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蒙求和歌
第1第17話(17) 済叔不痴 躑躅
校訂本文
済叔不痴 躑躅 晋代太原人也身長七尺八寸竜顎大る鼻あり
晋代に王湛といふ者のあり。字は処沖といへり。賢才、人に勝れたれども、色にあらはすことなかれば、兄弟・家族といへども王湛を愚かなる者と思へり。父昶一人のみ、これを知れりけり。
父死にて後、墓のほとりに庵を結びて、門を閉ぢて、しづかに世を過して、世のまじろひを好まずして、昔を恋ひつつ、涙を流して明かし暮らしけり。
王湛が兄の1)子に、済といふ者あり。昔、王湛がもとに行きて見ければ、床のほとりに周易ありけり。もと思ひ侮(あなづ)りける心にて、「これをば何にかはせむとする」と問へば、王湛、あざ笑ひて、思ふ所あるに似たり。つひに易を論ず。済、つまりにけり。
武帝2)、済を見給ふごとに、あざけりて、「なんぢが家の痴叔は死してかや、未だしや」と問ひ給へば、済、答へ申すかたなし。後になほ問ひ給ふとて、「臣が叔(をぢ)、ことに愚かならず」と申し重ねて、「誰とか等しき」と問ひ給ひけり。済、申していはく、「山濤以下、魏舒以上」と申せり。これより名をあらはれり。
踏み通ふ山路をだにも岩躑躅(いはつつじ)いはねばこそあれ深き匂ひを
翻刻
済叔不痴 躑躅 晋代太原人也身長七尺八寸竜顎 大る鼻あり 晋代王湛と云者の有り字は処沖と云り賢才人に勝れ たれとも色にあらはす事无れは兄弟家族と云へとも王湛 ををろかなる物と思へり父昶(ゐやう)ひとりのみ此を知れりけり父死て 後はかのほとりにいほりをむすひて門を閉てしつかに世をすこ して世のましろひをこのますして昔をこひつつ涙を流てあかし くらしけり王湛か兄を子に済と云者有り昔王湛かもとに ゆきてみけれはゆかのほとりに周易ありけりもと思ひあ なつりける心にて此をはなににかはせむとするととへは王湛あさわ らひて思ところあるににたりついに論易を済つまりにけり 武帝済を見給ふことにあさけりて汝か家の痴叔は 死してかや未たしやととひ給へは済こたへ申かた无し後に 猶を問給とて臣か叔をちことにをろかならすと申かさねて誰とか/d1-13l
ひとしきと問ひ給ひけり済申て云く山濤已下魏舒已 上と申せり此より名をあらは□り ふみかよう山ちをたにもいはつつしいはねはこそあれふかきにほひを/d1-14r
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka01-17.1508051902.txt.gz · 最終更新: 2017/10/15 16:18 by Satoshi Nakagawa