ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:shaseki:ko_shaseki04b-03

沙石集

巻4第3話(31) 上人の子を持つ事

校訂本文

信州塩田のある山寺に上人あり。三つの腹に三人の子を持てり。初めの腹の子は、まめやかに忍びければ、聖(ひじり)の子と言ひけれども、不審に思えて、名をば「思ひもよらず」と付く。次の腹の子は、時々はわが房にも忍び忍び通ひければ、ひたすら疑ひの心も薄くして、名は「さもあるらん」と付く。後の妻は、うちたえわが房につきて疑ひの心なかりければ、名をば「子細なし」と付く。これは、当時のことなり。ある人に会ひて、みづから名乗りて、「この上人、三人の子あり。しかしかと名付けて候ふ。これは子細なしが母なり」とて、妻も出でて見参し、思ひもよらずも、少しおとなしき童にてありけるを見たるよし、物語侍り。

上人の子持つこと、先蹤なきにあらず。天竺の鳩摩羅炎三蔵、優填王(うでんわう)の栴檀の像を負ひて、漢土へ渡し奉る。亀茲国(きじこく)等の四の国を経るに、かの国の王、像をとどめ、また聖の種継がんとて、王の女をおし合はせて、羅什三蔵1)を生めり。鳩摩羅炎は、かの国にして入滅す。

什公、幼少の時、羅漢の聖者、相していはく、「この子、漢土へ行かば、三十余の年、世に堕つべき相あり」と言ふ。成長の後、先師の本意を遂げんとして、かの像を漢土へ渡さんとす。母、羅漢の語を憶して、子をいさむといへども、「わが身はたとひ犯戒(ぼんかい)し、塗炭に堕つとも、衆生の利益あるべくは、いたむべきにあらず」とて、像を漢土へ渡し奉る。

今の嵯峨2)の釈迦これなり。嵯峨の釈迦のこと、律の中には、亀茲国等の四国の王、次第に本仏を留めて、写してこれを渡し奉る。第四伝と見えたり。奝然法橋、盗みて、唐の本仏を渡せりと言へり。嵯峨には第二転と申すとかや。まことにこれを知らず。

呉王、后を二人おし合はせて、聖の種を継がんとす。つひに、生・肇・融・叡の四人の弟子をまうく。生・肇等は羅什の子と、常に申なれたり。ただし、一説に只の弟子と言へり。事実知りがたし。

「上人の子は、いかにも智者にて聖(ひじ)りなり」と申せば、ある人、難じていはく、「父に似て聖るべからず」と。答へていはく、「さらば、一生不犯の聖をこそ。父に似て聖らんずらん」と答へて比興すと云々。

南山3)の感通伝4)に、「大師、天人に問ひていはく、『羅什、乱行の聞こえあり。実か不や』。答へていはく、『三賢の菩薩なり。沙汰すべからず』」と云々。

私に推していはく、「末代は持戒の人まれなり。然れども正法を弘通せば、益あるべし。その跡を示し給ふにや」。また問ひていはく、「法華は前後四品あり。何ぞ、ただ什公訳、天下に之を翫(もてあそ)ぶや」。答へていはく、「什公、七仏の出世の毎度、翻訳の三蔵なり。十輪経に、『正見僧と言ふは、犯戒なれども正法を説く。師と為すべし』と言へり。心地観経の心、之に同じ。安楽行品の『不親近国王大臣。(国王大臣に親近せず)』の文を、慈恩大師5)、釈すとして、呉王妻を譲りしかば、恥を千歳に残すと言へり』と。犯戒の後は、縵衣をかけて、寺の外に居し、寺に入りて説法の時は、度ごとに、『わが身は淤泥のごとし。所説の法は蓮華のごとし』と言へり。さて、法華翻訳の庭に、四人の弟子と共に訳せり。富楼那の授記の文の、『人天交接両得相見。』は肇公6)の訳の語なり。古訳には、『人見天、天見人。(人は天を見、天は人を見る』と訳せられけるを、『聞きにくく候ふ』とて釈し直さる。よつて時の人、これを讃めて、まさる肇公と言へり。一説には叡公」と云々。

