目次
古本説話集
第27話 河原院の事
河原院事
河原院の事
校訂本文
今は昔、河原院は融の左大臣1)の作りたりける家なり。陸奥(みちのく)の塩竃(しほがま)のかたを作りて、潮(うしほ)の水を汲みて湛へたり。さまざま、をかしきことを尽くして住み給ひける。
大臣(おとど)失せて後、宇多の院2)には奉りたるなり。醍醐御門3)は御子にておはしましければ、たびたび行幸ありけり。
まだ院の住ませ給ひけるをりに、夜中ばかりに、西の対(たい)の塗籠(ぬりこめ)を開けて、そよめきて人の参るやうに思されければ、見させ給へば、昼(ひ)の装束、うるはしくしたる人の、太刀はき、笏取りて、二間ばかり退きて、かしこまりて居たり。「あれは誰そ」と、問はせ給へば、「ここの主(ぬし)に候ふ翁なり」と申す。「融(とほる)の大臣か」と問はせ給へば、「しかに候ふ」と申す。「そは何ぞ」と仰せらるれば、「家なれば住み候ふに、おはしますが、かたじけなく、所狭く候ふなり。いかがつかまつるべからん」と申せば、「それはいと異様(ことやう)のことなり。故大臣の子孫の、我に取らせたれはば住むにこそあれ、我、押し取りて居たらばこそあらめ、礼も知らず、いかにかくは恨むるぞ」と、高やかに仰せられければ、かい消つやうに失せぬ。
そのをりの人、「なほ、御門はかたことにおはしますものなり。ただ人はその大臣に会ひて、さやうにすくよかに言ひてむや」とぞ言ひける。
かくて、院失せさせ給ひて後、住む人も無くて荒れゆきけるを、貫之4)、土佐より上りて参りて見けるに、あはれに思えければ、ひとりごちける
君なくて煙絶えにし塩竈の浦さびしくも見えわたるかな
その後、この院を寺になして、安法君(あほうきみ)といふ人ぞ住みける。冬の夜、月明かかりけるに、ながめて詠める、
天の原空さへ冴えやわたるらん氷と見ゆる冬の夜の月
昔の松の木の、対の西面に生ひたるを、そのころ、歌詠みども集まりて、安法君の房にて詠みける。古曽部(こそべ)の入道5)
年経れば河原に松は生ひにけり子の日しつへき寝屋の上かな
里人の汲むだに今はなかるべし磐井の清水草生ひにけり
(里人の汲むだに今はなかるべし板井の清水水草ゐにけり)6)
道済7)が歌
行く末のしるしばかりに残るべき松さへいたくおひにけるかな
なむどなむ言ひける。その後、いよいよ荒れまさりて、松の木も一年(ひととせ)の風に倒れにしかば、あはれにこそ。
翻刻
いまはむかしかはら院はとほるの左大臣のつく りたりける家也。みちのくのしほかまのかた をつくりてうしほの水をくみてたたえたり さまさまをかしきことをつくしてすみ給/b77 e39
けるおととうせて後うたの院にはたて まつりたる也たいこ御かとは御こにておはし ましけれはたひたひ行幸ありけりまた 院のすませ給けるをりによなかはかりに西 のたいのぬりこめをあけてそよめきて ひとのまいるやうにおほされけれはみさせ給へは ひのしやうそくうるはしくしたるひとの たちはきしやくとりて二けむはかりのきて かしこまりてゐたりあれはたそととはせ 給へはここのぬしに候おきななりと申/b78 e40
とほるのおととかととはせ給へはしかに候と申 すそはなむそとおほせらるれは家なれはすみ 候におはしますかかたしけなくところ せく候なりいかかつかまつるへからんと申せは それはいとことやうの事なりこおととの子そ むの我にとらせたれはすむにこそあれ我を しとりてゐたらはこそあらめれいも しらすいかにかくはうらむるそとたかやかに おほせられけれはかいけつやうにうせぬその をりのひとなをみかとはかたことにおはします/b79 e40
物也。たたひとはそのおととにあひてさやうに すくよかにいひてむやとそいひけるかくて 院うせさせ給てのちすむ人もなくてあれゆ きけるをつらゆきとさよりのほりてまいりて みけるにあはれにおほえけれはひとりこち ける 君なくてけふりたえにししほかまの 浦さひしくもみえわたるかな そののちこの院を寺になしてあほうきみ といふ人そすみける冬の夜つきあかかりける/b80 e41
になかめてよめる あまのはらそらさへさえやわたるらん こほりとみゆるふゆのよの月 むかしのまつのきの対のにしおもてに おひたるをそのころ哥よみともあつまりて あほうきみのはうにてよみけるこそへの入道 としふれはかはらにまつはおひにけり ねの日しつへきねやのうへかな さとひとの(くむたにいまは本)てむたになかるへし いはゐのしみつくさおひにけり/b81 e41 (た) (みくさゐ)
みちなりか哥 ゆくすゑのしるしはかりにのこるへき まつさへいたくおひにけるかな なむとなむいひけるそののちいよいよあれ まさりて松の木もひととせの風にたふ れにしかはあはれにこそ/b82 e42