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沙石集

巻1第1話(1) 太神宮の御事

校訂本文

去(さん)ぬる弘長年中に、太神宮1)へ詣でて侍りしに、ある神官2)の語りしは、

「当社に三宝の御名(おんな)を忌ませ、御殿近くをば、僧なんども詣でぬことは、昔、この国、いまだ無かりける時、大海の底に大日の印文(いんもん)ありけるによりて、太神宮、御鉾をさし入れて、さぐり給ひける。その鉾の滴(しただ)り、露のごとくなりける時、第六天の魔王、はるかに見て、『この滴り、国となりて、仏法流布し、人倫生死(じんりんしやうじ)を出づべき相あり』とて、失なはんために下(くだ)りけるを、太神宮、魔王に行き向ひあひ給ひて、『われ、三宝の名をも言はじ。わが身にも近付けじ。とくとく帰り上(のぼ)り給へ』と、こしらへのたまひければ、帰りにけり。

『その御約束を違(たが)へじ』とて、僧なんど御殿近く参らず、社壇にしては経をもあらはには持たず、三宝の名をも正しく言はず。仏をば「立ちすくみ」、経をば「染紙(そめがみ)」、僧をば「髪長(かみなが)」、堂をば「こりたき」なんど言ひて、外(ほか)には仏法をうときことにし、内には三宝を守り給ふことにてましますゆゑに、わが国の仏法、ひとへに太神宮の御守護によれり。

当社は、本朝の諸神の父母にてましますなり。素盞嗚尊(そさのをのみこと)3)、天津罪(あまつつみ)を犯し給ひしことを憎ませ給ひて、天の巖戸を閉ぢて、隠れ給ひしかば、天下常闇(とこやみ)になりにけり。八万の諸の神たち、悲しみ給ひて、太神宮をすかし出だし奉らんために、庭火を焚きて、神楽をし給ひければ、御子(おんこ)の神たちの御遊び、ゆかしく思し召して、岩戸を少し開きて御覧じける時、世間明らかにして、人の面(おもて)見えければ、『あら面白(おもしろ)や』といふことは、その時言ひ始めたり。

さて、太力雄尊(ふとちからをのみこと)4)と申す神、抱き奉りて、岩戸に木綿(もめん)5)を引いて、『この中へは、入らせ給ふべからず』とて、やがて抱き出だし奉りてけり。つひに日月となりて、天下を照らし給ふ。日月の光に当るも、当社の恩徳なり。すべては、大海の底の大日の印文(いんもん)よりことおこりて、内宮・外宮は両部の大日とこそ習ひ伝へて侍りし。

天の巖戸といふは、都率天6)なり。高天原(たかまのはら)ともいへり。神代のこと、みなよしあるにこそ。真言の意(こころ)には、都率をは内証の法界宮密厳国とこそ申すなれ。

かの内証の都を出でて、日域(じちいき)に迹(あと)を垂れ給ふゆゑに、内宮は胎蔵の大日、四重曼荼羅をかたどりて、玉垣(たまがき)・瑞垣(みづがき)・荒垣(あらがき)なんど、重々なり。鰹木(かつをぎ)も九つあり。胎蔵の九尊にかたどる。外宮は金剛界の大日、あるいは阿弥陀とも習ひ侍るなり。しかれども、金剛界の五智にかたどるにや、月輪も五つあり。

胎金両部、陰陽につかさどる時7)、陰は女、陽は男なるゆゑに、胎には八葉にかたどりて、八人女(やをとめ)とて八人あり。金は五智の男につかさどりて、五人の神楽人(かぐらど)といへるは、このゆゑなり。

御殿の茅葺きなることも、御供(ごくう)のただ三杵(みきね)つきて黒きも、人のわづらひ、国の費(ついえ)を思し召すゆゑなり。鰹木も直(すぐ)に、垂木(たるき)も曲らぬは、「人の心を直(すぐ)ならしめん」と思しめすゆゑなり。されば、心素直にして、民のわづらひ、国の費を思はん人、神慮にかなふべきなり。