かかるためしもあれども、かの上代の聖人は、智行徳たけ、和光の方便、利益の因縁、まことに量りがたし。されば、その子も智慧有り、利益広し。近代の上人は、父上人も愚痴なれば、まして、その子上人の、いかでかはかばかしからん。させる益もなく、よそよりおとすこともなきに、よしなき種をのみ継ぐにこそ。およそ、代下り人つたなくして、智慧もあり徳行もある上人、年追ひてまれなり。

つらつらことの心を思ふに、在家・出家、道異れども、心も猛く、おごれる振舞ありし昔の武士は、王位をも奪はんとしき。純友が謀反をおこし、将門が平親王と言はれしがごとし。畠山の重忠7)が、館の内に煙を立てざりけるは、鎮守府の将軍を心ざしけるとかや。かかりし武士の、親類骨肉の中に、おのづから出家学道せしは、発心もまことあり、器量も強く、智慧も深く、修行も激し。

上古の大師・先徳、多くは田舎の人なり。南都の超勝寺の本願、浄海上人8)は、東大寺法師なり。田舎の武士の末とかや。京の人とも言へり。身のたけ七尺ばかりにて、器量人にすぐれたり。興福寺と合戦すべきにて、すでに甲冑を帯して、軍の庭(ば)に出でて、つくづく思ひ廻らすに、「そもそも寺に住する本意、仏法修行のためなり。合戦をするほどならば、俗の形にてこそあらめ。よしなし」と思ひ返して、やがて超勝寺に引き籠りて、一筋に修行すること、勇猛精進にして、香の煙の中に生身の弥陀の像現じ給ふ。やがて、取りとどめ奉れりとも言ひ、また写し奉れりとも言へり。かの像、今にいます。御たけ五・六寸ばかりの像なり。御形、嵯峨の釈迦に似給へり。先年これを拝す。

発心・修行、まことありし昔は、かかる感応もありき。しかるに、近代は在家の風情みな変りて、器量も弱く、果報も下りて、心のかさなく、おほけなき企てなし。ただ世に従ひ、へつらひて、名をも惜しみ、恥をも知れる人、年にしたがひてまれなり。かたのごとく妻子をも養ひ、身命をも継げば、不足の思ひなくして、驕れる心なし。

かかる在家人の子息の中に、随分に人々しく、かひがひしきをば選びて家を継がせ、えりくづの捨てもの、不覚人を法師になして、「乞食ばしもせよかし」とて、智慧を選び、器量を見るに及ばず。道行のためにもあらず、解脱を期する志もなし。ただ髪を剃り、衣を染めたり。何とてか、はかばかしからん。これ、ただ仏法を軽(かろ)くし、世間を重く思へる世俗の風儀なり。悲しきかな。

その中に、まれにも仏道を行じ、智慧もあるこそ、しかるべき宿習なれ。涅槃経には、「わが滅後に飢餓のために出家・受戒の者多かるべし。これを意楽損害(いげうそんがい)の者とす」と言へり。戒行を守(まぼ)るといへども、涅槃を期せずして、渡世を意とするゆゑなり。この人、供養を受くべからずと言へり。まして、破戒無慙(はかいむざん)にして、出家の形として、解脱を期せざるか、むなしく供養を受くるは、賊分斉とて、賊の分と言へり。あるいは禿居士とも名付け、袈裟を着たる猟師とも言へり。悲かるべき末代なり。

