text:senjusho:m_senjusho08-08
目次
撰集抄
巻8第8話(83) 北野御事
校訂本文
昔、延喜の御時1)、北野の大臣2)、ことにあたりて、西の国へ流され給ひしに、父子五処に別れ給へりしかば、涙にくれて、紅鏡、さらに見えわかず、闇に迷へる心地なんし給ひけるに、をりふし、初雁の雲井ほのかに聞こえて侍りしかば、
我為遷客汝来賓
共是蕭々旅漂身
敧枕思量帰去来
我知何歳汝明春
と作り給へりける、あはれに侍り。
げにも、大臣は遷客、雁は来賓、しかはあれども、同じく旅の空に身をただよはせり。しづかに枕をそばだてて、旧里に帰らんことをはかるに、雁はまたの年の春なり、大臣はいづれの年にかあらんと、あはれに侍り。つひに、旅にてこそ、御身はまかりていまそかりしか。
そもそも、また、
離家三四月
落涙百千行
万事皆如夢
時々仰彼蒼
といふ詩を、「これは、天神の御詩なり」とて、応和の末の年、唐土(もろこし)より注(しる)し申し侍るこそ、不思議には侍れ。されば、わが朝には広まらざるを、誰か何として、唐国には詠じ侍りけるにや。ことにかたじけなくぞ侍る。
この延喜の御門は、「仁流秋津州之外恵茂筑波山之影」なんど言はれ給ひしに、科(とが)もいませざりし北野を、はるかの境まで3)流しつかはし給へることこそ、「いかなりける御誤りやらん」と思え侍れ。
翻刻
昔延喜の御時北野の大臣事にあたりて西 の国へ流され給ひしに父子五処にわかれ給へり しかは泪にくれて紅鏡更見えわかすやみに迷へ る心ちなんし給けるにおりふし初かりの雲 井ほのかに聞て侍りしかは 我為遷客汝来賓 共是蕭々旅漂身 敧枕思量帰去来 我知何歳汝明春 と造り給へりけるあはれに侍り実も大臣は/k238r
遷客鳫は来賓しかはあれとも同く旅の空
に身をたたよはせり閑に枕をそはたてて旧里に
帰らんことをはかるに鳫は又の年の春なり
大臣は何年にかあらんとあはれに侍りつゐに
旅にてこそ御身はまかりていまそかりしか抑又
離家三四月落涙百千行万事皆如夢時々
仰彼蒼と云詩を此は天神の御詩なりとて
応和の末の年もろこしより注申侍るこそ
不思議には侍れされは我朝にはひろまら
さるを誰か何として唐国には詠し侍ける/k238l
にや殊参(忝歟)くそ侍る此延喜の御門は仁流秋津 州之外恵茂筑波山之影なんといはれ給し に科もいませさりし北野を遥の境流遣た まへる事こそいかなりける御あやまりやらんと 覚侍れ/k239r
text/senjusho/m_senjusho08-08.txt · 最終更新: 2016/09/04 22:49 by Satoshi Nakagawa