しかれども、当社の神官は、自然(じねん)に梵網(ぼんまう)8)の十重(じうじう)を持(たも)てるなり。人を殺害(せつがい)しぬれば、長く氏(うじ)をはなたる。波羅夷罪(はらいざい)の、仏子の数に入らぬがごとし。人を打ち刃傷なんどしぬれば、解官(げくわん)せらる。軽罪(きやうざい)に似たり。また、当社に物を忌ませ給ふこと、余社に少し変りて侍り。産屋(わんや)をば生気(しやうけ)と申す。五十日忌む。また、死せるをも死気とて、同じく五十日忌み給ふなり。そのゆゑは、『死は生より来たる、生はこれ死の始めなり。されば、生死をともに忌むべしとこそ、申し伝へ侍れ』と言ひき。まことに、不生不滅の毘盧遮那、法身の内証を出でて、愚痴顛倒の四生の郡類を助けんと、跡を垂れ給ふ本意、生死の流転をやめて、常住の仏道に入らんとなり。されば、生をも死をも忌むといふは、おろかに苦しき流転生死の妄業を作らずして、かしこく妙(たへ)なる仏法を修行し、浄土菩提を願へとなり。

まことしく仏道を信し行はんこそ、大神宮の御心にかなふべきに、ただ今生の栄華を思ひ、福徳寿命を祈り、執心深くして物を忌み、すべて道念なからんは、神慮にかなふべからず。しかれば、本地垂迹、その御形異れども、その御意(こころ)変らじかし。

漢朝には仏法を弘めんために、儒童9)・迦葉・定光10)の三人の菩薩、孔子・老子・顔回とて、まづ外典をもて人の心を和(やは)らげて、後に仏法流布せしかば、人、みなこれを信じき。

わが朝には、和光の神明、まづ迹を垂れて、人の荒き心を和らげて、仏法を信ずる方便とし給へり。本地の深き利益を仰ぎ、和光の近き方便を信ぜば、現生には息災安穏の望みをとげ、当世には無為常住の悟りを開くべし。わが国に生を受けん人、この意をわきまふべきをや」

翻刻

沙石集巻第一 上
  太神宮御事
去弘長年中ニ太神宮ヘ詣テテ侍シニ或神宮ノ語シハ当社
ニ三宝ノ御名ヲ忌御殿近ヲハ僧ナントモ詣ヌ事ハ昔此国イ
マタ無リケル時大海ノ底ニ大日ノ印文有ケルニヨリテ太神宮
御鉾ヲ指入テサクリ給ケル其鉾ノ滴リ露ノコトクナリケル時第
六天ノ魔王ハルカニ見テ此滴国ト成テ仏法流布シ人倫生
死ヲイツヘキ相アリトテウシナハンタメニ下リケルヲ太神宮魔王
ニ行ムカヒアヒタマヒテ我三宝ノ名ヲモイハシ我身ニモ近ツケシ
トクトク帰リ上リ給ヘトコシラヘ給ケレハ帰ニケリ其御約束ヲタ
カヘシトテ僧ナント御殿近クマイラス社壇ニシテハ経ヲモアラハニ
ハモタス三宝ノ名ヲモタタシクイハス仏ヲハ立スクミ経ヲハ染紙/k1-4l

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僧ヲハ髪長堂ヲハコリタキナントイヒテ外ニハ仏法ヲウトキ事ニ
シ内ニハ三宝ヲ守給事ニテ御坐ユヘニ我国ノ仏法ヒトヘニ太
神宮ノ御守護ニヨレリ当社ハ本朝ノ諸神ノ父母ニテ御坐也
素盞嗚尊天津罪ヲヲカシ給シ事ヲニクマセ給テ天ノ巖戸ヲ閉
テ隠レ給シカハ天下常闇ニ成ニケリ八万ノ諸ノ神達カナシミ
給テ太神宮ヲスカシ出シ奉ランタメニ庭火ヲタキテ神楽ヲシ給
ケレハ御子ノ神達ノ御遊ユカシク思食シテ岩戸ヲ少シヒラキテ
御覧シケル時世間アキラカニシテ人ノ面ミエケレハアラ面白トイ
フ事ハ其時イヒ始タリサテ太力雄尊ト申神抱奉テ岩戸ニ木
綿ヲ引テ此中ヘハ入セ給ベカラズトテヤガテ抱出シ奉リテケリ
遂二日月トナリテ天下ヲテラシ給フ日月ノ光ニアタルモ当社ノ
恩徳也都テハ大海ノ底ノ大日ノ印文ヨリ事オコリテ内宮外/k1-5r
宮ハ両部ノ大日トコソ習伝ヘテ侍シ天ノ巖戸ト云ハ都率天
也タカマノ原トモ云リ神代ノ事皆由有ニコソ真言ノ意ニハ都
率ヲハ内証ノ法界宮密厳国トコソ申ナレ彼内証ノ都ヲ出テ
日域ニ迹ヲタレ給フ故ニ内宮ハ胎蔵ノ大日四重曼荼羅
ヲカタドリテ玉ガキ水ガキアラガキナンド重々也カツヲ木モ九アリ
胎蔵ノ九尊ニカタドル外宮ハ金剛界ノ大日或ハ阿弥陀トモ
習侍也然ドモ金剛界ノ五智ニ形ドルニヤ月輪モ五アリ胎金
両部陰陽ニ官トル時陰ハ女陽ハ男ナル故ニ胎ニハ八葉ニカタ
トリテ八人女トテ八人アリ金ハ五智ノ男ニ官トリテ五人ノ神
楽人トイヘルハ此故也又御殿ノカヤブキナル事モ御供ノ只三
杵ツキテ黒モ人ノワヅラヒ国ノツイエヲ思食故也カツヲ木モスグ
ニタルキモマガラヌハ人ノ心ヲ直ナラシメント思食故也サレハ心ス/k1-5l