かかる世に、法滅の菩提心を発(おこ)し、如説の修行をも励まん人、まめやかに貴かるべきなり。戒を持つにつけて、四分律には四分斉(しぶんざい)を立てたり。

一には、破戒にして、渡世に施を受くるをば、賊分斉と言へり。施主の財をいたづらに失ふ、これ賊なり。

二、罪分斉。三途9)をまぬかれんと思ふ、これ心狭(せば)き者なり。

三、福分斉。天上に生ぜせんために持す。

四、道分斉。涅槃のために持すなり。

また、四用と言ふは、

破戒にて施を受るは盗用。賊分なり。

二、負債用。持戒なれども、五観せざる負ひ物となりて、施主に還すべし。

三、親友用。三果の聖者、親類の物を用ゐるがごとし。

四、自己用。羅漢は応供(おうぐ)の徳そなはり、自己の物を用ゐるがごとし。

破戒の物を賊分斉といふこと、第二の戒は律の中に微細なり。たとひ偸盗10)の心なけれども、いたづらに他の財11)を損ずる、これみな盗なり。たとひわが身一分の利なけれども他を損ずるを盗といふ。互用三宝物の盗たること、施主の福分を失なふゆゑなり。

こまかにこれを言へば、この持戒する人まれなり。本説に、「知りて行ぜざるは国の師なり。知らずとも行ずるは国の用なり。知りて行ずるは国の宝なり。知らず行ぜずは国の賊」と言へり。学することもなく、行ずることもなく、いたづらに遊び戯(たはぶ)れて、国の費(つひえ)を知らざる人のみ世中に多し。この戒め逃れがたし。これは世間の俗の中のことなり。仏法の中、これになぞらふべし。

智行あひ兼ぬべし。大論12)にいはく、「智慧ありとも多聞なき、実相を見ず。眼あれども灯なき闇の中のごとし。多聞なれども智慧なき、実相を知らず。灯あれども眼なきがごとし。智慧・多聞ありて実相を知る、眼あて明中にあるがごとし。智慧もなく多聞もなき人は、人身に似たる牛なり」と言へり。まことに、人身の牛、世間に多し。恥かしや、恥かしや。

三に、福分斉をば、善導の釈に、「人の皮を着たる牛なり」と言へる心、これに同じ。施戒・禅定・孝養等の福行せざる者、ただ皮ばかり人なり。そこはたた畜類なるべし。

南山宣律師13)、業疏釈中に、智論を引きていはく、「六情根完具、智鑒亦明利。而不求道法。唐受身智慧。禽獣亦皆知欲楽。以自恣而不知方便為道修善事。既已得人身。宜勉自利益。不知修道行。与彼亦何異。道行何耶。一切無染者是也。良由衆生無始封著。是此是彼。是得是失、因之起染、纏縛有獄。故世鈍者多著財色。小有利者多貪名見。已上。」

祖師の意、みな同じきにや。大慧禅師14)いはく、「ただ染汚を誡む。世間事より、乃至菩提涅槃まで着(ぢやく)するを染汚と言へり」。

翻刻

  上人子持事
信州塩田ノ或山寺ニ上人有リ三ノ腹ニ三人ノ子ヲモテリ
初ノ腹ノ子ハマメヤカニシノヒケレハヒシリノ子トイヒケレトモ不
審ニ覚テ名ヲハ思モヨラストツク次ノ腹ノ子ハ時々ハ我房ニ
モシノヒシノヒカヨヒケレハヒタスラ疑ノ心モウスクシテ名ハサモアル
ラント付ク後ノ妻ハウチタエ我房ニツキテウタカヒノ心ナカリケ
レハ名ヲハ子細ナシト付コレハ当時ノ事也有人ニアヒテミツ
カラナノリテコノ上人三人ノ子有リシカシカト名付テ候コレハ
子細ナシカ母ナリトテ妻モイテテ見参シ思モヨラスモスコシヲ
トナシキ童ニテアリケルヲ見タルヨシ物語侍リ上人ノ子モツ事
先蹤ナキニアラス天竺ノ鳩摩羅炎三蔵優填王ノ栴檀ノ像/k4-137l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=136&r=0&xywh=-646%2C273%2C6490%2C3835

