つらつらことの心を思ふに、在家・出家、道異れども、心も猛く、おごれる振舞ありし昔の武士は、王位をも奪はんとしき。純友が謀反をおこし、将門が平親王と言はれしがごとし。畠山の重忠6)が、館の内に煙を立てざりけるは、鎮守府の将軍を心ざしけるとかや。かかりし武士の、親類骨肉の中に、おのづから出家学道せしは、発心もまことあり、器量も強く、智慧も深く、修行も激し。
上古の大師・先徳、多くは田舎の人なり。南都の超勝寺の本願、浄海上人7)は、東大寺法師なり。田舎の武士の末とかや。京の人とも言へり。身のたけ七尺ばかりにて、器量人にすぐれたり。興福寺と合戦すべきにて、すでに甲冑を帯して、軍の庭(ば)に出でて、つくづく思ひ廻らすに、「そもそも寺に住する本意、仏法修行のためなり。合戦をするほどならば、俗の形にてこそあらめ。よしなし」と思ひ返して、やがて超勝寺に引き籠りて、一筋に修行すること、勇猛精進にして、香の煙の中に生身の弥陀の像現じ給ふ。やがて、取りとどめ奉れりとも言ひ、また写し奉れりとも言へり。かの像、今にいます。御たけ五・六寸ばかりの像なり。御形、嵯峨の釈迦に似給へり。先年これを拝す。
発心・修行、まことありし昔は、かかる感応もありき。しかるに、近代は在家の風情みな変りて、器量も弱く、果報も下りて、心のかさなく、おほけなき企てなし。ただ世に従ひ、へつらひて、名をも惜しみ、恥をも知れる人、年にしたがひてまれなり。かたのごとく妻子をも養ひ、身命をも継げば、不足の思ひなくして、驕れる心なし。
かかる在家人の子息の中に、随分に人々しく、かひがひしきをば選びて家を継がせ、えりくづの捨てもの、不覚人を法師になして、「乞食ばしもせよかし」とて、智慧を選び、器量を見るに及ばず。道行のためにもあらず、解脱を期する志もなし。ただ髪を剃り、衣を染めたり。何とてか、はかばかしからん。これ、ただ仏法を軽(かろ)くし、世間を重く思へる世俗の風儀なり。悲しきかな。
その中に、まれにも仏道を行じ、智慧もあるこそ、しかるべき宿習なれ。涅槃経には、「わが滅後に飢餓のために出家・受戒の者多かるべし。これを意楽損害(いげうそんがい)の者とす」と言へり。戒行を守(まぼ)るといへども、涅槃を期せずして、渡世を意とするゆゑなり。この人、供養を受くべからずと言へり。まして、破戒無慙(はかいむざん)にして、出家の形として、解脱を期せざるか、むなしく供養を受くるは、賊分斉とて、賊の分と言へり。あるいは禿居士とも名付け、袈裟を着たる猟師とも言へり。悲かるべき末代なり。
かかる世に、法滅の菩提心を発(おこ)し、如説の修行をも励まん人、まめやかに貴かるべきなり。戒を持つにつけて、四分律には四分斉(しぶんざい)を立てたり。
一には、破戒にして、渡世に施を受くるをば、賊分斉と言へり。施主の財をいたづらに失ふ、これ賊なり。
二、罪分斉。三途8)をまぬかれんと思ふ、これ心狭(せば)き者なり。
三、福分斉。天上に生ぜせんために持す。
四、道分斉。涅槃のために持すなり。
また、四用と言ふは、
破戒にて施を受るは盗用。賊分なり。
二、負債用。持戒なれども、五観せざる負ひ物となりて、施主に還すべし。
三、親友用。三果の聖者、親類の物を用ゐるがごとし。
四、自己用。羅漢は応供(おうぐ)の徳そなはり、自己の物を用ゐるがごとし。
破戒の物を賊分斉といふこと、第二の戒は律の中に微細なり。たとひ偸盗9)の心なけれども、いたづらに他の財10)を損ずる、これみな盗なり。たとひわが身一分の利なけれども他を損ずるを盗といふ。互用三宝物の盗たること、施主の福分を失なふゆゑなり。
こまかにこれを言へば、この持戒する人まれなり。本説に、「知りて行ぜざるは国の師なり。知らずとも行ずるは国の用なり。知りて行ずるは国の宝なり。知らず行ぜずは国の賊」と言へり。学することもなく、行ずることもなく、いたづらに遊び戯(たはぶ)れて、国の費(つひえ)を知らざる人のみ世中に多し。この戒め逃れがたし。これは世間の俗の中のことなり。仏法の中、これになぞらふべし。
智行あひ兼ぬべし。大論11)にいはく、「智慧ありとも多聞なき、実相を見ず。眼あれども灯なき闇の中のごとし。多聞なれども智慧なき、実相を知らず。灯あれども眼なきがごとし。智慧・多聞ありて実相を知る、眼あて明中にあるがごとし。智慧もなく多聞もなき人は、人身に似たる牛なり」と言へり。まことに、人身の牛、世間に多し。恥かしや、恥かしや。
