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撰集抄

巻5第13話(46) 宇佐宮(覚知一心文)

校訂本文

筑紫の宇佐の宮1)と申すは、山城の男山の気色にたがはず。長き山、四方に廻りて、松風心すごし。旅猿の声、ことにあはれなる所なり。山のそびえる姿、木の生ひたるありさま、ひとへに補陀落山かと疑ふ。中にも清水あり。御手洗(みたらひ)とはこれならむ。何わざにつけても、心澄みぬべき御社なり。

空也聖に対して御姿をあらはし、弘法大師に向ひて正直理世を述べさせましましけむ神言・神体思ひ出だして、涙いよいよところせくぞ侍る。

かくて、西の国は金がみさき2)まで修行し侍りき。かくて、帰りざまに、摂州昆陽野(こやの)といふ所を過ぎ侍りしに、齢六十(むそぢ)にたけたる僧の、髪は首のほどまでおひさがり、着るものはかたのごとくも肩にかけず、筵(むしろ)着き、痩せおとろへて、顔よりはじめて足手まで泥かたなるが、ささらをすりて、心を澄まし、うそうち吹きて、人に目もかけぬ僧、一人侍り。

ことさまあがたく思えて、近く居寄りて、「何わざをし給ふにか」と尋ね侍りしかば、「ささらするなり」とのたまはするを、「それはしかなり。法文いかに。われも仏道に志深く侍り。心のはるけぬべからんこと、一言のたまはせよ」とせめしかば、「覚智一心生死永奇」とて、そののちは、またのたまはすることもなくて、逃げ去り給ふを、「なほゆかしく侍り」と涙をこぼしてもだへしかば、「義想既滅除審観唯自心」とて、はるかに逃げ去り給ひぬ。名残多く侍れども、かひなし。

その里人に、この聖のありさまをくはしく尋ね侍りしかば、ある人の語りしは、「いと着物も欲しがらず、たまたま得たるをも、何とし給ふらん、ほどなく失なひ給ふ。明け暮れささらをすりて、独り歌うち歌ひてなん、あちこち廻り歩(あり)くに侍り」と答へ侍り。

げに、道心深き人なめり。外(ほか)の姿より、内の心まで、澄みてぞ思え侍る。げに、一心と知りなん後は、「何とてか生死には輪廻し侍るべき」と、かへすがへすゆかしく思え侍り。世の末にも、かかる道心者もいまそかりける。

翻刻

筑紫の宇佐の宮と申は山城の男山の気
色にたかはす長山四方に廻て松風心すこし
旅猿のこゑ殊にあはれなる所なり山のそひへ
るすかた木の生たるありさま偏に補陀落山
かと疑ふ中にも清水ありみたらゐとは是な
らむ何わさにつけても心すみぬへき御社な
り空也聖に対て御姿をあらはし弘法大/k137l
師に向て正直理世を述させましましけむ神言
神体思出して涙弥々所せくそ侍るかくて西の
国は金かとみさきまて修行し侍りきかくて
帰さまに摂州こやのといふ所を過侍りしに
齢六そちにたけたる僧のかみはくひのほと迄
おいさかりきる物は如形も肩にかけすむしろき
やせおとろへてかほよりはしめて足手まてと
ろかたなるかささらをすりて心をすましうそうち
吹て人に目も懸ぬ僧一人侍りことさま有難く
覚て近く居寄て何わさをし給ふにかと尋/k138r
侍りしかはささらする也との給はするをそれは
しかなり法文いかに我も仏道に志深く侍り心
のはるけぬへからん事一詞の給はせよとせめし
かは覚智一心生死永奇とて其後は又の給
はする事もなくてにけさり給ふを猶ゆかしく
侍りと涙をこほしてもたへしかは義想既滅除
審観唯自心とて遥ににけさり給ぬ名残おほく
侍れ共かひなし其里人に此聖のありさまを
委尋侍りしかは或人の語しはいとき物も
ほしからすたまたま得たるをもなにとし給ふらん/k138l
ほとなくうしなひ給ふ明暮ささらをすりて独
うたうちうたひてなんあちこち廻ありくに侍
りと答侍りけに道心深き人なめりほかの
すかたよりうちの心まてすみてそおほえ侍るけ
に一心と智なん後は何とてか生死には輪廻し
侍るへきと返々ゆかしく覚侍り世の末にもかか
る道心者もいまそかりける/k139r
1)
宇佐神宮
2)
底本「金かとみさき」。諸本により訂正。
text/senjusho/m_senjusho05-13.txt · 最終更新: 2016/07/02 14:10 by Satoshi Nakagawa
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