ヲ負テ漢土ヘワタシ奉ル亀茲国等ノ四ノ国ヲフルニ彼国ノ
王像ヲトトメ又聖ノ種ツカントテ王ノ女ヲヲシ合テ羅什三蔵
ヲ生リ鳩摩羅炎ハカノ国ニシテ入滅ス什公幼少ノ時羅漢ノ
聖者相シテ云コノ子漢土ヘユカハ三十餘ノ年世ニオツヘキ相
アリトイフ成長ノ後先師ノ本意ヲトケントシテカノ像ヲ漢土ヘワ
タサントス母羅漢ノ語ヲ憶シテ子ヲイサムトイヘトモワカ身ハ縦ヒ
犯戒シ塗炭ニ堕共衆生ノ利益有ルヘクハイタムヘキニアラス
トテ像ヲ漢土ヘワタシ奉ル今ノ嵯峨ノ釈迦コレナリ嵯峨ノ
釈迦ノ事律ノ中ニハ亀茲国等ノ四国ノ王次第ニ本仏ヲ
留テ写テ是ヲワタシタテマツル第四伝トミエタリ奝然法橋盗
ミテ唐ノ本仏ヲ渡セリトイヘリ嵯峨ニハ第二転ト申トカヤ実
ニコレヲシラス呉王后ヲ二人ヲシ合テ聖ノ種ヲツカントス遂ニ/k4-138r
生肇融叡ノ四人ノ弟子ヲマウク生肇等ハ羅什ノ子トツネ
ニ申ナレタリ但一説只ノ弟子トイヘリ事実知リカタシ
上人ノ子ハイカニモ智者ニテヒシリナリト申セハ或人難テ云
父ニ似テ聖ルヘカラスト答テ云サラハ一生不犯ノ聖ヲコソ父
ニ似テ聖ランスラント答テ比興云云南山ノ感通伝ニ大師天
人ニ問テ云ク羅什乱行ノ聞アリ実カ不ヤ答云三賢ノ菩
薩也不可沙汰云云私推云末代ハ持戒ノ人希也然トモ正
法ヲ弘通セハ可有益其跡ヲ示給ニヤ又問云法華ハ前後
有四品何唯什公訳天下ニ翫之答云什公七仏ノ出世ノ毎
度翻訳ノ三蔵ナリ十輪経ニ正見僧ト云ハ犯戒ナレ共正法
ヲ説ク可為師トイヘリ心地観経ノ心同之安楽行品ノ不
親近国王大臣ノ文ヲ慈恩大師釈ストシテ呉王妻ヲ譲シカハ/k4-138l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=137&r=0&xywh=-2005%2C520%2C5409%2C3195