三に、福分斉をば、善導の釈に、「人の皮を着たる牛なり」と言へる心、これに同じ。施戒・禅定・孝養等の福行せざる者、ただ皮ばかり人なり。そこはたた畜類なるべし。
南山宣律師12)、業疏釈中に、智論を引きていはく、「六情根完具、智鑒亦明利。而不求道法。唐受身智慧。禽獣亦皆知欲楽。以自恣而不知方便為道修善事。既已得人身。宜勉自利益。不知修道行。与彼亦何異。道行何耶。一切無染者是也。良由衆生無始封著。是此是彼。是得是失、因之起染、纏縛有獄。故世鈍者多著財色。小有利者多貪名見。已上。」
祖師の意、みな同じきにや。大慧禅師13)いはく、「ただ染汗を誡む。世間事より、乃至菩提涅槃まで着(ぢやく)するを染汗と言へり」。
翻刻
上人子持事 信州塩田の或山寺に上人有り三の腹に三人の子をもてり 初の腹の子はまめやかにしのひけれはひしりの子といひけれとも不 審に覚て名をは思もよらすとつく次の腹の子は時々は我房に もしのひしのひかよひけれはひたすら疑の心もうすくして名はさもある らんと付く後の妻はうちたえ我房につきてうたかひの心なかりけ れは名をは子細なしと付これは当時の事也有人にあひてみつ からなのりてこの上人三人の子有りしかしかと名付て候これは 子細なしか母なりとて妻もいてて見参し思もよらすもすこしを となしき童にてありけるを見たるよし物語侍り上人の子もつ事 先蹤なきにあらす天竺の鳩摩羅炎三蔵優填王の栴檀の像/k4-137l
を負て漢土へわたし奉る亀茲国等の四の国をふるに彼国の 王像をととめ又聖の種つかんとて王の女ををし合て羅什三蔵 を生り鳩摩羅炎はかの国にして入滅す什公幼少の時羅漢の 聖者相して云この子漢土へゆかは三十餘の年世におつへき相 ありといふ成長の後先師の本意をとけんとしてかの像を漢土へわ たさんとす母羅漢の語を憶して子をいさむといへともわか身は縦ひ 犯戒し塗炭に堕共衆生の利益有るへくはいたむへきにあらす とて像を漢土へわたし奉る今の嵯峨の釈迦これなり嵯峨の 釈迦の事律の中には亀茲国等の四国の王次第に本仏を 留て写て是をわたしたてまつる第四伝とみえたり奝然法橋盗 みて唐の本仏を渡せりといへり嵯峨には第二転と申とかや実 にこれをしらす呉王后を二人をし合て聖の種をつかんとす遂に/k4-138r
生肇融叡の四人の弟子をまうく生肇等は羅什の子とつね に申なれたり但一説只の弟子といへり事実知りかたし 上人の子はいかにも智者にてひしりなりと申せは或人難て云 父に似て聖るへからすと答て云さらは一生不犯の聖をこそ父 に似て聖らんすらんと答て比興云云南山の感通伝に大師天 人に問て云く羅什乱行の聞あり実か不や答云三賢の菩 薩也不可沙汰云云私推云末代は持戒の人希也然とも正 法を弘通せは可有益其跡を示給にや又問云法華は前後 有四品何唯什公訳天下に翫之答云什公七仏の出世の毎 度翻訳の三蔵なり十輪経に正見僧と云は犯戒なれ共正法 を説く可為師といへり心地観経の心同之安楽行品の不 親近国王大臣の文を慈恩大師釈すとして呉王妻を譲しかは/k4-138l
恥を千歳にのこすといへりと犯戒の後は縵衣をかけて寺の外に 居し寺に入て説法の時は度ことに我身は淤泥のことし所説 の法は蓮華のことしといへりさて法華翻訳の庭に四人の弟 子と共に訳せり冨楼那の授記の文の人天交接両得相見 は肇公の訳の語也古訳には人見天々見人と訳せられけるを 聞にくく候とて釈しなおさる仍時の人これをほめてまさる肇公と いへり一説には叡公と云云かかるためしもあれともかの上代の聖 人は智行徳たけ和光の方便利益の因縁まことにはかりかたし されはその子も智慧有り利益ひろし近代の上人は父上人も 愚痴なれはましてその子上人の争かはかはかしからんさせる益もな くよそよりをとす事もなきによしなき種をのみつくにこそ凡そ代く たり人つたなくして智慧も有り徳行も有る上人年おひて希也/k4-139r
