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蒙求和歌
第11第13話(163) 扁鵲起虢
校訂本文
扁鵲起虢
扁鵲、姓は秦、名は越人、時の名医なり。虢の太子の、すでに死するを見て、扁鵲、「治しつべし」と言ひて、すなはち治するに、生きにけり。兄(このかみ)二人ありけり。
その里人の中(うち)には、病(やまひ)する者なかりければ1)、治方の験(しるし)も聞こえぬ2)ほどなり。
扁鵲、斉の桓公を見て、「君に病あり」と言ふを、桓公、用ゐず。後に伏して見、仰(あふ)ぎて見て、「治せむ」と乞ふに、「なんぢ、病ふなき身を見て、治して、その功を立てんと思へるなるべし」と言ひて、なほ用ゐず。扁鵲、また桓公を見て、立ち走りて帰りぬ。
時に、桓公、病重くわづらひて、扁鵲を召して、「治せよ」と言ふに、扁鵲、答へていはく、「始め病を見しに、病、皮べにありて、針灸の及ぶ所なれば、『治せむ』と乞ひしに、君、聞き給はざりき。次にまた病を見しに、血脈にありき。湯薬の及ぶ所なれば、『治せむ』と乞ひしに、君、『病なし』と言ひて、聞き給はざりき。後に病を見しに、病すでに骨髄に入りて、薬の及ぶ所にあらざりしかば、退きにき。今、まさに治し難(がた)かるべし」と答へて、去りぬ。さて、桓公、命終りにけり。
秦の穆公、にはかに魂(たましひ)失せにけり。扁鵲に見せしむるに、「死ぬべからず。七日ありて生き返るべし」と言ふ。
七日に生き返りていはく、「われ、鈎天に昇りて、百神とともに遊びつ。天帝、喜びて、鈎天広の妙曲を尽しき。すなはち、この曲を伝へて来たれり」。
このゆゑに、扁鵲が悟りを讃めて、田百丁を賜びけり。扁鵲がいはく、「われいふことの験(しるし)をあらはしつれども、治する所の功なければ、賞を受けず」と言ひて、去りぬ。
枯れ果つる色かと見しを春雨のときはにかへす生(いき)の松原
翻刻
扁鵲起虢(くわく) 扁鵲姓は秦名は越人時の名医/なり虢(くわく)の太子のすてにしす/d2-23r
るをみて扁鵲治しつへしと云てすなはち治するにいきにけりこの かみふたりありけりそのさと人の中(うち)にはやまひするものあかりけれは 治方のしるしもきここへぬほとなり扁鵲斉の桓公をみ て君にやまひありと云を桓公もちゐす後にふしてみあふき てみて治せむとこふになむちやまうなきみをみて治してその 功をたてんと思へるなるへしと云てなをもちゐす扁鵲又桓 公をみてたちはしりてかへりぬ時に桓公やまひをもくわつ らひて扁鵲をめして治せよと云に扁鵲こたへて云く はしめ病をみしにやまひかはへにありて針灸のをよふ所なれは治 せむとこひしにきみきき給はさりきつきにまた病をみしに血脈に ありき湯薬のをよふ所なれは治せむとこひしに君病なしと云て きき給はさりき後に病をみしに病すてに骨髄にいりて くすりのをよふ所にあらさりしかはしりそきにき いままさに 治しかたかるへしとこたへて さりぬさて 桓公命をは/d2-23l
りにけり秦穆公にはかに たましひうせにけり扁鵲に みせしむるにしぬへからす七日ありていきかへるへしと云七日に いきかへりて云くわれ鈎天にのほりて百神とともにあそひつ 天帝よろこひて鈎天広の妙曲をつくしきすなはちこのきよ くをつたへてきたれりこのゆえに扁鵲かさとりをほめて田百丁を たひけり扁鵲か云くわれいふ事の験をあらはしつれとも 治する所の功なけれは賞をうけすと云てさりぬ かれはつる色かとみしをはるさめのときはにかへすいきのまつはら/d2-24r