恥ヲ千歳ニノコストイヘリト犯戒ノ後ハ縵衣ヲカケテ寺ノ外ニ
居シ寺ニ入テ説法ノ時ハ度コトニ我身ハ淤泥ノコトシ所説
ノ法ハ蓮華ノコトシトイヘリサテ法華翻訳ノ庭ニ四人ノ弟
子ト共ニ訳セリ冨楼那ノ授記ノ文ノ人天交接両得相見
ハ肇公ノ訳ノ語也古訳ニハ人見天々見人ト訳セラレケルヲ
聞ニクク候トテ釈シナオサル仍時ノ人コレヲホメテマサル肇公ト
イヘリ一説ニハ叡公ト云云カカルタメシモアレトモカノ上代ノ聖
人ハ智行徳タケ和光ノ方便利益ノ因縁マコトニハカリカタシ
サレハソノ子モ智慧有リ利益ヒロシ近代ノ上人ハ父上人モ
愚痴ナレハマシテソノ子上人ノ争カハカハカシカランサセル益モナ
クヨソヨリヲトス事モナキニヨシナキ種ヲノミツクニコソ凡ソ代ク
タリ人ツタナクシテ智慧モ有リ徳行モ有ル上人年オヒテ希也/k4-139r
ツラツラ事ノ心ヲ思ニ在家出家道コトナレトモ心モタケクヲコレ
ル振舞有シ昔ノ武士ハ王位ヲモ奪ハントシキ純友カ謀反ヲオ
コシ将門カ平親王トイハレシカコトシ畠山ノ重忠カ館ノ内ニ
煙ヲタテサリケルハ鎮守府ノ将軍ヲ心サシケルトカヤカカリシ武
士ノ親類骨肉ノ中ニヲノツカラ出家学道セシハ発心モマコト
アリ器量モツヨク智慧モフカク修行モハケシ上古ノ大師先徳
多ハ田舎ノ人也南都ノ超勝寺ノ本願浄海上人ハ東大寺
法師也田舎ノ武士ノスヱトカヤ京ノ人トモ云リ身ノ長七尺
ハカリニテ器量人ニスクレタリ興福寺ト合戦スヘキニテステニ
甲冑ヲ帯シテ軍ノ庭ニ出テツクツク思廻ニ抑寺ニ住スル本意仏
法修行ノタメナリ合戦ヲスルホトナラハ俗ノ形ニテコソアラメヨ
シナシト思返シテヤカテ超勝寺ニ引籠リテ一スチニ修行スル事/k4-139l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=138&r=0&xywh=-2430%2C436%2C5841%2C3451

勇猛精進ニシテ香ノ煙ノ中ニ生身ノ弥陀ノ像現シ給フヤカテ
トリトトメ奉レリトモイヒ又ウツシ奉レリトモイヘリカノ像今ニイ
マス御長五六寸ハカリノ像ナリ御形嵯峨ノ釈迦ニ似給ヘ
リ先年拝之発心修行マコト有シ昔ハカカル感応モアリキ然
ニ近代ハ在家ノ風情ミナカハリテ器量モヨハク果報モクタリテ
心ノカサナクヲホケナキ企テナシタタ世ニシタカヒヘツラヒテ名ヲ
モオシミ恥ヲモシレル人年ニ随テ希也カタノコトク妻子ヲモヤ
シナヒ身命ヲモツケハ不足ノ思ナクシテ驕レル心ナシカカル在家
人ノ子息ノ中ニ随分ニ人々シク甲斐々々シキヲハエラヒテ
家ヲツカセヱリクツノステ物不覚人ヲ法師ニナシテ乞食ハシモ
セヨカシトテ智慧ヲエラヒ器量ヲ見ルニヲヨハス道行ノタメニモ
アラス解脱ヲ期スル志モナシタタ髪ヲソリ衣ヲソメタリナニトテ/k4-140r
カハカハカシカランコレタタ仏法ヲカロクシ世間ヲヲモク思ヘル世
俗ノ風儀也悲哉ソノ中ニ希ニモ仏道ヲ行シ智慧モ有ルコソ
シカルヘキ宿習ナレ涅槃経ニハ我滅後ニ飢餓ノタメニ出家
受戒ノ者オホカルヘシコレヲ意楽損害ノ者トストイヘリ戒行
ヲマホルトイヘトモ涅槃ヲ期セスシテ渡世ヲ意トスル故也コノ人
供養ヲウクヘカラストイヘリマシテ破戒無慙ニシテ出家ノ形ト
シテ解脱ヲ期セサルカ空ク供養ヲウクルハ賊分斉トテ賊ノ
分トイヘリ或ハ禿居士トモ名ケ袈裟ヲ被タル猟師トモイヘリ
悲カルヘキ末代也カカル世ニ法滅ノ菩提心ヲ発シ如説ノ修
行ヲモハケマン人マメヤカニ貴カルヘキナリ戒ヲ持ニ付テ四分
律ニハ四分斉ヲ立タリ  一ニハ破戒ニシテ渡世ニ施ヲウク
ルヲハ賊分斉ト云リ施主ノ財ヲ徒ニ失フ是賊ナリ/k4-140l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=139&r=0&xywh=-2512%2C460%2C5841%2C3451

