唐鏡 第一 伏羲氏より殷の時にいたる
12 夏 帝桀
校訂本文
第十七の主を帝桀(ていけつ)と申しき。力よく釣1)をのべ鉄(くろがね)を縄にし、手づから熊羆(くましぐま)をうち殺す。末嬉(ばつき)2)といふ女、美色のあるを喜びて后(きさき)とし給ふ。そのほかも多く美女を求めて後宮に満ちみつ。璇室瑶台(せんしつようだい)を作りて、金の柱三千を立て、始めて瓦をもて屋に葺けり。侏儒倡優(しゆじゆしやういう)をすすめて、爛漫の楽を作り、奇瑋(きゐ)の戯(たはぶ)れをまうさく、日夜に末嬉を呼び、宮女と酒を飲みて、常には末嬉を膝の上に置きて戯れ給ふ。
婦人の錦綉(きんしう)・文綺(ぶんき)・綾紈(りやうぐわん)を衣たるもの三百人、御前にある。また池苑3)をひろめ、禽獣4)をやしなひ、鐘皷(しやうこ)の楽を奏ぜしめ、肉(しし)の山、脯(むら)の林、酒の池を作り、舟をめぐらして、縄をもて人の頭に繋ぎて、酒の池へいたらしめて、一度(ひとたび)皷(つづみ)打ちて、牛のごとくに飲むもの三千余人なり。酔ひて溺れ死ぬるものあれば、桀も末嬉も興あることに思して笑ひ楽しみ給ふ。
また、冬の天に山をうがち河を通することありしを5)、ある者、「冬は天の陰を発しき。地の気をもらす後に、必ず殃(わざはひ)あるべし」と諫(いさ)め申しければ、やがてその諫むる者を罪せられき。
また、人をして殷の湯を夏台に捕へしめ給ふことあり。しかども、のちにゆるされ給ひぬ。この時に二つの日出でて闘ひ触(しよく)す。
また、渭洛(いらく)の水尽き、天より赤き血降り、回禄(くわいろく)と申す火の神見奉りき。
在位五十二年の年、暦山にはなたれ給ふ。湯を夏臺に殺さずして、世にいたらしむることをぞ悔ひ給ひし。
末嬉及びもろもろの嬖妾(へいせふ)と同じ舟に乗り給ひて、南巣(なんさう)の山にして、みづから失せ給ひにき。
禹の御時より、この桀にいたるまで四百三十二年とぞ覚え侍りし。
翻刻
第十七の主を帝桀(テイケツ)と申きちからよく釣をのへ鉄(クロカネ)をなは/s19l・m37
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/19
にし手つから熊羆(クマシクマ)をうちころす末嬉(ハチキ/マツ)(妹)といふ女美色のある をよろこひてきさきとし給ふそのほかも多く美女をもとめて 後宮にみちみつ璇室瑶臺(センシツヨウタイ)をつくりて金の柱三千を立て 始て瓦をもて屋にふけり侏儒倡優(シウシユシヤウイウ)をすすめて爛漫の楽 をつくり奇瑋(キヰ)の戯(タハフレ)をまうさく日夜に末嬉をよひ宮女と 酒をのみて常には末嬉を膝の上に置(ヲキ)てたはふれ給ふ婦人 の錦綉(キンシウ)文綺(フンキ)綾紈(リヤウクワン)を衣たるもの三百人御まへにある又池苑(イケソノ) をひろめ禽獣(トリケモノ)をやしなひ鐘皷(シヤウコ)の楽を奏せしめ(ヌイ)肉(シシ)の山脯(ムラ) の林酒の池をつくり舟をめくらして縄(ナハ)をもて人の頭につな きて酒の池へいたらしめてひとたひつつみうちて牛のことく/s20r・m38
にのむもの三千餘人なり酔てをほれ死ぬるものあれは桀(ケツ)も末嬉 も興あることにおほしてわらひ楽たまふ又冬の天に山を(イニ発キ地ノ気通スル事アリシヲ)う かち河を通することありしをあるもの冬は天の陰を発 き地の気をもらす後に必す殃(ハサワイ)あるへしと諫(イサメ)申けれはやかて その諫むるものをつみせられき又人をして殷の湯を夏臺 にとらへしめ給ことありしかとものちにゆるされ給ぬこのときに ふたつの日いてて鬪(タタカ)ひ触(シヨク)す又渭洛(イラク)の水つき天より赤き血ふり 回禄(クワイロク)と申す火神(ヒノカミ)見たてまつりき在位五十二年のとし暦山 にはなたれ給ふ湯を夏臺にころさすして世にいたらしむ ることをそくいたまひし末嬉をよひもろもろの嬖妾(ヘイセウ)と/s20l・m39
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/20
おなし舟にのりたまひて南巣(サウ)の山にしてみつからうせ給 にき禹の御ときよりこの桀(ケツ)にいたるまで四百卅二(イナシ)年とそおほえ侍し/s21r・m40