ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:sesuisho:n_sesuisho1-043

醒睡笑 巻1 謂へば謂はるる物の由来

43 娑婆で見た弥次郎かともいはぬとは何ぞ・・・

校訂本文

<<PREV 『醒睡笑』TOP NEXT>>

「娑婆で見た弥次郎かともいはぬ」とは何ぞ。

いにしころ、佐渡の島に銀山出で来、人多く集まりぬ。その時、一人の聖ありて、十穀を断ち、禁戒を守(まぼ)り、六時不退の称名たゆむことなく、「生き仏とはこれならん。参れや、拝めや」とて、昼夜の分かちなく、男女袖をつらぬる中に、弥次郎といふ者、その道場を離れず給仕しけり。

かの聖、年月を経て後、しきりに「入定(にふぢやう)せん」と披露する。おのおの落涙し、名残を惜しむ。来たる二十日を限り、時を定め、山の原に大きなる穴を掘り、法衣を着(ちやく)し入りすまし、外より土を寄せ、固く埋(うづ)みをはんぬ。奇特なる行状なりし。傍らに沙汰するを聞けば、「金掘(かねほり)を頼み、過分に物を取らせ、抜け道を掘りおき、その身はつつがなく行なひ失せたる」など言ふ者もありけり。

かくて三年を過ぎ、かの聖を信仰せし弥次郎越後に渡り、さる所にて件(くだん)の聖に会ひぬ。疑ふべくもなし。すなはち近く寄り、「そなたはそれではなきか」。聖、「いやそち1)をば夢にも知らぬ。われもさいふ者でもなし」と争ふ。俗(ぞく)2)、あららかに証拠を引き叱る時、かの聖、「げにもげにも、よく思ひ合はすれば、娑婆で見た弥次郎か」と申したりき。

それよりこの言葉ありといふ。

<<PREV 『醒睡笑』TOP NEXT>>

翻刻

一 娑婆て見た弥次らかともいはぬとはなんぞ
  いにしころ佐渡(さと)の嶋に銀山出来人多
  あつまりぬ其時一人の聖(ひしり)ありて十穀(こく)を
  たち禁戒をまほり六時不退(ふたい)の称名(せうみやう)たゆ
  む事なくいき仏とはこれならん参れや拝(おがめ)/n1-23l
  やとて昼夜のわかちなく男女袖をつら
  ぬる中に弥二らといふ者其道場をはなれ
  す給仕しけり彼聖年月を経て後頻(しきり)に
  入定(ちやう)せんと披露(ひろう)する各(おのおの)落涙(らくるい)し名残(なこり)を
  おしむ来廿日をかきり時を定山の原(はら)に
  大なる穴(あな)をほり法衣を着(ちやく)し入すまし外より
  土をよせかたくうつみをはんぬ奇特(きとく)成(なる)行状(きやうじやう)なり
  しかたはらに沙汰するをきけはかねほりを頼(たのみ)
  過分(くわふん)に物をとらせぬけ道をほりをき其身は/n1-24r
  恙(つつか)なくおこなひうせたるなといふ者もあり
  けり角て三年を過彼聖を信仰せし
  弥次ら越後に渡りさる所にて件の聖
  にあひぬうたかふへくもなしすなはち近
  くよりそなたはそれてはなきか聖いやに
  ちをは夢にもしらぬ我もさいふ者てもなし
  とあらそふ俗(そく)あららかに証拠をひきしか
  る時かの聖けにもけにもよく思ひあはすれ
  は娑婆てみた弥二らかと申たりきそれより/n1-24l
  此言葉ありといふ/n1-25r
1)
「そち」は底本「にち」。諸本により訂正。
2)
弥次郎
text/sesuisho/n_sesuisho1-043.txt · 最終更新: 2021/04/18 13:09 by Satoshi Nakagawa