二罪分斉三迹ヲマヌカレント思コレ心セハキモノナリ
三福分斉天上ニ生ゼセンタメニ持ス  四道分斉涅槃ノ
タメニ持ナリ又四用ト云ハ破戒ニテ施ヲ受ルハ盗用賊分也
二負倩用持戒ナレトモ五観セサル負物トナリテ施主ニ還ス
ヘシ  三親友用三果ノ聖者親類ノモノヲ用ルカコトシ
四自己用羅漢ハ応供ノ徳ソナハリ自己ノ物ヲ用ルカコトシ
破戒ノ物ヲ賊分斉トイフ事第二ノ戒ハ律ノ中ニ微細也タ
トヒ倫盗ノ心ナケレ共イタツラニ他ノ賊ヲ損スルコレミナ盗也
タトヒ我身一分ノ利ナケレトモ他ヲ損スルヲ盗トイフ互用三
宝物ノ盗タルコト施主ノ福分ヲウシナフ故也コマカニコレヲイ
ヘハコノ持戒スル人マレナリ本説ニ知テ不行国ノ師也不知
トモ行スルハ国ノ用ナリ知而行スルハ国ノ宝也不知不行ハ/k4-141r
国ノ賊トイヘリ学スル事モナク行スル事モナク徒ニアソヒタハフ
レテ国ノ費ヲシラサル人ノミ世中ニオホシコノイマシメノカレカタ
シコレハ世間ノ俗ノ中ノ事ナリ仏法ノ中コレニナソラフヘシ智
行相兼ヘシ大論云智慧有トモ多聞ナキ実相ヲミス眼アレ
トモ燈ナキ闇ノ中ノ如シ多聞ナレトモ智慧ナキ実相ヲシラス
燈アレトモ眼ナキカコトシ智慧多聞有テ実相ヲ知ル眼アテ
明中ニアルカ如シ智慧モナク多聞モナキ人ハ人身ニ似タル牛也
トイヘリマコトニ人身ノ牛世間ニオホシ恥カシヤ恥カシヤ
三ニ福分斉ヲハ善導ノ釈ニ人ノ皮ヲキタル牛ナリトイヘル心
コレニ同シ施戒禅定孝養等ノ福行セサルモノタタ皮ハカリ
人ナリソコハタタ畜類ナルヘシ    南山宣律師業疏釈
中ニ引智論云六情根完具智鑒亦明利而不求道法唐/k4-141l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=140&r=0&xywh=-1952%2C504%2C5409%2C3195

受身智慧禽獣亦皆知欲楽以自恣而不知方便為道修
善事既已得人身宜勉自利益不知修道行与彼亦何異
  道行何耶一切無染者是也良由衆生無始封著是
此是彼是得是失因之起染纏縛有獄故世鈍者多著財
色小有利者多貪名見已上祖師ノ意ミナヲナシキニヤ大慧
禅師云只染汙ヲ誡ム世間事ヨリ乃至菩提涅槃マテ著ス
ルヲ染汙トイヘリ/k4-142r

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=141&r=0&xywh=244%2C389%2C5841%2C3451

1)
鳩摩羅什
2)
清涼寺
3) , 13)
道宣
4)
律相感通伝
5)
窺基
6)
僧肇
7)
畠山重忠
8)
平清盛
9)
「三途」は底本「三迹」。文意により訂正。
10)
「偸盗」は底本「倫盗」。文意により訂正。
11)
「財」は底本「賊」。文意により訂正。
12)
大智度論
14)
大恵
text/shaseki/ko_shaseki04b-03.txt · 最終更新: 2019/04/27 12:41 by Satoshi Nakagawa