撰集抄
巻7第9話(69) 義量召仕法師事
校訂本文
昔、信濃国に、一条二郎義量といふ武士のもとへ、 つたなげなる僧の入り来て、「宮仕へつかふまつらん」と言ひければ、「それはいづくの者ぞ」と言ふに、「はるかの遠き所の者にて侍り。年ごろ、妻なりし者にあひかかりてなん過ぎ侍りつるが、はかなくみなしてし後は、何にかかりて命を継ぐべしともなきままに、乞食なんし侍り」と言ふを、家主あはれみて置きにけり。
されば、食ひ物は、一日に一合ばかり、ただ一度、午の中ばかりに食ひけるほかは、すべて何も食はず。人のあはれみて、良き物なんどを勧むれども、かつて食はずぞありける。ものをも言はで、心よく使はれければ、主(あるじ)も、またなきものに思へり。誰々もいとほしみ、「なつかしき心侍り」とて、情をかけけり。
一年あまり、この所にありけるが、いかなりけることの侍りけるにや、かき消すごとくに失せ侍りぬ。主をはじめて、ありとある人、「さも思はしかりつるものを」とて、泣き悲しみけれども、さらにかひなし。
さて、かの住みつる所を開けて見れば、まことにめでたき手跡にて、日日記をせし侍り。「何ごとぞ」と見れば、「いくいく、かの日は頭燃を払ふ思ひなして、念仏三百反申す1)」、また、「その日は戌の半より辰の半まで座禅しぬ」、次の日は不浄観、ある時は唯識観を修すなんどいふ。一筋に観法勤め2)の日記にて侍りける。これを見るに、いよいよかきくらさるる心地して、涙を流さぬ人は侍らざりけり。
誰といふ智者の、徳を隠して3)つぶねとなられけるやらむ。「あはれ、玄賓僧都にやいまそかるらん」と、昔の跡ゆかしくぞ侍る。
ものを多く食ひ給はぬさへ、思ひ入らるるふしの侍りけると、心うち澄みて貴くぞ侍る。はかりなきわづらひより4)出でくるものを、するわざもなくて食ひつつ、これに着して、厭離の心の侍らざらんは、まことに罪深かるべし。
さても、この人、何れの所にか、心澄ましておはすらん。ころほひは玄賓に相ひ当れど、「さだめてその人」とさだむることを得ず。あはれ、ゆかしかりける心かな。
翻刻
昔信濃国に一条二郎義量と云武士のもとへ つたなけなる僧の入きて宮仕つかふまつらんと いひけれはそれはいつくのものそといふに遥の遠 所の者にて侍り年比妻なりし者にあひかかり てなんすき侍りつるかはかなくみなしてし後はなにに かかりて命を継へしともなきままに乞食な んし侍りと云を家主あはれみておきにけり/k213l
されはくひ物は一日に一合はかり只一度午中はかり にくひける外はすへてなにもくはす人のあはれみ てよき物なんとを勧むれともかつてくはすそあ りける物をもいはて心よくつかはれけれはあるし も又なきものにおもへり誰々もいとおしみなつ かしき心侍りとて情をかけけり一年あまり此所 にありけるかいかなりける事の侍りけるにやかき けすことくにうせ侍りぬあるしをはしめてあり とある人さも思はしかりつる物をとて泣かなし みけれとも更かひなしさてかの住つる所をあ/k214r
けてみれは誠に目出手跡にて日々記をせし侍り 何事そと見れはいくいくかの日は頭燃をはらふ思ひ なして念仏三百反申み又其日は戌の半より辰の 半まて坐禅しぬ次日は不浄観或時は唯識観を 修すなんといふ一筋に観法勧の日記にて侍ける 是を見るに弥かきくらさるる心ちして泪をな かさぬ人は侍らさりけり誰と云智者の徳を なかしてつふねとなられけるやらむ哀玄賓僧 都にやいまそかるらんと昔の跡ゆかしくそ侍る 物をおほくくい給はぬさへおもひ入らるるふしの/k214l
侍りけると心うちすみて貴くそ侍るはかり なき煩ひかり出くる物をするわさもなくてくひ つつ是に着して厭離の心の侍らさらんは実に 罪ふかかるへしさても此人何所にか心すましておは すらん比おひは玄賓に相当と定てその人と定 むる事をえすあはれ床敷かりける心かな長承の/k215r