古本説話集
第41話 貫之、土佐の任に赴く事
校訂本文
今は昔、貫之1)が土佐の守になりて、下りてありけるほどに、任果ての年、七・八ばかりの子の、えもいはずをかしげなるを、限りなくかなしうしけるが、とかくわづらひて失せにければ、泣き惑ひて、病づくばかり思ひこがるるほどに、月ごろになりぬれば、「かくてのみあるべきことかは。上りなむ」と思ふに、「児のここにて何とありしはや」など、思ひ出でられて、いみじう悲しかりければ、柱に書き付けける。
京へと思ふにつけて悲しきは帰らぬ人のあはれなりけり
と書きつけたりける歌なむ、今までありける。
翻刻
いまはむかしつらゆきかとさのかみになりて
くたりてありける程ににむはてのとし七
八はかりのこのえもいはすをかしけなるをかき
りなくかなしうしけるかとかくわつらひてうせ
にけれはなきまとひてやまひつくはかり思ひ
こかるるほとに月ころになりぬれはかくて/b114 e58
のみあるへきことかはのほりなむとおもふにちこ
のここにてなにとありしはやなと思ひいて
られていみしうかなしかりけれははしら
にかきつけける
みやこへとおもふにつけてかなしきは
かへらぬひとのあはれなりけり
とかきつけたりける哥なむいままてありける/b115 e58