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ナヲニシテ民ノワヅラヒ国ノ費ヲ思ハン人神慮ニカナフベキナリ然モ
当社ノ神官ハ自然ニ梵網ノ十重ヲ持テルナリ人ヲ殺害シヌレ
バナガク氏ヲハナタル波羅夷罪ノ仏子ノ数ニ入ヌガゴトシ人ヲ
打刃傷ナンドシヌレバ解官セラル軽罪ニ似タリ又当社ニ物ヲ
忌給事餘社ニスコシカハリテ侍リ産屋ヲバ生気ト申ス五十日
忌又死セルヲモ死気トテ同ク五十日忌給也其故ハ死ハ生ヨ
リ来ル生ハ是死ノ始也サレハ生死ヲ共ニイムベシトコソ申ツタヘ
侍トイヒキ誠ニ不生不滅ノ毘盧遮那法身ノ内証ヲ出テ愚痴
顛倒ノ四生ノ郡類ヲ助ケント跡ヲ垂レ給本意生死ノ流転ヲ
ヤメテ常住ノ仏道ニ入ラント也サレハ生ヲモ死ヲモイムト云ハオ
ロカニクルシキ流転生死ノ妄業ヲツクラズシテカシコクタヘナル仏法
ヲ修行シ浄土菩提ヲネカヘトナリマコトシク仏道ヲ信シ行ハンコ/k1-6r
ソ太神宮ノ御心ニカナフベキニ只今生ノ栄花ヲ思福徳寿命
ヲ祈リ執心フカクシテ物ヲ忌都テ道念ナカランハ神慮ニカナフベカ
ラス然ハ本地垂迹其御形コトナレトモ其御意カハラシカシ漢
朝ニハ仏法ヲ弘メンタメニ儒童迦葉定光ノ三人ノ菩薩孔子
老子顔回トテマヅ外典ヲモテ人ノ心ヲ和ケテ後ニ仏法流布セ
シカハ人皆此ヲ信シキ我朝ニハ和光ノ神明マヅ迹ヲタレテ人
ノアラキ心ヲヤハラゲテ仏法ヲ信ズル方便トシ給ヘリ本地ノフ
カキ利益ヲ仰ギ和光ノチカキ方便ヲ信セハ現生ニハ息災安
穏ノ望ヲトゲ当世ニハ無為常住ノ悟ヲ開クベシ我国ニ生ヲ
受ケン人此意ヲ弁ベキヲヤ/k1-6l

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1)
伊勢神宮
2)
底本「神宮(ジングウ)」。諸本により訂正。
3)
通常「スサノヲノミコト」。素戔嗚尊・須佐之男命
4)
読み仮名は底本ママ。アメノタヂカラオ(天手力男神)のこと。
5)
諸本「シメ」と読む。注連縄。
6)
兜率天
7)
「つかさどる」は底本「官(くわん)トル」。諸本により読みをあらためた。
8)
梵網経
9)
釈迦
10)
錠光とも。燃燈仏。
text/shaseki/ko_shaseki01a-01.txt · 最終更新: 2018/06/30 14:51 by Satoshi Nakagawa
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