つらつら事の心を思に在家出家道ことなれとも心もたけくをこれ る振舞有し昔の武士は王位をも奪はんとしき純友か謀反をお こし将門か平親王といはれしかことし畠山の重忠か館の内に 煙をたてさりけるは鎮守府の将軍を心さしけるとかやかかりし武 士の親類骨肉の中にをのつから出家学道せしは発心もまこと あり器量もつよく智慧もふかく修行もはけし上古の大師先徳 多は田舎の人也南都の超勝寺の本願浄海上人は東大寺 法師也田舎の武士のすゑとかや京の人とも云り身の長七尺 はかりにて器量人にすくれたり興福寺と合戦すへきにてすてに 甲冑を帯して軍の庭に出てつくつく思廻に抑寺に住する本意仏 法修行のためなり合戦をするほとならは俗の形にてこそあらめよ しなしと思返してやかて超勝寺に引籠りて一すちに修行する事/k4-139l
勇猛精進にして香の煙の中に生身の弥陀の像現し給ふやかて とりととめ奉れりともいひ又うつし奉れりともいへりかの像今にい ます御長五六寸はかりの像なり御形嵯峨の釈迦に似給へ り先年拝之発心修行まこと有し昔はかかる感応もありき然 に近代は在家の風情みなかはりて器量もよはく果報もくたりて 心のかさなくをほけなき企てなしたた世にしたかひへつらひて名を もおしみ恥をもしれる人年に随て希也かたのことく妻子をもや しなひ身命をもつけは不足の思なくして驕れる心なしかかる在家 人の子息の中に随分に人々しく甲斐々々しきをはえらひて 家をつかせゑりくつのすて物不覚人を法師になして乞食はしも せよかしとて智慧をえらひ器量を見るにをよはす道行のためにも あらす解脱を期する志もなしたた髪をそり衣をそめたりなにとて/k4-140r
かはかはかしからんこれたた仏法をかろくし世間ををもく思へる世 俗の風儀也悲哉その中に希にも仏道を行し智慧も有るこそ しかるへき宿習なれ涅槃経には我滅後に飢餓のために出家 受戒の者おほかるへしこれを意楽損害の者とすといへり戒行 をまほるといへとも涅槃を期せすして渡世を意とする故也この人 供養をうくへからすといへりまして破戒無慙にして出家の形と して解脱を期せさるか空く供養をうくるは賊分斉とて賊の 分といへり或は禿居士とも名け袈裟を被たる猟師ともいへり 悲かるへき末代也かかる世に法滅の菩提心を発し如説の修 行をもはけまん人まめやかに貴かるへきなり戒を持に付て四分 律には四分斉を立たり 一には破戒にして渡世に施をうく るをは賊分斉と云り施主の財を徒に失ふ是賊なり/k4-140l
二罪分斉三迹をまぬかれんと思これ心せはきものなり 三福分斉天上に生ぜせんために持す 四道分斉涅槃の ために持なり又四用と云は破戒にて施を受るは盗用賊分也 二負倩用持戒なれとも五観せさる負物となりて施主に還す へし 三親友用三果の聖者親類のものを用るかことし 四自己用羅漢は応供の徳そなはり自己の物を用るかことし 破戒の物を賊分斉といふ事第二の戒は律の中に微細也た とひ倫盗の心なけれ共いたつらに他の賊を損するこれみな盗也 たとひ我身一分の利なけれとも他を損するを盗といふ互用三 宝物の盗たること施主の福分をうしなふ故也こまかにこれをい へはこの持戒する人まれなり本説に知て不行国の師也不知 とも行するは国の用なり知而行するは国の宝也不知不行は/k4-141r
国の賊といへり学する事もなく行する事もなく徒にあそひたはふ れて国の費をしらさる人のみ世中におほしこのいましめのかれかた しこれは世間の俗の中の事なり仏法の中これになそらふへし智 行相兼へし大論云智慧有とも多聞なき実相をみす眼あれ とも燈なき闇の中の如し多聞なれとも智慧なき実相をしらす 燈あれとも眼なきかことし智慧多聞有て実相を知る眼あて 明中にあるか如し智慧もなく多聞もなき人は人身に似たる牛也 といへりまことに人身の牛世間におほし恥かしや恥かしや 三に福分斉をは善導の釈に人の皮をきたる牛なりといへる心 これに同し施戒禅定孝養等の福行せさるものたた皮はかり 人なりそこはたた畜類なるへし 南山宣律師業疏釈 中に引智論云六情根完具智鑒亦明利而不求道法唐/k4-141l
受身智慧禽獣亦皆知欲楽以自恣而不知方便為道修 善事既已得人身宜勉自利益不知修道行与彼亦何異 道行何耶一切無染者是也良由衆生無始封著是 此是彼是得是失因之起染纏縛有獄故世鈍者多著財 色小有利者多貪名見已上祖師の意みなをなしきにや大慧 禅師云只染汗を誡む世間事より乃至菩提涅槃まて著す るを染汗といへり/k4-142r